試飲会のワインを一人でで運ぶことに…やりきろうとしていると救いの手が!/恋より仕事と決めたけど⑩
公開日:2025/3/3
『恋より仕事と決めたけど』(宝月なごみ:著、大橋キッカ:イラスト/スターツ出版)第10回【全11回】
「可愛げがない」とフラれ続けた神崎志都(かんざきしづ)は、恋は諦めて独身謳歌のため仕事に邁進中。しかし志都が最も苦手な人たらしの爽やかイケメン・真城昴矢(ましろこうや)とご近所になってしまう。その上、仕事で支えてくれる甘やかし上手な昴矢にタジタジ。これは恋まであと一歩!? 恋愛小説レーベル「ベリーズ文庫with」から刊行の焦れキュンオフィスラブストーリー『恋より仕事と決めたけど』をお楽しみください!

(宝月なごみ:著、大橋キッカ:イラスト/スターツ出版)
「またひとりで重いものを運ぼうとしてる」
クーラーボックスのベルトを軽々と持ち上げ、呆れたように言ったのは真城さんだ。私を見つめる目は、咎めるような色をしている。
「し、仕方ないんです。針ヶ谷さんが急病で来れなくなってしまったので」
「急病……。それにしても、誰かにヘルプ頼めなかったのか?」
「みんな自分の仕事で手一杯ですから。とにかく、私なら大丈夫ですので返してください。真城さんもお忙しいでしょうし」
「ちなみに、これを持っていくレストランはどの辺り?」
「目黒の西口の方ですけど」
「じゃ、俺が行くのと同じ方向だ。社用車で送っていく」
「えっ? 結構です、そんな……っ」
断りたいのに、真城さんは目の前でドアが開いたエレベーターにさっさと乗ってしまう。クーラーボックスを返してくれないままなので、私も一緒に入るしかない。
「真城さん、お気持ちだけで大丈夫ですから……!」
「約束の時間は?」
「十時です」
答えながら、腕時計を見る。現在九時半過ぎ。浜松町から目黒までは十五分弱。
レストランは駅のほぼ目の前だから、余裕たっぷりとは言えないが、急げば間に合う時間だ。
「これを担いでいたら間に合うかどうか怪しいだろ。人の多い駅で転倒でもしたら危ないし」
「もちろん気をつけます。それに、緩衝材をしっかり詰めてありますから瓶が割れる可能性もありません」
「俺が心配しているのはワインじゃない、きみのこと」
思いもよらない言葉をかけられ、ぽかんとする。
少し怒っているようにも見える真城さんの眼差しは真剣だ。
レストランに持っていく前にワインがダメになったらどうする。彼が言いたいのはそういうことだとばかり思っていたのに……まさか、私のことを心配していたなんて。
「きみは強くて賢い人だけど、だからって全部ひとりで解決しようとするなよ。ピンチの時は、使えるものは使う。今だって、たまたま同じ方向に用がある同僚がいるんだから、むしろ一緒に行かない方が非効率だろ。俺たちはもうすぐ仲間になるんだし、遠慮なく頼って」
悔しいけれど、反論の余地がなかった。
いくら間に合うといっても、重たく大きなクーラーボックスを担いだ状態では人の多い電車や駅で苦労するのは目に見えている。彼の言うように万が一どこかで転倒した場合、ワインが無事でも私になにかあったら、結局は取引先に迷惑をかけることになってしまう。……考えればわかることなのに。
「すみません……。お言葉に甘えてもいいでしょうか」
「もちろん。責任を持って送り届けるよ」
社用車でレストランまで行けると思うと、針ヶ谷さんが病欠だと聞いてから張り詰めていた気持ちが、少し緩む。真城さんの前では大丈夫だと突っ張っておきながら、本当はちゃんと間に合うかどうか、自分でも少し不安だったのだと思う。
三人姉弟の長女として、ふたりの弟よりしっかりしなくてはと思いながら育ったからだろうか。私は誰かに頼るのが苦手で、だから何事も自分で解決できるように、できるだけ周囲に迷惑をかけないように振舞う癖がある。今回の件もそうしたかったけれど、真城さんの言葉には有無を言わせない説得力と、優しさがあった。
無理にでも電車で行こうとしていたのは、私のつまらない意地。ただの自己満足でしかなかったのだと、彼のおかげでようやく気がついた。
時間に余裕を持ってレストランに到着し、真城さんと別れる。
店ではオーナー兼料理長の男性と、若い板前さんがふたり、私を出迎えてくれた。
カウンターとテーブル席を合わせ二十席の小ぢんまりとした店だが、和食とワインのペアリングが話題を呼んで予約は二カ月先までいっぱい。定休日には料理長自らが市場や契約農家のもとへ足を運び、素材を厳選しているそう。
そんな忙しい合間を縫って、私が勧めるワインを試してくれようとしているのだ。
絶対に無駄な時間にはさせない……。
気合い十分に挨拶し、さっそくクーラーボックスを開ける。針ヶ谷さんに手伝ってもらおうと思っていたグラスの用意などは板前さんが手を貸してくれ、最初こそ遠慮したけれど、お言葉に甘えることにした。
事前に料理長から『店のグラスで味をみたい』と申し出があり、グラスは貸してもらうことになっていたので、素人の私が扱うより店のスタッフに任せた方が安全だ。
こうして彼らの厚意を素直に受け取ってスムーズに準備が進められたのは、たぶん直前に真城さんとのやり取りがあったからだろう。
だからといって私の性格が急に変わったわけではないし、なんでもかんでも人に甘えるのがいいとはもちろん思わない。
でも、差し伸べられた手を取る勇気も、時には必要なんだよね、きっと……。
板前さんたちと一緒になって試飲会の準備を進めながら、頭の片隅でぼんやりそう思った。
「それでは、本日はお時間をいただきありがとうございました」
試飲会の後、料理長は丁寧に店の外まで見送りしてくれた。これまで気難しい顔ばかりしていたのに、今ではその欠片もない。
その理由は、料理長がこちらの想定以上にワインを気に入ってくれたからだった。
試飲会の最中には『こりゃ、一本取られたな……』といううれしいひと言もあった。
なんでも料理長は、レストランで提供する食材はすべて国産のものにこだわっていたものの、日本のワインには疎く、上質なワインは外国産だけだと思い込んでいたらしい。私の持参したワインを口に運ぶたびその香りと美味しさに感嘆し、ひと通り飲み終えた後で、例のひと言を漏らしたというわけだ。
具体的な発注数などはまだ未定だが、早めに店のスタッフ内で相談し、連絡をくれるそう。私が来月異動になってしまうことを伝えると、料理長は残念がってくれた。
『手柄を後任の方に取られたら大変ですから、月が替わる前に連絡します』なんて、冗談まで添えて。
「こちらこそ。日本のワインの素晴らしさを教えていただいて、勉強になりました。お気をつけておかえりください」
「ありがとうございます。失礼いたします」
料理長に別れを告げ、駅へ向かう。肩から提げたクーラーボックスが軽いのは、ワインが空になったからという物理的な理由の他に、仕事がうまくいった達成感も関係ある気がした。
<第11回に続く>