祖母の靴を丁寧に選ぶ彼女に好印象。思わぬ再会で変わる男性の心境/おひとり様が、おとなり様に恋をして。⑨

文芸・カルチャー

公開日:2025/3/2

おひとり様が、おとなり様に恋をして。』(佐倉伊織:著、欧坂ハル:イラスト/スターツ出版)第9回【全11回】

 アラサーの万里子は、仕事のストレスや疲れをビールとおつまみで発散する、おひとり様暮らしを満喫していた。ある夜、鍵を落として家の前で困っているところを隣人の男性・沖に助けられる。話をしていくうちにふたりは以前にも会っていたことが判明。思わぬ再開から長年恋から遠ざかっていた万里子の日常が淡く色付き始めーー。恋愛小説レーベル「ベリーズ文庫with」から刊行の、恋愛下手な大人女子によるピュアラブストーリー『おひとり様が、おとなり様に恋をして。』をお楽しみください。

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『おひとり様が、おとなり様に恋をして。』
(佐倉伊織:著、欧坂ハル:イラスト/スターツ出版)

素朴な彼女 Side沖

 鍵をなくして困っていた隣人が、以前、俺が勤めるスポーツ用品メーカー、レーブダッシュのスニーカーを買ってくれた女性だとわかったときは、かなり驚いた。

 尾関万里子と名乗った彼女は、初めて会ったときの礼儀正しい印象とはまるで異なり、少々ルーズな服装に大きめの黒縁眼鏡。艶のある髪は適当にざっくり結われていて、風呂上がりのよう。おそらく、部屋でくつろいでいるときの恰好だった。

 プライベートではひとりを好む俺は、近所付き合いもしないし、友人を家に招くこともほとんどない。このマンションに来るのは、同僚で親友の浅海くらいだ。

 だから隣の住民が女性だということしか知らず、知り合いだったという偶然に驚いた。

 彼女に初めて会ったのは、レーブダッシュの商品を数多く展開してくれているスポーツ用品店だった。

 俺は営業統括部に所属しており、スポーツ選手とのスポンサー契約を結んだり、現場から吸い上げた声を反映した商品開発を促したりするのが主な仕事となる。

 売り上げの大きなその店は、普段はリテール営業部の担当者が訪問しているのだが、その日はお願いしてあった市場調査のアンケートを回収するために赴いていた。

 店頭で八十代後半くらいに見える、杖を持ったおばあさんの足に何度もスニーカーを履かせている女性――尾関さんに気づいた俺は、何気なくふたりの様子を目で追っていた。丁寧に、そして優しく、おばあさんの面倒を見ている尾関さんに好感を抱いたからだ。

 何足も並べて履かせては立たせてみているものの、おばあさんの顔は曇るばかり。足の骨が変形しているのか、痛みがあるのだろう。

『おばあちゃん。でも、今のこの靴も痛いんだよね? 外に出られなくなっちゃうよ』

『もういいのよ。家で過ごせば』

『私、おばあちゃんと一緒にお散歩したいよ。あの時間、すごく楽しみなんだから』

 尾関さんが励ますように言うも、あきらめたように肩を落とすおばあさんは、このままでは本当に外出をあきらめてしまうかもしれない。

 そんなふうに思った俺は、ふたりに声をかけてフィッティングの手伝いをした。

 トップアスリートのためシューズも製作しているレーブダッシュでは、オーダーメイドのノウハウがある。その計測にも何度も立ち会っていて、それなりの知識があったからだ。

 完全オーダーとなるとかなりの価格になるため、中敷きで調節できないかと試してみることにした。ちょうどその店には、サイズを細かく測れる測定器があったのも幸いして、ウォーキングシューズとしてよく売れているスニーカーと、特注の中敷きでなんとかなりそうだとわかった。

 そのときの尾関さんのうれしそうな表情は忘れられない。自分のシューズではないのに、ここまで真剣になれる彼女は優しい人なのだろうと察した。

 その後、リテール営業部の担当者が、スポーツ用品店の店長から手紙を預かったと俺のところにやってきた。それは尾関さんからだった。

【親切な店員さんへ
 何度かお礼に伺ったのですが、お会いできず手紙を託すことにしました。
 祖母が散歩に行けるようになりました。
 足を痛めてから沈んでいたのですが、外の空気に触れて笑顔を取り戻しました。本当にありがとうございました】

 どうやら俺をあの店の店員と勘違いしていたらしい。

 手紙はアルバイトの女性に託されたようで、店長も尾関さんと話したわけでなく、俺がレーブダッシュの人間だとは伝わらなかったようだ。

 こんなふうに手紙をもらったのは初めてで、それからずっと大切にしまってある。

 その彼女に再会できるとは思ってもおらず、またあのときとは雰囲気がまるで異なる彼女にすぐに気づけなかった。

 せめて眼鏡でなければ、もっと早く気づいただろうに。

 すっぴんだった彼女は、俺がまじまじと見ると嫌がったが、俺は再会がうれしかった。

 ただ、残念なことに、おばあさんは亡くなったという。

 そう告白した尾関さんの顔がゆがんで、彼女は本当におばあさんを大切にしていたのだなとわかった。

 俺の祖父母はすでに亡くなっているが、幼い頃はまだしも、成長してからあまり顔を合わせた記憶もない。特に就職してからは自分のことで精いっぱいで、一度も会いに行かないまま、亡くなってしまった。

 周囲にも祖父母の面倒を見ている人なんておらず、それが普通だと思っていたのだが、尾関さんを見て、せめて顔を出して話し相手くらいにはなるべきだったかもしれないと後悔までしたのだった。

 そんな彼女と翌日また顔を合わせて、カフェに行く約束までした自分が信じられなかった。

 もう三十四歳になり周囲からは結婚を勧められる歳になっているが、まったくその気はなく、最後に女性と付き合ったのはもう十年以上前になる。

 そのときの出来事がきっかけで、結婚もしなくていいと思っているし、誰かとプライベートで交流を持つことにも消極的になった。

 それなのに、尾関さんとはもっと話がしてみたいと思ったのだ。

 見栄など張らず、正直にエッグベネディクトを食べたことがないと告白するのも好印象だった。

 俺も流行には鈍感で、どれだけ時代遅れと言われようが、気に入ったものを購入する。彼女のおばあさんに薦めたウォーキングシューズもそのうちのひとつだ。かなり昔からある定番のシューズで、俺自身が気に入って愛用しており、履き心地からデザインに至るまで自信をもって薦められる。

 それを気に入り、自分の分まで購入したとうれしそうに語った尾関さんとは気が合いそうだと感じた。

<第10回に続く>

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