川谷絵音「他人に適当なことを書かれるくらいなら自分で書く」。幼少期から現在までの“事件”を綴った初エッセイ、執筆の裏側【インタビュー】
公開日:2025/3/27

indigo la End、ゲスの極み乙女、ジェニーハイ、礼賛、ichikoroの5バンドを掛け持ち、ボーカリスト、ギタリスト、キーボーディスト、作詞家、作曲家、音楽プロデューサーとさまざまな顔で活躍するミュージシャンの川谷絵音さん。
このほど出版された待望の初エッセイ『持っている人』(KADOKAWA)では、これまでの人生やバンド、さらにはスキャンダル……いつも事件に巻き込まれていく日々をユーモラスに描いてみせた。川谷さんにとって「書く」ことはどういうことなのか、本書についての想いをお聞きした。
●人から適当なことを書かれるより自分で開示したほうが早い

――エッセイ、とても面白かったです。人間臭い恥ずかしいエピソードが多くて意外でした。そういうのを曝け出すのに抵抗はなかったですか?
川谷絵音(以下、川谷):ないですね。あんまりそういうことに対してカッコつけようって思ってないんで。僕のラジオとかを聴いてくれている人は、たぶん僕はこういう人間だと分かっていると思うのですが、何も知らない人にも知ってほしいと思った部分もありますし。
――勝手に真逆なイメージを持っていました。昔から自己開示するタイプだったのですか?
川谷:昔はそこまでするタイプじゃなかったですね。こういう仕事に就いてから、勝手にいろいろ言われるし書かれるから、むしろ「隠す必要がない」というか。人から適当なことを書かれるよりは自分で開示しちゃったほうが早いという感じですかね。
――帯の「生きてるだけで事件勃発」というコピーも強烈です。
川谷:いや、でも、なんかいいポップだなと思いました。最初は「パパラッチを捲いた」っていうのが後ろのほうに書いてあって、僕から「これを一番にしたほうがいいんじゃないですか?」って変えてもらったんです。だって、こんな経験がある人、あんまりいないと思うから。
――本書にはその件もすごく詳しく書かれていて驚きました。それだけでなく幼少期のお話でもそうですが、自分というものをすごく客観的に見るタイプだとも感じて。
川谷:それは自分でもいつも思っていましたね。小学生くらいから、家に帰ってその日の会話を反省したりしていたので。「アレ言わなければよかったな」とか、いつもそんなことばっかりだったし、今もそう。それが音楽なんかの創作につながっていたりするんだと思います。
――そもそも、エッセイ連載がはじまったきっかけはあるのでしょうか?
川谷:実は最初は「書き下ろしの小説」を書く話があって、執筆を進めていたのですが、途中で音楽活動との絡みでいっぱいいっぱいになっちゃったんですよね。そんなときに小原 晩さんの『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』(実業之日本社 *1万部を突破した伝説的ヒットの自費出版エッセイ集の商業出版版)を読んだらめちゃくちゃ面白くて、エッセイを書きたいと思って。ちょうど担当の編集者さんがKADOKAWAに移られることになって、いろいろ変わるタイミングでもあったので、僕から「エッセイにしてもいいですか」と言いました。
――じゃあ途中までは小説を書かれていたんですね。書くのはいかがでしたか?
川谷:僕は普段、歌詞を書いているわけですが、歌詞は「説明しすぎない」のが良さだと思っているんです。でも小説は説明しないといけないんですよね。昔から「小説書きませんか」といくつかの出版社からお話をいただいて書いたこともあったのですが、途中で「ここまで説明しないといけないの?無理だ……」って脳になっちゃうんですよね(笑)。別のスキルやセンスが必要なんだな、と。
――では、逆にエッセイは筆が乗った?
川谷:乗るときは乗ったけど、締め切りがきつかったですね。書き終わった後は「書いてよかったな」って思うのでいいんだけど、どこかでいつも「しんどいな」って思いながら書いています(笑)。
――それはやっぱり細かいことを書くのが面倒だから?
川谷:そうですね。編集の方から「ここがちょっと分かりづらい」とか「これは相手が嫌な気持ちになるかもしれない」とか指摘されたときに、「そんなん想像してよ」と思ってしまうんですね。歌詞はそこが抜け落ちても大丈夫だし、歌でも補完できるしメロディーもあるから想像で何とでもなるんです。だからやっぱり僕は完全に「歌詞脳の人間」なんだと思います。省いて省いて、想像してもらうのが好きでやっているところがありますから。