「あんこ」の始まりは魔除けだった?! 作り方や種類、歴史など、伝統的甘味の魅力をあますところなく解説

食・料理

公開日:2016/12/9

『あんこのことがすべてわかる本: つくる、食べる、もてなす』(芝崎本実:監修/誠文堂新光社)

 日に日に寒さが増す中、小生はコンビニで「ぜんざい」を見つけると本格的な冬の到来を感じる。小学生の頃、町内会の夜廻りに参加すると帰り際に「ぜんざい」が振る舞われ、それで冷えた体を温めたものだ。小生は酒も好きだが甘いものも大好きで、大福片手にビールなんてのも日常茶飯事だし、伊勢名物赤福や名古屋の小倉トーストにも目がない。そんな「あんこ大好き」な小生がこの一冊を見つけたのだから運命を感じてしまう。それが『あんこのことがすべてわかる本: つくる、食べる、もてなす』(芝崎本実:監修/誠文堂新光社)だ。

 本書は「あんこ」を使った和菓子で綴る歳時記を皮切りに、贈り物にふさわしい老舗の菓子の紹介、家庭で作れる「あんこ菓子」のレシピ集に製餡所の工場見学、そして歴史や種類など、その魅力を余すところなく解説している。

 本書によると元々「あんこ」は魔除けに食べた小豆料理が始まりだったようだ。小豆はアジア熱帯地方原産で、弥生時代に稲作とともに伝わったとされる。中国では古くから小豆の皮の赤い色を「陽」と捉え、災いなどの「陰」を封じると信じられており、それが日本でも無病息災や魔除けを祈願する年中行事に赤飯やおはぎなど、小豆を使った料理が供されるようになったと考えられている。

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 そして、甘くして食べるようになったのは日本に伝わってからのことだ。平安時代には味付けをしていない練り汁や、塩で調味した塩小豆を食べていたのだが、やがてツタの樹液を煮詰めて作る甘味料「甘葛(あまづら)」で味付けするようになり、室町時代には砂糖で甘みをつけ、今のような姿になったという。「あんこ」に対して甘さを求める小生には意外な歴史だが、赤飯は甘くないことを考えれば「小豆はやはり豆類なんだな」と今更ながらに納得してしまう。先に挙げた塩小豆など、もしかすると枝豆のように酒の肴にもなるのだろうか?

 また「あんこ」と「餅」という定番の組み合わせだが、鎌倉時代の末期に結びついたとみられている。当時の書物に「焼き餅は小豆を中に込め、しるこ餅は小豆を上につける」と記されているという。今の大福などは焼かないのが主流だが、調べてみると太宰府市の名物「梅ヶ枝餅(うめがえもち)」は薄い餅生地で小豆餡を包み、鉄板で焼いているそうだ。昔はこういった雰囲気の餅菓子だったのだろう。

 ところで、「あんこ」といえば度々話題になるのが「粒あん派 vs. こしあん派」論争だ。好みは人それぞれであるが、その違いをどれだけ理解できているだろうか。まずは「粒あん」であるが、小豆の皮を取り除かずに練り上げる「あんこ」で、時間をかけて練ると粒があまり残らず「つぶしあん」とも呼ばれるようになる。では、あの粒々の「小倉あん」は時間をかけていないのかと疑問も湧くが、実は小豆やインゲン豆などを煮て蜜漬けしたしたものをこしあんに加えて、粒の食感を活かしたものだそうだ。

 なお、もう一方の「こしあん」であるが、小豆の皮を取り除き、茹でてさらしてから練り上げて作る。そのために「さらしあん」とも呼ばれる。やはり、あんパンの基本はこの「こしあん」だろう。市販のあんパンも粒を活かしたものは、小倉あんパンとして売られている。ただし、かのアンパンマンの中身は「つぶあん」だと公式に説明されている。

 身近な甘味であるだけに、このような背景を持っていたことなど今まで想像もしていなかった分、これまでよりも愛着と興味がわいてくる一冊だ。これだけの歴史を持ちながらも、いまだ「あんこ」を用いた菓子は愛され続け、新作さえも生まれている。その味が苦手な読者もおられるだろうが、日本の食文化を彩る名脇役としての「あんこ」を少しでも見直してもらいたい。勿論、小生は朝からあんパンでも大福でも大歓迎だ。でも、明日の朝食は「ぜんざい」にしようかな。

文=犬山しんのすけ