死を近くに感じるけどなぜか怖くない…息子の出産前夜に体験した不思議な出来事/子育てのトリセツ
公開日:2025/3/12
子育ては思い通りにいかないことの連続で、心身ともにいっぱいいっぱいになってしまうこともありますよね。
そんな時に手にとってほしい、人口知能や脳科学の専門家で、生き方の指南書が好評の黒川伊保子氏による子育て本『子育てのトリセツ 母であることに、ときどき疲れるあなたへ』をご紹介します。
失敗を怒らない、対等に付き合う…黒川氏自らが子育てで実践し、脳科学の裏づけをもとにした目からウロコの子育て法。妊娠中の人、思春期の子どもがいる人、子離れ中の人…子育てのあらゆる段階に役立ち、「一般的」とされている育児の常識を、最新の脳科学と自身の実体験で覆します。
※本記事は書籍『子育てのトリセツ 母であることに、ときどき疲れるあなたへ』(黒川伊保子/ポプラ社)から一部抜粋・編集しました

母であることに、ときどき疲れるあなたへ』
(黒川伊保子/ポプラ社)
出産前夜のミステリー
息子は、8月の暑い盛りに、生まれてきた。
あの日は、私が一生で一度だけ、本気で命を投げ出した日だった。この子が無事生まれてくれたら、命さえいらない……何千年の時を超えて、世界中の母たちが繰り返したに違いない、ひとつの祈り。今この瞬間にも、世界中で多くの母たちが、その祈りの中にいるのに違いない。
出産前夜の不思議な感覚を、私は今でも思い出す。
その晩、眠りについた私は、深い眠りに落ちる寸前に、ふと目が覚めた。何か尋常じゃない気配を感じて。霊ではなく、時空の亀裂と言ったほうが当たっているかも。私の枕のすぐ上で、トンネルのような穴が開いた感覚があったのだ。深い深いトンネルだった。私の後頭部のわずか10センチほどのところに、その空間はぽっかりと口を開けた。ごぅっという音を聞いた気がした。私の脳裏に浮かんだのは、「死が近くにある」という感覚だった。
しかし、なぜか、私はちっとも怖くなかった。そこは懐かしい場所につながっている気がしたからだ。翌早朝、お産が始まった。
あの感覚は、科学では説明できない。でも、私は、あのとき、あの世とのチャネルが開いたのだと信じている。そこから、息子はやってきた。あるいは、私自身がその近くにいたということか。
宇宙の謎が続々と明らかになる21世紀になっても、いのちがどこからやってきて、どこへいくかの謎は解けない。私は、息子を産んだことで、そこに触れることができた。触れてみたら、とても厳かな場所で、何の不安もなかった。だから、それでいい。いつか、あそこに帰ればいい。科学の証明を待たなくても、私の中に納得が降りてきた。
「いのちがけ」の営みだけが見せてくれるものがある。女たちは、その特権を持っている。だから、世界の果てまで冒険の旅に出なくたっていいのである。母であることだけで、人生は冒険だ。
帝王切開児の脳は未完成?
かくして、母と子は、共に、人生で一番苦しい作業を乗り越える。
と言いながら、私自身は、産道を通るという苦業を免れている。帝王切開児なのである。
30年ほど前だったか、アメリカの産婦人科医が書いた本があった。タイトルか帯にあった帝王切開児症候群ということばに惹かれて、その本を読んだ記憶がある。
その本によれば、帝王切開に至る出産の7割近くが、原因がよくわからないのだという。つまり、へその緒が巻きつくとか、児頭骨盤不適合とかの明確な原因がないのに、陣痛が長引いているのに子どもが降りてこないケースが多い。そして、帝王切開で生まれた子の過半数がセーターをかぶるのを泣いて嫌がり、狭所恐怖症の発生率が高い。さらに、「ものごとに執着せず、あきらめがいい」などの共通の性格的特徴がある。
つまり、帝王切開に至る原因の第一位は、母体の問題ではなく、「子どもが産道を通ることを拒んだから」だと、その著者は結論付けていた。
その主張が科学的に正しいかどうかは、私には追跡できないので、この際置いておこう。ただ、産科医のこの実感は、私のケースにはぴったりだった。
私は、小さいときからセーターやシャツを頭からかぶるのが苦手で、ものごころついてからもまだ着せられる度にべそをかいていた。今も、タートルネックの服は着られない。都会の雑居ビルの小さなエレベータに乗れない程度の狭所恐怖症である。
ものごとに執着せず、あきらめが早いのも幼いころからの特徴だ。子どものころから、大切なものが壊れたり無くなったりすると、悲しい反面、どこかほっとする癖があった。執着から解放されるからだ、と言語化できたのは、大人になってからだったけれども。
母にお産の経過を聞いてみると、「陣痛が進んでいるのに、あなたがどんどん上に上がってきて、胃の方まできた。鉗子も使えないくらい、産道から遠かった。原因はわからないけど、このままでは危ないと言われて、帝王切開になった」という。
帝王切開で生まれた知人に聞いて回ると、確かに3人に2人は似たようなことを言う。帝王切開児と言っても、私の弟のように、第一子が帝王切開だったせいで、陣痛が起こる前に帝王切開で取りだされるケースもあり、ひとくくりにはできないのだが、「子どもが産道を通ることを躊躇するケース」はあるような気がする。少なくとも私はきっと、そうだったに違いない。
私は、人生で一度も理想を掲げたこともないし、目的のために何かに耐えたことがない。向上心というのが、まるでないのである。一方で、人生最初にして最大の苦しみをパスできたせいか、楽観主義も甚だしい。だって、一度生きるのをあきらめたのだもの、生きているだけで丸もうけ。向上心はないけど、嫌なことは嫌だと言う潔さと好奇心だけでここまで来たし、今日も幸せに生きている。
というわけで、帝王切開で赤ちゃんを産んだお母さんは、罪悪感を覚える場合があるそうだけど、ぜんぜん気にしなくて大丈夫。赤ちゃん自体が、それを選んだ可能性が高いし、その性格は、生きるのに割と楽である。
脳科学者の中には、産道を通ることで、脳が完成すると言う人もいる。脳は頭蓋骨が変形するほど締め付けられて解放されるという人生最大のクライシスを経験し、噴出する脳内麻薬も人生最大量になるからだ。その話を聴くたびに、「私の脳は未完成ってことかい」と、心の中でつっこみを入れている(微笑)。
まぁ、未完成というなら、未完成でもいい。私は、自分の研究領域で、さまざまな発見ができたのだもの。未完成のおかげなら、未完成万歳だ。
でもね、こういう専門家の一言が、帝王切開児の母親を傷つけることがあるのが嫌。テレビでその発言を聴いた私の母が、私に謝ってくれたもの。娘が40になろうというときに。私は、先の帝王切開児症候群の話をし、「帝王切開になったのは、私のせい。お母さんこそ、お腹を切ることになっちゃってごめんね」と謝った。
<第2回に続く>