大村崑、93歳でも筋トレのおかげで8時間睡眠。現役最高齢の喜劇役者の矜持「家を一歩出ればそこは『大村崑』としての舞台」《インタビュー》

健康・美容

公開日:2025/3/28

 現役の喜劇役者として現在も活躍中の大村崑さん(93)が、このほどエッセイ集『93歳、崑ちゃんのハツラツ幸齢期』(中央公論新社)を上梓された。86歳からはじめた筋トレのこと、シニアレジデンス(自立型有料老人ホーム)での日々、生涯を振り返って胸に残る大事なこと…人生の大先輩の貴重なメッセージがつまった一冊は、終活世代だけでなくさまざまな世代に参考になるだろう。出版を記念して、今も「元気ハツラツ」な大村さんにお話をうかがった。

新幹線に乗るときもオロナミンCを片手に

――大村崑さんといえば「元気ハツラツ オロナミンC」。今も街で看板を見かけたりします。今日も胸にバッジをつけていらっしゃいますね。

大村崑さん(以下、大村):僕は新幹線に乗るときも、オロナミンCを持ってますよ。僕のことを見つけたお客さんから写真を頼まれたりするときに、オロナミンCを出すんです。僕とオロナミンCは親戚みたいなもんだから、笑ってくれるしね。最近、昭和レトロブームで看板の画像を使わせてほしいって連絡が僕のとこにくるんですよ。もう大塚製薬で当時担当していた人は誰もいないからね。なんで「僕の許可があったらオッケーです」って言ってます。このバッジも自分で作ってるのよ。お世話になった人にあげたりして。

advertisement

――その「元気ハツラツ」のイメージだったので、実は本書で大村さんの若い頃のご苦労を知って衝撃を受けました。

大村:僕は喜劇役者でしょ。人生で「どん底」を経験している人は必ず立派な喜劇役者になるんですよ。チャップリンや森繁久弥さんもそうですが、僕も自慢じゃないけど、人生ではどん底を見てきたんです。小2の時に父が腸チフスで亡くなったので、「チフスの子はあっちいけ」って近所でもいやがられて。それで僕は父の一番上の兄のうちに養子に行かされたんですが、その家のおばさんがとんでもないキツいおばさんでね。殴られて片っぽの耳が聞こえなくなっちゃった。それから小学校で先生が放ったボールが目にあたって弱視になって見えなくなった。生まれつき虚弱体質で、子どもの頃から病気ばっかりしてましたけど、19歳のときには結核を患って片っぽの肺も取ったしね。でもね、健康な人に負けないぐらい「笑い」の力は持ってました。

――本当に壮絶で驚きました。普通なら「恨み」のようなマイナスの感情に凝り固まってしまいそうです。

大村:僕の心の中の風呂敷っていうのかな、笑いの倉庫みたいなのがあってね。楽しかったやつはそこ、そうでなかったものはこっち、気持ちのいいものはあそこ、嫌なものを見たらこっちの下とかに入れちゃうんですよ。そうやってると、どんな感情もみんな芸の役に立つんですよ。

――しんどくても前に進んでいけたのは、何か支えがあったのでしょうか。

大村:それは友達ですよね。僕には腹割って助けてくれる友人が3人いました。寅さんこと渥美清と谷幹一と関敬六です。この3人がまだ全然売れないトリオを組んでいた頃、関西から東京にきた僕を助けてくれた。当時は関西の喜劇人はちょっと下にみられてて、いじめられることも多かったんですよ。東京に行くといつも谷やんの東京タワーが小さく見えるアパートに集まってね。渥美さんも結核の手術を受けていたから「崑ちゃん、お互いに右の胸がないんだからな。無理したらダメだよ」って言ってくれてね。

――本にも書かれていましたが、素敵な関係ですね。今はなかなかそんな深いつながりが作れない人も多いですから。

大村:今はこれ(スマホ)があるのが良し悪しですよね。当時はこんなものはないから、自分で行って、自分の目で確認して、物を言ったり、行動に起こすしかないから、真の友情ができたのかもしれない。でもね、3人とも死んじゃったからね。葬式では本当に泣きましたよ。会えないときは電話ばっかりかけてたから、今でも携帯の電話番号は消してません。でもね、電話をかけたって出ないんですよ。さみしいよね。

あわせて読みたい