今この時代に、ファンタジーを書くのはなぜ? 風の“記憶”を読める女性を描いた新作長編を紐解く【作家・宇山佳佑インタビュー】

文芸・カルチャー

公開日:2025/4/25

繊細で美しく鮮やかな描写が魅力の恋愛小説の名手・宇山佳佑さん。このほど2024年に「小説すばる」で連載した『風読みの彼女』(集英社)が単行本化されることになった。「風読み」という一風変わった設定が織りなす、美しくやさしく、どこか懐かしい物語世界に多くの人がひきつけられるに違いない。宇山さんに本作にこめた思いをお聞きした。

●風と話す――そんな設定から生まれた物語

――どんなところから物語は生まれたのでしょうか?

宇山佳佑さん(以下、宇山):これまで恋愛小説をいろいろと書いてきましたが、次はもっと柔らかいラブストーリーを書きたいと思ったんですね。女の子が花や草や木と会話できる設定を考えて、そこから「風と話す」ことを思いつきました。風はこの世界の出来事をすべて見ていて、女の子の恋が成就するように助言をしてくれる、みたいなお話しです。

 だけど、それだったら風は世界中の出来事をすべて記憶していて、彼女はそれを映像として読み取れる。そして誰かのためにその力を使う……という方が、ストーリーとしての広がりがあるんじゃないかと思って、今の「風読み」の設定に辿り着きました。

advertisement

――「風読み」はすごく興味深いです。よく「時代の風を読む」などと言われたりしますが、ご自身は「風」をどんな存在と捉えていらっしゃいますか?

宇山:たとえば船にとって風は大きな推進力だし、その風を読んでどう進路をとるか、みたいなことが「風を読む」の根源だと思います。風は、どこから来るか分からないし、その姿を見ることもできない。だけど確かにそこに存在している。人はそんな風の不確かなところに惹きつけられるのかもしれませんね。

――確かにそうかもしれません。本作の登場人物はどのように生まれたのでしょうか?

宇山:風読みの風架さんは何でもお見通しの女性なんです。以前からそういったキャラクターは書いてみたかったのですが、それでも、できないこともちゃんとあって、スーパーマンにはしないように、ある種の人間臭さも残したいなと思っていました。
パートナーの帆高君はちょっと頼りなくて突っ走っちゃう男の子なんですが、そういうタイプの方が風架さんの相棒にはふさわしいと思って、二人のバランスを見てキャラクターを決めていきました。

――風読みの存在はすごくファンタジーですが、本作の導入部で「ファンタジーを受け入れること」を大前提に掲げたシーンも印象的でした。

宇山:時々ネットなどで「今は不寛容な時代」なんて書かれているのを目にしますが、もしそうだとするならば、ファンタジーを許容するのって難しい時代なのかもしれませんね。だけど、この物語を通じて、日常の中のちょっとした魔法みたいなものを感じて、心がほっこりするというか、温かくなってくれたら嬉しいです。

――「すぐ近くに不思議な世界の入り口があるかも?」と思えるのは楽しいです。

宇山:そういう感覚は僕も好きです。この物語を読んでくれた方にとっても「いつも行かない道を行けば、不思議な世界が広がっているかも?」みたいに、自分の人生にファンタジーの期待を持ってくれたら嬉しいですね。今回は風がテーマなのですが、あるとき急に風が吹いて「今の風ってなんだったんだろう」と思うことってありますよね。そういう予期せぬ風や自然現象との出逢いも、小さな不思議、ファンタジーだと思うんです。

●中学生の頃から「脚本家」になりたかった

――もともとは脚本家からスタートされたそうですね。

宇山:僕は中学生の頃から脚本家になりたかったんです。もともとテレビドラマが好きで、こういうお話しってどんな人が書いているんだろうと思っていたら、それが脚本家という仕事なんだと親が教えてくれたんです。「僕も脚本家になりたい!」と思って、近所の本屋さんに行って「脚本の書き方の本はありますか?」ってモジモジしながら訊ねました。それで脚本の書き方のテキストを買ってきて、夜な夜な自分でも書いたりして……。でも、次の日に読み返したらものすごく恥ずかしくなったんです。これは親に見つかったら大変なことになるぞと思って、近所の山に埋めました(笑)。

――なんと! じゃあ今、掘り返すと出てきますね。

宇山:さすがにもう土になってると思いますよ(笑)。その後は脚本を書くことはなくなったのですが、社会に出てから改めてシナリオスクールに通ってみることにしたんです。それでコンクールに応募をして、その作品がテレビ局の方の目に留まってデビューすることができました。だけど、まさか自分が小説家になるとは思ってもいませんでしたね。小説って言葉を尽くしてひとつの世界を作り上げてゆくものだから、そういった力は僕にはないって思っていたんです。でも、脚本家としてデビューして数年が経った頃に小説を書く機会をいただいて。もちろん不安はあったけど、せっかくのチャンスなんだし精一杯やってみようと決意して書きました。それがデビュー作です。小説家としては今年でちょうど10年になります。

――脚本と小説では、何か書くことの上で違いはありますか?

宇山:「物語を作る」という意味では大きな違いはありません。ただ、表現と言いますか、脚本の書き方は小説とは異なるので、そこは違いますね。脚本はセリフを重ねて物語の世界を作ってゆくのに対して、小説はセリフや心理描写、風景描写などの言葉を重ねて作ってゆくので、「この言葉で意味が伝わるだろうか」とか「読者の心に届くだろか?」ということは、すごく気にします。

 もちろん脚本でも「この人はどういう服を着ていて……」というような細かなディテールまで考えますが、最終的に決めるのは監督や俳優の方なんです。一方で小説はすべて作者が考えなければならない。キャラクターの服装だけじゃなくて、この日の太陽の光がどうなのかとか、風が肌に当たる感触をキャラクターはどう感じたのかなど、細かいところまでひとつひとつ言葉で表現して世界を構築してゆくので、そこが小説の面白いところですね。

 脚本は団体戦、小説は個人戦といった感じでしょうか。もちろん編集者さんに助言などを求めたりもしますが、最後は自分一人で立ち向かってゆくものなので、その点が脚本と小説の大きな違いかもしれませんね。

――脚本との違いを意識されてディテールにこだわるからこそ、すごく「ビジュアルが浮かぶ」のだと思いました。

宇山:たとえば、空の青さが美しくて感動したなら、それを小説として描くときは実際の風景よりもより印象的になるような言葉を探します。そうやって意識して言葉を選ぶのは面白くて好きなんです。

 だけど一方で、僕は読者の想像力を借りて物語を描いているとも思っています。読んでくれる方が僕の書いた文章からその場面を想像して、より美しく、より鮮明に、世界を作ってくれているんだと思います。それぞれが読んだときに感じること、考えること、想像することが正解で、それができるのが読書の良いところなんですよね。一冊の本を読むのって時間もかかるし、読書に慣れるまでは読むという行為が辛くもありますが、本を読まなかったら得られないことや、感じられないことってあると思うんです。それはやっぱり「想像すること」なんだと思います。

――脚本家と小説家との両軸でやることで表現力に影響し合ったりもしますか?

宇山:脚本を書いていると、自分にない発想を監督やスタッフ、俳優の方からもらうことがあるんです。そういうときに言われた言葉って印象的で、自分のダメなところや弱点だったりするんですよね。だから小説を書くときは、その言葉を思い出しながら「この展開で、このセリフで、本当に良いだろうか?」って考えます。それとは逆に、脚本を書くときは、小説で培ってきた表現なんかを取り入れることでオリジナリティーを出す。それが僕の個性だと信じています。

――ちなみに小説でも脚本でも、クリエイティブを続ける上で、日頃気をつけていらっしゃることはありますか?

宇山:スマホばかり見ずに、できるだけ風景に目を向けるようにしています。移動中に電車の窓の向こうに綺麗な夕日が見えたりすると感動しますし、それはきっとスマホを見ていたら気づかなかった景色なんだなって思うんです。そういった心が動く瞬間や日常に転がっているちょっとした感動みたいなものを、できる限り取りこぼさないように生活したいとは思っています。一応、メモは持ち歩いていますが、「メモしなくても忘れないもの」の方が大事。消えちゃうものは自分の心にそこまで残っていなかったものなんですよね。

●「あの頃の自分」の心に何か感じる作品を描きたい

――物語を書くときに、こういう人に届けたいとイメージすることはありますか?

宇山:自分は中学生のときに脚本家になりたいと思ったので、まずは「あの頃の自分」が今の僕の作品を観たり読んだりして感動するような物語にしたいと思っています。自分の第一の読者は過去の自分であり、同時に、今の読者のみなさんでもある。あの頃の僕と同じような気持ちの人に届いてくれたら嬉しいですね。

――「あの頃の自分」は、どんな自分だったんでしょう?

宇山:思春期特有のいろんな自意識に苦しんでいました。家族とか、友達とか、そういった人間関係に悩んでいましたね。物語には何度も救われました。明るくてハツラツとした感じというより、この物語の帆高君に少し似ていたかもしれません。

――その自分に今の作品を届けて、読んでもらって何て言っていると思います?

宇山:うーん、どんなことを言うんでしょうね。日常の嫌なことを少しだけでも忘れられるとか、抱えた悩みが和らいでくれたら嬉しいですね。

――最近、「(思春期に)物語に救われた」と話す若い方に何人か会いました。やっぱり物語だからできることってあると思いますか?

宇山:学生時代、恩師から「お前は綺麗事しか言わない」と叱られたことがあったんです。その言葉はずっと心に残っていて。ただ、生きていると辛いことや大変なことがたくさんあるから、作家になってからは「綺麗事を言ってくれる物語がひとつくらいはあってもいい」と思って書くようにしています。だから僕の物語には必ず何かしらの救いや、誰かの人生が前に進むといったプラスの面を出すようにしています。

――ちなみに今の時代に刺さる物語って、どんなものだと思いますか?

宇山:逆に教えていただきたいです(笑)。いわゆるフックがあって、考察のしがいがあって、SNSで注目を浴びるようなものがいい……なんて言われたこともありますけど、僕は時代の流行を掴んで、それを物語に取り入れるようなことが得意ではないんです。だから、自分が生きてきた中で感じた喜びとか悔しさとか、そういった人間の根源的な気持ちを描いていきたいです。読者の方々も届くと信じて、変わらないものを書きたいなと思っています。

――ラブストーリーにこだわるのもそういう気持ちからでしょうか?

宇山:こだわっているわけではありませんが、読者の方々が僕のラブストーリーを待ってくれているからというのが大きいですね。それから、僕自身も誰かのことを一生懸命に想うひたむきさが好きなんです。

 僕が若い頃は、告白するときは相手の家に電話をかけて呼び出して……みたいな手段しかありませんでしたが、今の若い子はLINEなんかを使って面と向かわずに告白する、という話を聞いたことがあります。一見するとラクをしているようですが、それでも、その過程におけるドキドキは僕らの頃と同じなんだと思います。時代は変わってもそういう恋愛における感情みたいなものは一緒なのかな、そうあってほしいな、という願いも込めて書いていますね。

――確かにそういう思いは変わらない気がします。

宇山:どれだけテクノロジーが発達しても、人と人が関わり続けることだけは変わらないし、そこに生じる感情というものも変わらないと思います。だから人を好きになる気持ちや頑張ろうと思う気持ちなんかも、いつまでも変わらない。やっぱり人と人とが共に生きていくことでしか人生って進んでいかないので、今後もそういったものを物語として描けたらと思っています。

取材・文=荒井理恵、撮影=金澤正平

あわせて読みたい