世界が滅んだそのあとも、パンのおいしさは変わらない『絶滅世界で食パンを』【書評】
PR 更新日:2025/1/23

普段、慣れ親しんでいるものであっても、見方が変われば、その評価はガラリと変わる。キャラクターの目を通して、自分の日常を見つめ直す、そんな「日常の再発見」「日常の再定義」もマンガを読む楽しみのひとつではないだろうか。作中で扱われるものが、生活から切り離すことのできない、 言ってしまえば「ありきたりなもの」であればあるほど、その価値に気づいたときの驚きは大きい。『絶滅世界で食パンを』(あおいましろう/講談社) がフォーカスするのは、タイトルにもあるとおり「食パン」だ。
数年前、高級食パンがブームになったことがある。しかし、この作品でキャラクターたちがおいしそうに頬張るのは、なんてことのない普通の食パン。それでも彼、彼女らにとっては、文字通り初めて口にするようなごちそうなのだ。 なぜなら作中では文明世界は崩壊しており、文化レベルは大きく後退、人々は小さな集落で寄り添うように暮らし、食事にありつけない日もある。そんな世界において、ほんのり甘い食パンは、何もつけなくても、何枚でも口にしたくなるようなもの。

主人公・イカルと食パンとの出会いは、彼女の生まれ故郷「ソゴシエの里」からの逃亡の最中だった。里は、厳格な身分制度、教育の制限、出生数の管理など、多くの人々の自由と引き換えに、なんとか人類の火を絶やさないでいた。女性は18歳になると里の決めた男性と子をもうけ ることを強要される。そんな里の体制に疑問を持ったイカルは、18歳を迎えたことをきっかけに、幼い妹・アトリ を連れて衝動的に里から逃げ出す。すぐそばに"死"のある里の外の世界で、幸運にも彼女たちは文明時代の施設を見つけ、そこにあった大量の保存用食パンと出会う。

そんなハードな設定の物語なのだが、幼いアトリの無邪気な振る舞いと、彼女を守ろうとするイカルの(ときに空回りもする)ひたむきさのおかげで、重たい雰囲気を感じることはない。出てくる食事も「焼いてもいない素の食パン」「目玉焼きトースト」「フレンチトースト風たまごパン」と特別なものは何もない。けれど、それまで食事といえば命をつなぐためだけの行為だった彼女たちが、食の喜びを知り、目を輝かせて頬張る食パンの、何ともおいしそうなこと! 読んでいると、トースターから漂ってくる、あの香ばしい匂いのことを思い出す。

家庭を持つことすら、一部の階級の特権だった里においては、食事の際の談笑というのも、特別なことだったのではないだろうか。作中、里での食事は 配給制で、男女は言葉を交わすことすら禁じられている様子が描かれている。イカルたちの笑顔のあふれる食事の様子を見ていると「何を食べるか」も大切だけれど、「『誰と』『どう』食べるか」も大切なことだと気がつかされる。
いつかの未来、世界が滅んだあとの出来事として描かれている里の問題だが、現代にも通ずるところがある。社会が抱える問題に、弱者である姉妹が挑んでいく、そんな骨太な一面も兼ね備えた作品でもあるけれど、まずはこの作品に込められた明日の朝食に並ぶトーストが、ひと味違う特別な1枚に変わる魔法をぜひ体験してみてほしい。「朝はご飯」派な方も、この作品を読めば、トーストで1日を始めてみたくなるのではないだろうか。