異動前の大仕事。念入りに準備した試飲会当日、手伝ってくれるはずの先輩が来ない!?/恋より仕事と決めたけど⑨

文芸・カルチャー

公開日:2025/3/2

恋より仕事と決めたけど』(宝月なごみ:著、大橋キッカ:イラスト/スターツ出版)第9回【全11回】

「可愛げがない」とフラれ続けた神崎志都(かんざきしづ)は、恋は諦めて独身謳歌のため仕事に邁進中。しかし志都が最も苦手な人たらしの爽やかイケメン・真城昴矢(ましろこうや)とご近所になってしまう。その上、仕事で支えてくれる甘やかし上手な昴矢にタジタジ。これは恋まであと一歩!? 恋愛小説レーベル「ベリーズ文庫with」から刊行の焦れキュンオフィスラブストーリー『恋より仕事と決めたけど』をお楽しみください!

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『恋より仕事と決めたけど』
(宝月なごみ:著、大橋キッカ:イラスト/スターツ出版)

 それから約二週間後、三月に入って間もなく正式に辞令が出た。

 四月一日付での異動に合わせ、仕事の引継ぎや取引先への挨拶でバタバタしつつ、最後の大仕事となった和食レストランでの試飲会の日がやって来た。

 針ヶ谷さんには必要以上の手伝いは期待できないので、ひとりで朝早くに出勤して準備を進める。前もって用意しておいたハーフリッターのワインを十二本、専用のクーラーボックスに入れ、書面の資料はファイルにまとめて自分のバッグに入れた。

 針ヶ谷さんにはクーラーボックスの運搬と、現地でワインを提供する作業の補助を頼んでいる。彼だって私よりキャリアが長い営業なのだから、さすがに客前で横柄な態度はとらないはず。

 あとは、私がどれだけうまくプレゼンできるかよね……。

 自分のデスクに置いたクーラーボックスの蓋を開け、一つひとつのワインの特徴を頭の中で反芻する。

 その時、私以外誰もいなかったオフィスに誰かが入ってくる足音がした。

 なにげなく振り向き、その人物と目が合う。

「おはよう。神崎さん、早いね」

「おはようございます。真城さんこそ」

「ああ、ちょっと昨日残した仕事がしたくて。そういえば、来月からきみが仲間になるって聞いたよ。改めてよろしく」

「いえ、こちらこそご挨拶が遅れてすみません。よろしくお願いします……!」

 このところ忙しかったから、彼とは顔を合わせていなかった。だからあまりピンときていなかったけれど、今後は真城さんと今まで以上に近しい同僚になるのだ。

「そんなに緊張しなくていいよ。わからないことがあったらなんでも聞いてくれていいし、悩み相談も随時受付中」

 私の緊張をほぐそうとしてくれているのだろう。優しい言葉もあえて軽い口調で言う彼は、本当に気遣いが上手な人だ。キラキラオーラを纏った人にはどうしても警戒心を抱くことが多かったけれど、彼のそれはきっと自然に内側から滲み出るものなのだろうと思い始めている。

 真城さんなら、一緒に仕事をするうちに苦手意識も薄れていくかもしれない。

「そのワインは?」

 そばまで歩み寄ってきた彼が、クーラーボックスを覗く。

「今日、営業先で試飲してもらうものです」

「こないだ資料室で言ってたやつか。これ、ひとりで運ぶの?」

「いえ。針ヶ谷さんに協力をお願いしています」

「……そう。その後、アイツに変なこと言われてない?」

 針ヶ谷さんの名が出た瞬間、真城さんの眉がピクリと震えた。一度私たちの言い合いを目撃しているから、心配してくれているようだ。

「大丈夫です。たとえなにか言われても、あと少しで異動ですから軽く流せますよ」

「神崎さんは強いな。それに聡明で心根がまっすぐだ。海外営業部での活躍を期待する浅井部長の気持ちがわかるよ。ちなみにこれは、営業トークじゃない」

 真城さんは一度も私から目を逸らすことなく言い切る。最後に付け足されたひと言で、心を見透かされた気がした。

 どうせお世辞に違いないと思ったからまじめに取り合う気はなかったのに……これじゃ、はぐらかせない。

「……恐縮です。真城さんみたいな優秀な方にそう言っていただけるなんて」

「こちらこそ。そんな風に言ってくれたきみをがっかりさせないように、精進するよ。それじゃ、試飲会頑張って」

 爽やかな微笑みでクーラーボックスをポンと軽く叩き、真城さんが私の席を離れていく。どこまでも朗らかでおごらない人だ。彼が仕事で結果を出し続けているのも、帰国初日に営業部の女性たちに囲まれていた理由も、言葉を交わせば交わすほどによくわかる。あんなにすごい人のそばで仕事ができることを、光栄に思わなきゃ。

 真城さんと話したことで改めて気合いが入った私は、試飲会の持ち物や手順を念入りにチェックしながら、同行する針ヶ谷さんが出勤してくるのを待った。

 

「……来ない」

 始業五分前の八時五十五分になっても、オフィスに針ヶ谷さんが現れない。

 やきもきしながら、腕時計と入り口の方を幾度となく見比べる。そうこうしているうちに朝礼の時間になり、部長から連絡事項が伝えられる。

「先ほど連絡がありましたが、針ヶ谷くんは今日、発熱でお休みだそうです。彼の予定は神崎さんがすべて把握していると聞いているので、各所への連絡、よろしくお願いします。皆さんも体調管理には十分気をつけてください。それでは次――」

 ……えっ。休み?

 まだ朝礼は続いていたが、呆気に取られて部長の声が遠ざかる。

 このタイミングで発熱って……私に対する当てつけで仮病を使っているわけじゃないよね? いや、いくら彼でもそこまでするはずがない。私や営業部のメンバーだけでなく、取引先にも迷惑がかかる恐れがあるもの。

 急病は誰にだってあることだし、ここにいない彼の思惑を勝手に想像して気を揉んでも意味はない。

 今日は彼を欠いた状態でやるしかないのだ。

 朝礼が終わると、彼の他に四人いるチームメンバーにスケジュールを聞いて回る。

 みんな気持ちだけは協力的だったけれど、午前中が丸々潰れる試飲会を手伝える余裕はなく、誰もつかまらない。

 針ヶ谷さんが私に協力したくないがために仮病を使っているのだとしたら私との個人的な関係のせいだし、どうしてもと無理に頼み込むことはできなかった。

「ひとりで行くしかない、か……」

 腹をくくり、クーラーボックスのベルトを肩にかける。五〇〇ミリリットルのボトルが十二本、つまり六キロ以上はあるワインの重さが一気にのしかかり、思わずよろめく。

 駅から近いレストランのため移動は電車にするつもりだったが、こんなことなら社用車の使用届を出しておくんだった。

 ……いや、運転に自信のない私ひとりじゃむしろ危険か。

 重い足取りでなんとかエレベーターホールに辿り着く。そして下行きのボタンに人差し指を伸ばした瞬間、肩が突然ふっと軽くなった。

<第10回に続く>

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