「ひとは満ち足りてしまうことが 怖いだけ」“大人をお休みしたい”あなたに寄り添う、やわらかくも驚きに満ちた詩集『大人をお休みする日』【書評】
公開日:2025/3/22

平日20時30分。文月悠光の新詩集『大人をお休みする日』について話を聞くために、まだ賑わっているカフェで待ち合わせた。筆者の友人でもある文月に「この詩集をどのような人に読んでほしいですか?」と聞くと、文月はすこし考えて「自分と同世代から下の女性たちに届いたらいいなと思っていて。それって、現代詩の読者層とは違うんですよね。詩に偏見なく出会ってもらえたら、発見をしてもらえたら嬉しい」と答えた。
文月は1991年生まれ。16歳で現代詩手帖賞を受賞し、高校3年で発表した第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社/ちくま文庫)で、中原中也賞、丸山豊記念現代詩賞を最年少18歳で受賞。現在、詩作の傍ら、現代詩の解説、詩作講座、詩、エッセイ、小説の執筆のほか、作詞、書評、広告のコピーライティングなど幅広く活動を行っている。
2025年2月に刊行された詩集『大人をお休みする日』(角川春樹事務所)には、8年の歳月がかかっている。女性誌の「mina」、「婦人之友」で連載し、100編以上あった詩を45編までに厳選したという。本書は8章に分けられ、それぞれ「恋をすること」「自分を愛すること」「女ともだちへ」「心を生かすために」……など、まさに20~30代女性に寄り添った詩が並ぶ。抜粋しよう。
年下のあなたに会うと思い出す。
にぎやかな通りにふと訪れた
つかのまの静けさ。
(中略)
あなたを手助けすることと、
あなたにわたしがいなくても大丈夫と
信じてあげることは、決して矛盾しない。
(後略)
「あなた」
「女ともだちへ」の章に並んでいる一編である。語り手「わたし」と、年下である「あなた」との確かな心の交流が描かれている。〈あなたにわたしがいなくても大丈夫〉という、友達との絶妙な距離感に頷いてしまう。
さて、歌人の穂村弘は、しばしば詩を「ワンダーとシンパシー」と表現している。
〈短歌が人を感動させるために必要な要素のうちで、大きなものが二つあると思う。それは共感と驚異である。共感とはシンパシーの感覚。「そういうことってある」「その気持ちわかる」と読者に思わせる力である。〉
〈共感=シンパシーの感覚に対して、驚異=ワンダーの感覚とは、「いままでみたこともない」「なんて不思議なんだ」という驚きを読者に与えるものである。〉
(『短歌という爆弾 今すぐ歌人になりたいあなたのために』穂村弘/小学館文庫)
詩の力は「ワンダー=驚異」と「シンパシー=共感」である。対して、『大人をお休みする日』は、「シンパシー」に舵を切っている。私のことは知らない、私ではない詩人が、私のことを書いている。そんな気持ちにさせられるのだ。易しい言葉選び、自然な改行と句読点。それらが空気を吸い込み吐き出すように配置されている。
(前略)
ひとはいつ教え込まれたのか。
(満たされてはいけない
立ち止まってはならない)
言い聞かせてひとり歩いた。
それでも空は告げにくる。
ひとは満ち足りてしまうことが
怖いだけではないかと。
(後略)
「空をまとう」
夕暮れのベランダに佇む「わたし」のモノローグと、美しい西日の景色で構成されている一編である。〈ひとは満ち足りてしまうことが/怖いだけではないかと。〉という一文にゾッとした。それは、満ち足りたいと願うのが普通ではないか、という先入観から来る感情だ。
「最後に伺いたいのですが、詩と散文って何が違いますか」不躾な質問だが、聞かなくてはいけないと思って聞いた。文月はしばらく考え込み、そして、「核心から語り始めることができるのが詩です」と口を開いた。「小説だと人物や物語などのいろんな要素が必要。詩はそうした要素は一切なしに言葉の声だけがある」なるほど。メモをしていると文月は「短い時間で読める詩は、タイパがいいはずなんですよね」と言って笑った。
私たちは日々忙しく「大人」をする。口を結んで、襟を正して。けれど、武装を解きたい日だってあっていいのだ。本書をそっと開き、ほんのすこしの時間でも「大人をお休み」してみてはいかがだろうか。共に、この世界で。
文=高松霞