ガンダムマニアがセンター試験で大爆死。携帯に浪人のつらさを綴った詩集の名は「刻の涙」/学歴狂の詩③

文芸・カルチャー

公開日:2025/5/24

学歴狂の詩』(佐川恭一/集英社)第3回【全3回】

 滋賀県の片隅で神童ともてはやされた佐川恭一氏は、勘違いしたまま高学歴の道を歩んできた。その道程で出会ったのは偏差値や大学名に異様な執念を持つ人間たち。東大文一原理主義者、数学ブンブン丸、極限坊主、非リア王とはいったい何者なのか? 京都大学文学部卒業のエリートから転落した奇才が放つ、笑いと狂気の学歴ノンフィクション。集英社のウェブメディア「よみタイ」で人気を博した『学歴狂の詩』をお届けします。

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『学歴狂の詩』
『学歴狂の詩』(佐川恭一/集英社)

〈二浪のアニオタ〉柴原が深淵をつづった詩集

 恥ずかしながら私は「梶浦由記」という天才アーティストの存在を最近まで認識していなかったのだが、たまたま家族が早く眠ってくれた夜、彼女に密着したNHKの番組を観て非常に感銘を受けた。彼女は基本的に作詞作曲を担当しているのだが、レコーディングのとき歌手たちに「最高!」「神業!」「カッコいい!」と声をかけつつ自分の要求もうまく乗せていく手腕が異様にヤバく、この人と仕事をすれば楽しみながら成長していけるのだろうなという雰囲気が画面越しに伝わってきた。それを観ながら彼女が無数のアニメソングを手掛けてきたことを知り、さらに「See-Saw」という二人組音楽ユニットの一方が彼女であるということがわかった。「See-Saw」と言って思い出すのは、高校のクラスメイト柴原である。

 私の高校は京都にあったが大阪の人間もたくさん通っており、私のクラスの大阪人は結構な割合でアニメオタクだった。日本橋というオタクの聖地があったことも大きかったのかもしれない。私は脳が受験以外のことを考えられない人造人間のようになっていたので、アニメどころか他のほとんどのものにも興味がなく、ぎりぎり興味が残っていたのは小学校時代から観ていた競馬だけだった。だが、高校に入った頃はテイエムオペラオーという馬が強すぎる時代で、スペシャルウィークやらグラスワンダーやらエルコンドルパサーやらが躍動していた時代に比べれば少しこちらの熱も冷めつつあった。

 さて、柴原は重度のアニメオタクであり、ガンダムオタクであり、ヘヴィメタル・ハードロックオタクであり、声優オタクであった。私と柴原の席は前後で(私が後ろ)、わりと早期から仲良く話していたのだが、アニメの話はさっぱりわからなかった。大阪人が集まってガンダムSEEDやそのエンディングを歌う「See-Saw」のことや「声優グランプリ」なる雑誌などの話をしているのは、まったくもって異世界の出来事という感じだった。そんな柴原の志望校は神戸大学医学部だったが、成績はあまり良いとは言えなかった。正直なところ国公立医学部はほぼ絶望的で、神大医学部なんて夢のまた夢というぐらいの偏差値だったのである。親が医者だとかいうこともなく、また本人がどちらかと言えば寡黙なタイプで「絶対医者になる!」という感じも出さなかったので、まあそのうちあきらめてどこかの工学部あたりを受けるだろうと私は思っていた。

 そして迎えたセンター試験、私は大爆死し、永森は東大文一の足切りを食らっていたわけだが、私の前の席で、柴原は私より猛烈に爆死していた。合計点数で言えば七割ちょいぐらい、国公立医学部など到底不可能な数字である。私が柴原に進路をどうするのか聞いてみると、柴原は首を傾げながら小さな声で「今年の受験はやめる」と言った。私が驚いて「やめるってどういうこと?」と聞くと、柴原は首をめちゃくちゃ傾げながら「うーん、どこも受けへん」と言った。私は「いやいや、たとえ落ちるにしてもどっかは受けてみたら?」というようなことを言った気もするが、自分の精神状態が完全に終わっていたのであまり詳しいことは覚えていない。その後柴原が現役でどこを受けたのかもはっきりしないが、とにかく私は四月から駿台に、柴原は河合塾に入った。

 すでに本書で触れた通り、私のクラスメイトたちはかなりヤバい率で浪人してしまったのだが、結果的には一浪でほとんどの者が第一志望に受かった。そんな中、一浪で決まらなかった、そして妥協もしなかった珍しい男の一人が柴原だった。柴原は一浪したことでそこそこ成績は伸びたものの、センター試験の点数はやはり神大医学部に出願すれば即死というレベルだった。京都府立医大も大阪市立大学(現・大阪公立大学)医学部も厳しい、だが二次の実力なども考え合わせれば、滋賀医大なら安泰だろうというのが周囲の大方の意見だったと思う(関西人ではない多くの方々に向けて念のため書き添えておくと、滋賀医大は国立大学である)。

 私は、まあ柴原は滋賀医大に行くのだろうなと思っていた。国公立医学部志望者たちの間でどういう基準があるのかわからないが、私と仲の良かった多くの者は京都府立医大、または大阪市立大学医学部を目指しており、そこよりも下には行きたくないという無言のオーラを噴出させていた。第5章で出てきた私の自習仲間・医学部志望の西田にしても、一浪時に三重大学医学部の推薦の話が来ていたものの、ほとんど悩みもせずあっさり辞退していた。文系の私にしてみれば、国公立医学部にさえ入れれば学費も私立より圧倒的に安く、医者にもなれるのだしそれでいいではないか、と思ってしまうのだが、どうやらそれほど単純な問題ではないようだった。私たち非医学部志望者が京大と阪大の間に感じていたような壁と同じようなものを、医学部志望者たちも京府医・大阪市立医とそれ以下の大学との間に感じていたのかもしれない。だが、柴原は成績的に贅沢は言っていられないはずだった。

 しかし柴原は周囲の空気を一切読むことなく、一浪なのに神大医学部に突撃すると言い出した。私や他の者らも「いや、滋賀医大にしとけって!」と懸命に伝えたが、柴原は絶対に首を縦に振らず「いや、あかん」と言うばかりだった。結局そのまま神大医学部を受けて当然のように爆死し、一浪で東大やら京大やら京府医やら大阪市立医に合格してパッパラパーになっていた私たちを横目に、柴原は二浪のデスロードに突入した。浪人を経験したことのある者ならわかると思うが、二浪とは鬼の棲む次元である。一浪までの人間は何とか現実世界に内包されているが、二浪からはいつどんなきっかけで精神に異常をきたしてもおかしくない、偏差値だけではない危険な戦いを余儀なくされる。

 実際、私は一浪の末期には精神(と家の金)の限界を感じており、もし京大に落ちたら滑り止めの早稲田に進むことに決めていた。早稲田は下宿に金がかかるので父親は大反対していたが、私としては一浪で同志社に行くぐらいならもはや死ぬしかないという感じだった。こう言ってしまうと失礼かもしれないが、同志社に入るなら高校受験の段階でそうしていれば良かった話だし、スパルタ男子校で地獄のような日々を過ごす必要も、つらい思いをして浪人する必要もなかった。私は早稲田の近くの滋賀県出身者だけが入れる安い寮を探し、フル奨学金プラスアルバイトをしまくって何とか親にこれ以上迷惑をかけないようにするという約束で、親に入学金三十万円を払ってもらっていたのだ。私には柴原の選択が不可解に思えたが、彼にしてみれば一浪滋賀医大は私にとっての──もちろん次元は違うものの──一浪同志社と同じようなものだったのかもしれない。

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