伊藤朱里×ラランド・ニシダ 2020年代の悪意のあり方の資料になるような作品『※個人の感想です』『ただ君に幸あらんことを』刊行記念対談
更新日:2025/2/17

『きみはだれかのどうでもいい人』をはじめ、鋭い描写力が光る作品で多くの読者に支持されてきた伊藤朱里さんと、デビュー作『不器用で』の完成度の高さで話題を呼んだお笑いコンビ「ラランド」のニシダさん。お二人はそれぞれ、推し活やSNSを題材とした短編集『※個人の感想です』と、家族関係をテーマとした中編集『ただ君に幸あらんことを』を2025年1月31日に刊行。共通の担当編集者を交えて、お互いの作品について語っていただきました。
■デビュー作らしからぬデビュー作
伊藤朱里(以下、伊藤):昨年、すごく面白いからと編集者さんに薦めていただいて『不器用で』を拝読したんですが、私が考えていた「デビュー作」とは少し違う印象だったんです。デビュー作なのにクオリティが高いというのはプロに対する褒め言葉にはならないと思うので、別の意味で。
というのも、初めて小説を書くときって、好きな作家の文体やテーマの模倣を試みながら既に存在する「理想の小説」に近いものを書こうとした末に「あ、無理なんだな。自分は誰にもなれないから、自分のものを書くしかないんだ」と諦めるプロセスがあって、そこから自分自身の心をむき出しにして書くことでようやく「自分の小説」として成立させたものがその作家のデビュー作になる、という印象が私にはあったんですね。
ニシダさんの小説には、俺はこれを書きたいんだとか、自分はこういう人間だからという執着のようなものがなく、そこにある小説の世界に尽くすためだけに自分の才能や力を全部使っている感じがして。とてもフェアに小説と向き合っていらっしゃる方なんだなと思いました。特に、自分がどう見られるかを強く意識しなければいけないお仕事の方は、どうしても小説にもそのエッセンスが滲んでしまう気がします。それはいいことでもあるんですけど。でもニシダさんは作中で全然我を出してないのが、とにかくすごいという印象です。
ニシダ:ありがとうございます。
――ニシダさんは依頼されて小説を書き始めたのですよね。じゃあ書いてみるかというときに、まずは何かの模倣をしてみるのが普通かと思うのですが、ニシダさんは初めての短編からまったくそう感じさせない作風でした。試みたうえでやめたのか、最初からそういう発想ではなかったのか、どうなんでしょう。
ニシダ:最初に書いた小説が『不器用で』に収録されている「アクアリウム」なんですけど、それまで一回も小説を書いたことがない状態で始めていて。だから訳もわからずみたいなところもありました。小川洋子さんが好きなんですけど、真似できるとも思えないし。自分に書けるラインはどこなんだろうといろいろ考えた結果、こうなっていったのかなあと。
伊藤:自分は小川洋子さんにはなれないんだって、早々に自己分析をするのがすごいですね。
■Diorのファンデーションという感覚
伊藤:やっぱり作家って自分の作品をちゃんと読んで欲しいから、だいたいの場合「これはこういう小説ですよ」っていうのを最初の5ページぐらいで張っておくと思うんですよね。たとえ難解で前衛的な小説でも「これから難解で前衛的な世界をお見せしますよ」ということを見せるし。たぶんこういうものと思って読めばいいんだろうなという道筋のようなものを、読者に見せておきたいのが普通だと思うんですよ。
でもニシダさんの「国民的未亡人」を拝読したとき、私、じつは「どうしよう」って。すごく面白いんだけど「こうやって読んでくださいね」が提示されていないから、間違った感想を言ってしまうかもしれないって怖かった。だから今日、ご本人に作品についてお話しするの「やだなー」と思って(笑)。
ニシダ:「やだなー」と思われてた(笑)。
伊藤:見当違いなことを言っちゃったらどうしようって。ただ、それでもスムーズに読めてしまうくらい世界観が精密だったんです。たとえば最初のページに出てくる主人公がファンデーションを塗るシーンで、私は次のページをめくる前に「あ、Diorだな」と思ったんですよ。それで、めくったら本当に「Diorのリキッドファンデ」と書いてあった。この人はたぶんDiorのリキッドファンデを使っている女性なんだろうなというのが、ここまでの短い描写にギュッと詰まっていて。それだけ精密に書いてあるのに「こう読んでくださいね」という作者の自我を出さないというのは、なかなかできないことだなと思いました。
ニシダ:嬉しいです。
伊藤:化粧品にはもともと詳しいんですか?
ニシダ:いやそんなに……、でも自分でメイクをしたりはしますし、テレビ出演とかでメイクさんと話す機会もちょこちょこあるので。
伊藤: 三十代未亡人が使うファンデーションはDiorだろうなという肌感のようなものを、ニシダさんが摑んでるのがすごい。女性を違和感なく書ける男性作家の方はもちろんたくさんいらっしゃるんですけど、個人的に、女性目線の物語を読んでいて「怖っ」「ここまでわからないでよ、逆に」と思った方が二人いて。それが朝井リョウさんとニシダさんです。
ニシダ:あら、嬉しい。
伊藤:本当に、なんでなんだろう……なんでって言うのも野暮なんですけど。
■読者にどう読まれたいか
――最初の5ページでどう読まれたいかを張るというお話、ニシダさんはどうですか?
ニシダ:いや、まったく。シンプルに技術がないのもあるだろうし、やり方がわかってないっていうのも正直あります。
伊藤:私も自分で言っておいて、意図してそんなことをする技術はないんですけど……。
書き手としても、せっかく読んでいただくからにはできるだけ誤解されたくないし、つまんないなって途中で閉じられたくないから、どうしても書き出しを含めた最初って、こういう小説ですよと名刺を出す気持ちがどこかに乗ると思うんです。でもニシダさんの小説はすごくフラットに、精密な世界だけをポンと提示してくれる。めちゃくちゃ綺麗な外国の知らない街で目隠しを外されて「はぁ……」ってなる感じ。その景色が美しいからこそ、道筋が示されていなくても勝手に読み進めたくなるという印象があります。
ニシダ:嬉しいですね。美しい喩え。
――ニシダさんは、どう読んでほしいか考えながら書いていますか?
ニシダ:「こう読んでほしい」を考えるのは推敲の段階になってからかもしれないですね。最初は、自分の思ったものをちゃんと作ろうっていう意識の方が強い気がします。

伊藤:プロットとかは作られるんですか?
ニシダ:一応、こういう人とこういう人がいて、こういう状況で、最終的にこうなるだろうみたいなところまではなんとなく考えていますけど、その通りにならないときももちろんあります。
――『ただ君に幸あらんことを』はアイディア段階で、主人公が最後にとる思い切った行動まで決まっていましたよね。骨格は最初から決まっていたわけですが、苦労されたのはどのあたりでしょうか?
ニシダ:これまでに書いたものより気持ちが乗っている作品ではあったので、この状況ではこういう感情や行動にならないだろうかとか、本当にこれでいいのかな、みたいなことをずっと考えていて。最終的な文章の倍ぐらい書いて、半分は出す前に消している気がします。
――推敲をしっかりされるのも、お二人の共通点ですね。
伊藤:ゲラを見るとどうしても直したくなっちゃうんですよね……。でも、直しながら自分の小説の世界ばっかりに向き合っていると「これ面白いんだっけ」ってなりませんか?
ニシダ:なりますね。これの何が面白かったんだろうと思う時はもちろんあります。
伊藤:あれ、何が言いたかったんだっけ?とか、とんでもない矛盾があったらどうしようとか、直せば直すほど不安になる。どこかで手放す勇気が要るんでしょうね。もう最終段階というときなんかに、絶対ここ放っとけないんだよなっていうのが出てくると不安でしょうがない。ニシダさんも結構直されるんですね?
ニシダ:そうですね。その日の体調によって、ここ気になるなって日もあったり、でも次の日見たら、いや元のままでもいいのかもなって思ったり。一生終わりのない作業なんだろうな……。
伊藤:初校で直して、再校でまた直して、念校で「初校で修正する前の文章に戻っているんですが、本当にこれでいいんですか?」って校正から指摘が入ったこともありました。
ニシダ:長くやり続けたら、「そもそも全部なしなのでは?」と思ってしまう日が来る気がして。だからもう、逆にある程度時期を区切ってもらわないと、もう出さないほうがいいんじゃないかってなる日が来そうです。
――自分の中の自分はどんどん厳しくなりますよね。
■当事者として読むYouTube小説
――タレントであるニシダさんは、YouTubeやSNSを題材とした『※個人の感想です』をどう読まれたのでしょうか。
ニシダ:YouTubeは個人でもやっているし、コンビのチャンネルは登録者数100万人を超えていたりとか、小説を出している芸人について言及されていたりとか、自分に重なる部分は多かったですよね。
――「小説を出す芸人」は『※個人の感想です』のなかで明らかに悪口として書かれています(笑)。
伊藤:ごめんなさい、私もあらためて読み返してびっくりしました。わあ、こんなこと書いたっけって(笑)もちろん作中の登場人物の考えであって、私の考えではないんですけど。
ニシダ:いえいえ。でも、伊藤さんはどういう社会の見方をしてる人なのかなというのが気になりました。悪口っぽいところもあったり……。
伊藤:全編が悪口ですね。今作は特に、私も書いていてすごく疲れました。
ニシダ:紋切り型じゃない、一歩踏み込んだ悪口がいっぱい書いてあって、伊藤さんって怖い人なのかなと、読んだときはちょっと思いました(笑)。この見方をされたらタレントとしてはしんどいな、と思いながら読みましたね。
自分もタレントとして何かをするときに、たとえば大学を中退してることとか、もっと根源的なところだと太っていることを自虐したりとかして、それでウケるはウケるけど、受け取った側にどういう影響を与えるんだろうかと、やっぱり多少考えてしまう。考えても仕方ないなというのも、もちろん思ってるんですけど。
というのを以前から思っていたうえで1話目の「not for me(is myself)」を読んだとき、自分で想像しうる最悪の、あるいは想像以上に悪い帰結になっちゃってるなと思って、それがすごく心にきましたね。つらかった……。自分の動画のせいで過剰なダイエットをしているファンがいるんじゃないかと主人公は気にしてて、でも同じファンが実は……というのが、(主人公があまりにも可哀想で)「それはないぜ……」って。このお話、どこからスタートしてどうやって書いてらっしゃるんですか。
伊藤:そもそもの始まりは、この作品に取りかかろうというときに「コロナ禍は何をしていましたか?」と編集者さんに訊かれて、私が「ずっとYouTubeばかり見ていて当時の記憶が薄いんです」と答えたことです。じゃあYouTubeの小説を書きましょうと言っていただいて、実際に関係者に取材させていただいたり、関連する本を読んだり。私はアイドルも好きなので、推し活の一環でSNSを見る中で積み重なっていった違和感なども書いていきました。
私はニシダさんと逆でプロットをあまり作らないので、ほとんど何も決めずに書き始めて。でもテーマというか、これだけは絶対にこの小説で譲ってはならないというものをひとつだけ決めて、そこに沿う形でどう展開させていこうかと、今回は特にそういう書き方をしていた気がします。
だからニシダさんがつらいと仰ってくださった結末も、書き始めた時点でこうなるという予想はついていませんでした。本当に行き当たりばったりで。たまたまこう帰着したものを編集者さんに送って、怒られるかなって思ったら結構面白がってもらえたから、そこで初めて「あ、大丈夫だったのかな」と安心できた感じです。
ニシダ:悪意とか悪口って、たぶんずっと人類史にあるものでしょうけど、この2020年代のSNSやテレビやアイドルというものの中で生まれる悪意とか人の気持ちの切り取り方を描いた作品として、素晴らしいなと思いました。何千年後かにこの本を未来人が読んだら、この時代はこうだったんだなっていう資料になる感じ。
伊藤:嫌な時代やな~って(笑)。
ニシダ:本当にそれぐらい、同時代で読んでて、自分がタレントをやらせてもらっているという点も相まって、ああメンタルにくるぜ……と思いながら読みました。
伊藤:私にはずっと好きなアイドルがいて、正直アイドルって自分には直接関係のない存在なんですけど、その人たちを取り巻くSNS事情を見ているときに、他人事だからこそ客観的に「え、本当にそれでいいと思ってる?」と違和感を覚えることがあります。「本人のために言っている」風を装って、自分の感情をただぶつける人たちの何と多いことよって。でもアイドルは仕事柄、それに抵抗ができないというか、したくても難しい仕事だから。それでいいのかなっていう気持ちもまたあるし。
私が小説を書く中で決めているのが、私自身も加害者でなくてはいけないということなんです。この人は可哀想だから私が救ってあげる、という上から目線の救いで本当にだれかを救うことは難しいし、少なくとも私は救われない。自分も手を汚さないとわからない気持ちがあると思うんです。だから、小説の中で誰かを糾弾するときには私自身が一番の加害者でなくてはならないし、自分が自分に一番厳しくなくてはならないと思っています。執筆にあたってあらかじめ決めているとしてもそれだけですね。
だから、私はアイドルが好きでアイドルを庇うような小説を書いているけど、アイドルのために私が代弁してやってるぞっていう顔をし始めたら、すぐにでも殺してほしい。
ニシダ:そんなに? 殺してほしいレベルで?(笑)
伊藤:正義の味方になるぐらいだったら死にたい……信頼できる知人にも、私が「女性の代表として~」とか言い出したら殺してくださいって頼んであります。私が正義の味方ヅラをし出したら、すぐにでも首をはねてほしいって。そのテンションで自分が書いた小説は絶対、私自身にとっても面白くないし。
それでいうと、私は「ただ君に幸あらんことを」のモラハラ母の描写にかなり、うーって思いながら読んでました。ちゃんと向き合って読むのがつらい人もいるんじゃないかって。
ニシダ:ああ、そうですよね。
取材・文/編集部、撮影/後藤利江