「こんなんもう手の運動」大学受験で頭を使う問題はもうなかった。高校で出会った本物の天才/学歴狂の詩①

文芸・カルチャー

公開日:2025/5/22

 高二になり文理が分かれると、濱の圧勝ムードはより高まって手がつけられなくなった。その結果、私たちの定期テストはボクシング制を採ることになった。つまり1位の濱を「チャンピオン」とし、2位の人間を「1位」と呼ぶことになったのである。私は当初全体39位だった衝撃で戦略を練り直した上、今考えれば心身ともに破滅しかねないほどの時間を勉強にあてていたので、そこで「1位」になることが何度かあった。そうして校内での地位を確立し京大法学部に狙いを定めた頃、進路について担任との面談があった。

 当時、某R高校の面談と言えば「で、お前は京大の何学部にする?」という内容に終始しており、それ以下の大学にしようとすると結構ウザい説得を受けたらしいが、私は最初から京大突撃以外のことは考えていなかったので、特に面談で担任と話すこともなかった。担任は面談で私の京大法学部志望を確認すると、「ところで濱のことなんだが……」となぜか濱の話を始めた。

「あいつは京大文学部と言っとるが、正直この後ずっと寝てても受かる。東大合格者の人数も増やしていきたいから、佐川から東大文一にしろって言ってみてくれんか?」

 担任がなぜ私にそんなことを言ったのかはわからなかったが、私は「まあ、言うだけ言うてみます」と答えた。そして馬鹿らしいとは思いながらも、「京大文はこのままやと寝てても受かるから、東大にしたらええのにって担任が言うとったで」と冗談めかして濱に伝えた。すると濱は少し笑いながら、シャーペンをありえない速度でくるくる回した。それから私が気づかないうちに、濱の志望校は東大文一に変更されていた。もちろん、濱が私の言葉に影響されたわけはない。私などはそもそも濱の話し相手にもならないし、高校生にもなれば自分のことは自分で決めるものだ。そこには濱自身の考えがあったのだろう。

 そうして高三になった頃、濱は受験勉強に飽きたような雰囲気を醸し出し始めた。私が鮮明に覚えているのは、生物の『リードα』という問題集を授業中に解いていた時のことだ。濱は猛スピードで問題を解きながら、心底うんざりしたといった様子で、「こんなんもう手の運動やん……」とつぶやいたのだ。濱と席が近かった私はそれを聞いて、「て、手の運動……」と思った。もはや濱にとって、大学受験において汗をかいて頭を働かせなければならない問題はなくなりつつあったのだ。私は戦慄し、他の友人らにこのことを伝えた。するとみんな感銘を受けて、「なるほどな、問題解くのが単なる手の運動になるぐらい全教科を身体になじませて、自動化せなアカンということや」と唸った。そして難問にぶつかった時、その言葉を思い出して勇気づけられもした。しかし四年間、あるいは中学からの七年間受験勉強だけに集中し続けた私の経験からすると、濱の領域は神域である。努力だけで達することは不可能な場所があることを、私は思い知らされた。

 その後、私はいろんな人間に出会ってきた。大学でも天才だと感じる人間はいたし、作家でも天才だと感じる人間はいた。しかし、私はそもそも田舎の真性のアホなので、現実でどれほど差を見せつけられようと、「やりようによっては勝てる」という感覚を完全に叩き潰されてしまうことはなかった。もちろん、受験後の人生では評価がはっきりした数値で出ないということも大きいだろう。数値が出るとしても、それは自分にのみ責任のあるような、逃げ道のない数値ではない。大学の成績は少なくとも学部レベルではそれほど当人の実力を反映していないように見えたし、小説の価値は文学賞の有無や売上とはまったく別のところにある(と私は考えている)。

 だが、受験は違う。同じ問題を同じ条件で解き、それで敗北したなら、それは敗北でしかない。受験生たちは何の言い訳も立たない場所で、「本気じゃなかった」などという言葉が決して許されない机の上で、宿命として与えられた環境も含め自らの全人生を投入して問題にぶつかっていく。これほど精神的な逃げ道のない、魯迅風に言い換えれば「精神勝利法」の通用しない戦いは、私の人生では他になかった。

 

 結果として、濱は東大文一を秒殺した。それからは大道芸にハマったりネトゲ廃人になったりと、高校時代の姿からは予想のつかない方向に走ったようだが、さすがの濱でももう就職対策が間に合わないぞ、というところから一気に勉強して今度は公務員の国家一種試験(現・国家総合職試験)を秒殺、今では官僚として輝かしいエリートコースを歩んでいる。人生の正解など誰にもわからないが、それはきっと濱の超頭脳が導いた最適解だったのだろう。

 しかし、奇しくも京大文学部に入った私は、もし濱がこっちに来ていたら、と想像することがある。当初の希望通り歴史家になってとんでもない発見をしていたかもしれないし、もしかすると文学に目覚めて偉大な作家になっていたかもしれない。受験の帝王がそのまま文才に恵まれているわけではもちろんないが、濱には間違いなく文才があった。私はある日の高校の休み時間、ルーズリーフにぎっちりと文章を書きつけている濱を見た。「何してるん?」と聞くと「ひまつぶし」と言うので見せてもらうと、そこにはバチクソに難解だが文章の筋は通っており、しかし内容が一切ないような謎の文章があった。当時は「なんこれ」と笑っただけで内容もほぼ忘れてしまったが、強烈なインパクトがあったことだけは覚えている。今の知識でたとえてみると、蓮實重彥や大江健三郎や吉田健一の文体をごちゃまぜにして書かれたベケット、みたいな感じだった。濱はきっと、何にでもなれたのではないかと思う。

「こんなんもう手の運動やん……」

 私は濱のこの言葉に受けた衝撃を生涯忘れないだろう。どんな分野に進んだにせよ、濱ならばあらゆる対象を「手の運動」へと収斂させた後、そこを超え出るものの煌めきを見出すことができたのではないか? もちろん、これは私の青春時代のスーパースターに対する勝手な神格化かもしれない。だが、私は濱以上に私の戦意を喪失させる人間にいまだ出会ったことがない。

<第2回に続く>

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