理不尽なクレームに心が折れそう…でも休日の彼との約束を糧に頑張れる/おひとり様が、おとなり様に恋をして。⑧
公開日:2025/3/1
『おひとり様が、おとなり様に恋をして。』(佐倉伊織:著、欧坂ハル:イラスト/スターツ出版)第8回【全11回】
アラサーの万里子は、仕事のストレスや疲れをビールとおつまみで発散する、おひとり様暮らしを満喫していた。ある夜、鍵を落として家の前で困っているところを隣人の男性・沖に助けられる。話をしていくうちにふたりは以前にも会っていたことが判明。思わぬ再開から長年恋から遠ざかっていた万里子の日常が淡く色付き始めーー。恋愛小説レーベル「ベリーズ文庫with」から刊行の、恋愛下手な大人女子によるピュアラブストーリー『おひとり様が、おとなり様に恋をして。』をお楽しみください。

(佐倉伊織:著、欧坂ハル:イラスト/スターツ出版)
「お待たせして申し訳ございません。お電話代わりました。尾関と申します」
『遅い! 待たせるな』
「申し訳ございません」
受話器片手に頭を下げる。
「お車が動かないようですが、エンジンがかからないということでよろしいですか?」
『そう言っている!』
児玉さん、どこまで聞いたのよ……。
「バッテリー上がりかもしれませんね。すぐにロードサービスを派遣いたします。会社名とお名前、車のナンバーをお伺いできますでしょうか?」
定期点検時にバッテリーの残量もチェックするけれど、ライトをつけっぱなしにしたなどのミスはある。そのため、バッテリー上がりは珍しくない。
なんとか会社名を聞き出し、契約状況をすぐにパソコンで調べると、眉間に深いしわが寄った。
「申し訳ございません。御社の契約をお調べしましたが、ロードサービスは対象外でして」
ロードサービスもオプションとしてつける会社がほとんどだけれど、経費節減のために外す会社も当然ある。その会社だったのだ。
『それじゃあ、どうしろというんだ! こっちはアポがあるんだよ!』
怒声が鼓膜を激しく揺らすので、少し受話器を遠ざけて話を続けた。
「御社のご担当は総務部のようですので、総務部にお問い合わせください。別のロードサービスを契約されているかもしれません」
『はっ? すぐ来いよ!』
「それでは手配いたします。契約外ですので、バッテリー上がりの対応の場合、二万五千円。交換となりますとバッテリー代も別途、前払いでお支払いいただきます」
担当部署まで教えたのに、こちらに非があるような言い方で怒鳴り散らすだけの人を相手にしていると、どんどん冷静になってくる。
『そんなに払えるか! この、能無しが!』
ようやく事態を呑み込めたらしい相手は、怒鳴るだけ怒鳴って電話を切った。
アポイントがあって焦っているのはわかるが、落ち度もないのに罵倒されるいわれはない。
調べたところでは該当の車は先月点検したばかりで、バッテリーも問題なかった。間違いなく自分でなにかやらかしたのだろう。
「尾関さん、どうなりました?」
児玉さんがおそるおそる話しかけてきた。彼女に言いたいことが山ほどある。
「うん。一応解決したかな? 私でなくても児玉さんでも対応できるお話だったと思うけどな」
「でも、尾関さんのほうがクレーム対応うまいしぃ」
まず語尾を伸ばさない!
そう口から出てきそうになったけれど、ぐっとこらえる。小さな営業所なので、ギスギスした雰囲気になるのもよくないからだ。
「やらないとできるようにならないから、今度は頑張ろうね」
責任者として一応釘を刺さなければと思ったけれど強くは言えず、作った笑顔で伝えると、彼女は渋々うなずいた。
ああ、私にもっと勇気があったなら……。少しくらい気まずい空気が流れても飄々としていられるくらい心が強ければ、思いきり雷を落とせるのに。
そもそもクレームの対応を引き受けたって、ストレス手当なんて出ないのだからやりたくない。
「尾関さん、すみません。例の契約書は……」
ピリピリした空気を読んだらしい二十四歳の営業の花本くんが、腰を低くして尋ねてくる。
「できてるよ。ちょっと待ってね」
私がデスクの引き出しをガサゴソし始めると、彼はホッとした顔を見せた。以前児玉さんに急ぎの契約書を頼んだのに、期日までに間に合わなかったことがあるからだろう。
「はい、これ」
「さすが、神!」
あのキーホルダーを私の鍵に無理やりつけたのは、彼だ。
「はいはい」
私は軽く流した。
「つれないですね。キーホルダー追加しましょうか。今度は〝仏〟なんてどうでしょう」
そもそもあのダサいキーホルダーはどこで手に入れるのだろう。もちろん、欲しいわけではないけれど、単純に気になる。
「いらないわよ」
「えー、神は気に入ってつけてたじゃないですか」
面倒で外してなかっただけなのに、気に入っていたと思われてるの?
「もう外したよ」
すぐに外すべきだった。そうしたら沖さんに見られなくて済んだのに。
でも、あのキーホルダーのおかげで鍵が見つかったような気もするし、複雑だ。
「なんだぁ、残念」
「急いでるんでしょ?」
「あっ、そうだ。行ってきます」
花本くんは、慌ただしく出ていった。
それからはたまっていた書類の打ち込みに精を出したものの、気が滅入ってキーボードを叩く手が止まる。
能無し、能無し……。
自分は悪くないとわかっていても、否定的な言葉は胸に刺さるものだ。月曜の朝から最悪な経験をして、ため息が漏れる。
占い、当たってるかも……。
家に帰ってビールが飲みたい。
まだ始まって三時間も経っていないのに、早くも心が折れそうだ。
けれど、今週を乗り切れば、エッグベネディクトが待っている。ううん、沖さんとまた会える。
休日は誰にも邪魔されたくないと思っていたのに、そんなふうに思う自分に少し戸惑う。でも、沖さんと話すのは楽しくて、会えるのが待ち遠しいのだ。
まるで恋でもしているかのような自分の心の弾み方に驚きつつ、再びキーボードに手を伸ばした。
<第9回に続く>