フラれたから仕事に集中。そんな切り替えができる“たくましい自分”がイヤ/恋より仕事と決めたけど①
公開日:2025/2/22
『恋より仕事と決めたけど』(宝月なごみ:著、大橋キッカ:イラスト/スターツ出版)第1回【全11回】
「可愛げがない」とフラれ続けた神崎志都(かんざきしづ)は、恋は諦めて独身謳歌のため仕事に邁進中。しかし志都が最も苦手な人たらしの爽やかイケメン・真城昴矢(ましろこうや)とご近所になってしまう。その上、仕事で支えてくれる甘やかし上手な昴矢にタジタジ。これは恋まであと一歩!? 恋愛小説レーベル「ベリーズ文庫with」から刊行の焦れキュンオフィスラブストーリー『恋より仕事と決めたけど』をお楽しみください!

(宝月なごみ:著、大橋キッカ:イラスト/スターツ出版)
同じレジデンスの住人
誰にもチョコレートを贈ることのないバレンタインを終えた、二月の中旬。
暦の上は春でもまだまだ冷たい風を切って、私は走っていた。
神崎志都、大手の食品専門商社『パンドラパントリー』本社の国内営業部所属で、一昨年からワインプロジェクトチームのリーダーを務めている三十歳。
モノトーンのシンプルなランニングウエアに、イエローのシューズ。背中まであるストレートの髪は高い位置で結っている。
ランニングの習慣があるおかげで太ってはいないが、身長は平均より高めの一六八センチ。きつい性格だと誤解されやすい大きな猫目、尖った鼻や顎は、自分ではあまり気に入っていない。怒っていないのに『怒ってる?』なんて聞かれることも多いから、常に微笑みを意識していないといけないのも疲れる。
そんな日頃のストレスや仕事の悩みなどが複雑に絡み合う頭の中をクリアにするには、ランニングをするのが一番。学生時代から続けている習慣なので、この年にしては走れる方だと思う。
日曜日の午前九時過ぎ。平日より人の動き出しが遅いせいか、朝の気配が残る街の空気は爽やかだ。
隅田川沿いを海の方へ向かうにつれ、潮の香りが混じった風が肌を撫でていく。
ここは東京の臨海部、勝どき。会社のある浜松町までのアクセスもいいし、買い物をする場所にも困らない。土地や住宅の価格も相当なものだが、私は少々背伸びをしてグレードが高めの賃貸マンション――いわゆるレジデンスに今年から住み始めた。
背伸びといっても、自分の貯蓄額や会社の住宅補助、これからのライフプランなどしっかりと検討して選んだ物件なので、無理をしたわけではない。
これからもおひとり様で生きていくなら、快適な家に住んだ方が人生も充実するかな、なんて。付き合っていた恋人にフラれ、同居していた弟が結婚を決めひとり暮らしになった二年前から、漠然とそんなことを考えるようになった。
寂しさを忘れようと仕事に打ち込めばそれなりの評価は得られたけれど、独りぼっちでどことなく虚しい気持ちはどうしてもつきまとい、心機一転、新居へ引っ越したい思いがどんどん強くなった。
そうして、実際に不動産会社に足を運んで物件情報をリサーチしたり、モデルルームの見学を繰り返すこと数カ月。
ようやくここだ!と思える物件が見つかり、すべての手続き・準備を終えて入居できたのが、今年の一月。
新しい年を迎えたタイミングでの引っ越しは気持ちを切り替えるにもちょうどよくて、ここからリスタートだと前向きになれたつもりだったのに……。
『強い女ぶってるだけかと思いきや、本当にたくましいよな。もうちょっと男を立てるってこと覚えた方がいいぞ』
ふいに、元恋人からの皮肉交じりの助言が、耳の奥でこだまする。耳に嵌めたワイヤレスイヤホンから音楽が流れているというのに、それよりもずっと大音量で。
その人に未練があるわけじゃない。
なのにこんなにも彼の言葉にとらわれているのは、本当は私自身が一番〝たくましい自分〟をコンプレックスに思っているからだろう――。
どんなに走ってもなんとなく無心になれないまま、海が見える埠頭でコースを折り返す。自宅方面へしばらく北上している途中、イヤホンの音楽が自動で停止し、スマホの着信音が流れてきた。
走る速度を緩め、斜めにかけたランニングポーチからスマホを出す。電話を掛けてきたのは、弟嫁の千笑ちゃんだった。私には弟がふたりいるけれど、前のマンションで同居していたすぐ下の弟・大志の奥さんだ。
『もしもし、お義姉さん? 今大丈夫ですか?』
「うん、平気。ランニングしてきたとこ」
本当はまだ途中だったけれど、あまり気分転換にはなっていなかったので、このまま歩いてマンションに帰ろうと決める。
彼女とは実の弟たち以上になんでも話せる仲で、時々こうして電話をしたり、女子会ランチを計画したりするのだ。
『あの辺、走るの気持ちよさそうですもんね。ところで私が送ったルームウエア、届いてます? お義姉さんが好きそうな柄で即買いしちゃったんですけど』
「ホント? うれしい~。まだ受け取ってないから、帰ったら不在票ないか見てみる」
外で身に着けるものや小物などはシンプルなものが多いけれど、家で着るものやインテリアは趣味全開にしている。というのも、あまり公にしたい趣味ではないからだ。
家族以外で千笑ちゃんだけがそれを知っていて、自分では買いにくいだろうからと時々プレゼントしてくれる。
『ちなみに最近、出会いとかないんですか? もちろんメンズですよ? ご近所さんとか』
「千笑ちゃん……私が出会いを期待して引っ越したわけじゃないの知ってるでしょ? せっかくおひとり様生活を謳歌しているところなんだから、メンズとの出会いなんてむしろない方がいいの」
千笑ちゃんは親切なだけに少しお節介なところがあって、私が前の恋人と別れてからしきりに新しい出会いを勧めてくる。彼女自身がかなりの恋愛体質らしく、弟との結婚生活についても、一度話し出すと惚気が止まらない。
『そりゃ知ってますけど……お姉さん美人だし、せっかく大手に勤めてハイスぺイケメンたちに囲まれているのに、もったいないなぁって』
「まぁ、確かにモテそうな人たちは多いけど。そういうキラキラした人って苦手なのよ。勝手な偏見だけど、腹黒い部分がありそうで」
千笑ちゃんには『偏見』と言ったけれど、本当は実体験でもあった。熱心に仕事を指導してくれていた憧れの先輩から、突然手のひらを返された経験があるのだ。
『だからって、家で〝ボブ〟とばっかり戯れてちゃダメですよ? お義姉さんの趣味をわかってくれるスパダリだって、きっとどこかにいますから!』
「う~ん……スパダリねぇ」
曖昧に濁しながら歩いていると、建設中のビルがいくつも見えてきた。
その奥でひときわ存在感を放っているのが、私が住むマンションだ。地上二十六階建てで、青空に映える白い外壁が眩しい。
『あっ、大志が起きてきた。それじゃお姉さん、また今度、ランチでもしましょうね』
「わかった。ルームウエア届いたら報告するね、ありがとう」
千笑ちゃんとの通話を終え、マンションの敷地へ入る。出て行く時には空いていた平面駐車スペースに引っ越し業者のトラックが停まっていた。
人気の新築マンションだがわずかに空室もあるらしいので、新しい住人がまた増えたのだろう。
<第2回に続く>