新入社員の頃からの大事な取引店なのに…「寂れた店」と馬鹿にした先輩が許せない/恋より仕事と決めたけど⑤
公開日:2025/2/26
『恋より仕事と決めたけど』(宝月なごみ:著、大橋キッカ:イラスト/スターツ出版)第5回【全11回】
「可愛げがない」とフラれ続けた神崎志都(かんざきしづ)は、恋は諦めて独身謳歌のため仕事に邁進中。しかし志都が最も苦手な人たらしの爽やかイケメン・真城昴矢(ましろこうや)とご近所になってしまう。その上、仕事で支えてくれる甘やかし上手な昴矢にタジタジ。これは恋まであと一歩!? 恋愛小説レーベル「ベリーズ文庫with」から刊行の焦れキュンオフィスラブストーリー『恋より仕事と決めたけど』をお楽しみください!

(宝月なごみ:著、大橋キッカ:イラスト/スターツ出版)
「いつもありがとうございます、神崎さん。月に五本売れるか売れないかのこんな小さな店にもよくしてくれて」
初老の店主が、タブレットで売り上げを確認する私の横でしみじみと目を細めた。
いつも外回りの最後に立ち寄る、会社近くのワインバー『残照』。入社してからずっと取引のあるお得意様なので、すっかり顔なじみだ。
夜からの営業に合わせてすっきり片付いた店内にはアンティーク調の家具が多く、えんじ色のソファやスツール、頭上にぶら下がるチューリップ型の照明も相まって、レトロな雰囲気だ。
「とんでもないです。最初は一本だったのをここまで増やしていただいて、ありがたい限りですよ」
「そうは言ってもね……。こうしている間にも、神崎さんの貴重な時間を奪っているでしょう? だったら、こんな年寄りの小さな店には見切りをつけて、多く仕入れてくれる店を開拓した方が会社のためになるんじゃありませんか?」
どこか気落ちした様子で、店主が語りかけてくる。いつも売り上げはその日暮らせるぎりぎり。それでも、この店を続けることが生きがいなのだとこれまで何度も聞かされていただけに、急にどうしたのだろうと心配になる。
「そんなことありません。弊社はこだわり抜いて選んだ商品を大切に扱ってくださる取引先様であれば、企業の規模に関係なく契約させていただきますし、お店の積極的なサポーターにもなりますから。どうぞご心配なさらないでください」
「そうかい? それならいいんだけど……」
言葉のわりに、店主の表情は浮かないままだ。
「なにか気になることがあるんですか? もしそうなら、遠慮なくご相談ください」
こうした個人店とのお付き合いでは、勇気を出して相手の懐に一歩踏み込んでみることも珍しくない。そこまでしなくていいと言う営業担当もいるだろうけれど、付き合いが長くなればなるほど、ビジネスだけにとどまらない絆が生まれていくのがわかる。お互いに商売でも、結局は人対人。目を見て話すことで生まれる信頼関係は、他のなにものにも代えがたい。
「実は……こないだ、神崎さんの同僚らしいお客さんが来ましてね」
「私の同僚?」
ということは、営業部の誰かということ? それとも他部署の社員だろうか。
「カウンター席ではなくて、そっちのボックス席に男性四人くらいのグループで座っていました。そこで、仕事の愚痴大会が始まって」
店主の言いにくそうな様子に、なんとなく愚痴の内容を察した。
針ヶ谷さんほどわかりやすく態度には出さなくても、営業部で私を疎ましく思っている社員が他にもいるというのは、肌で感じている。
店主がこんなに言いにくそうにしているのも、きっとそれが理由だ。
「その愚痴が、私に関することだったんですね? ここまできたらおっしゃってください。私なら大丈夫ですから」
店主に向かってふっと微笑む。
〝大丈夫〟――自分にそう暗示をかけるのは昔から得意なのだ。
「……わかりました。本来お客さんの会話を第三者に明かすのはあるまじきことですが、今回ばかりは私も黙ったままでいるのは心苦しい。なによりあなた自身に関係のある話ですし」
店主は小さく息を吸って、こちらを見る。私もジッと目を合わせ、傷つく覚悟を決めた。
「彼らは私が年寄りだから耳が遠いとでも思ったのか、それともお酒を飲んで気が大きくなってしまったのか、笑いながら大声で話していました。『神崎も馬鹿だよな。新入社員の頃に契約してくれた恩義があるってだけで、こんな寂れた店にいつまでも尽くして』――と。それを聞いた他の仲間たちも、どっと笑って大盛り上がり。ですから、半信半疑ではありつつも、もしかして神崎さんに無理をさせていたのかもと思ってしまって」
店主の寂しそうな苦笑いを見て、怒りがこみ上げた。
なんて馬鹿なことをしてくれたんだろう。
自分が槍玉に上がったことより、彼らがこの店を『寂れた』と表現し、店主に深刻な誤解を与えるような話をしていたというのが許せない。
そして、確信した。その飲みに来たグループの中に、針ヶ谷さんがいたであろうことを。
新入社員の時にこの店で契約を取り、どんなに小さな実績でもその感動が忘れられないのだと詳しく話して聞かせたのは、新人の頃に特別お世話になった彼だけ。
その場にいない人間の個人的な話を酒の肴にするばかりか、大切な取引先でその店を貶めるような発言をする無神経さが信じられない。
針ヶ谷さんへの怒りと店主への申し訳なさとで感情がぐちゃぐちゃだが、今はとにかく謝らなくては。
「同僚が失礼なことを言って、申し訳ございません……!」
「いやいや。私も、本当は胸に留めておくべき話を、あなたが嫌な思いをするとわかっていてお聞かせしてしまいました。すみません、この通りです」
店主はなにも悪くないのに、深々と頭を下げるので慌ててしまう。
「どうか頭を上げてください。悪いのはこちらですので……!」
「とんでもない。今日神崎さんと話して、あなたを疑った自分が恥ずかしくなりました。今後も大量にワインを仕入れるのは難しいですが、どうかこの店をよろしくお願いします」
あんなにひどい話を聞かされたら会社自体に不信感を持ってもおかしくないのに、この先も取引を継続してくれるようだ。確かな信頼を寄せられているのを感じ、不覚にも目頭が熱くなる。
「ありがとうございます。こちらこそ、末永くよろしくお願いいたします」
「ええ。たまには神崎さんも愚痴を言いに来てくださいね」
「わかりました。言われっぱなしじゃ悔しいですもんね」
店主の明るいフォローに救われ、笑顔を取り戻す。
もちろん、こんなに会社の近くの店で仕事の愚痴を大っぴらに話すことはできないけれど、この店には美味しいワインが揃っているから、ただそれを味わうのを楽しみに来よう――。
思いがけない話に動揺したものの、大切な取引先を失わずに済んでホッとしながら店を出る。
午後五時を過ぎたばかりだが外はすっかり真っ暗で、冷たい風にコートの前をかきあわせると、早足で会社へ急いだ。
<第6回に続く>