古賀史健「読書はさみしい作者とさみしい読者がつながる行為」。“書く/読む”を通して「ひとりの時間づくり」を勧める理由【『さみしい夜のページをめくれ』インタビュー】

文芸・カルチャー

公開日:2025/4/28

さみしい二人が本を介して出会っている

――本作、前作ともに、タイトルに「さみしい」という単語が使われています。タイトルだけ見ると「さみしい」の対象は日記を書く人であり本の読者だと読めるのですが、本作のなかでこんなフレーズが登場します。

「アンタと同じくらいのさみしさを抱えた作者が、だれかとつながろうとして書いたことばだ。だから本は、アンタが手に取ってくれるのを待っている。アンタとつながることを待っている。さみしいのはアンタだけじゃない。それは本も一緒なのさ。」

 作者もさみしい、という視点はすごく印象的でした。

古賀:「つながりたいのは読み手だけではなくて、書き手も同じなんだよ」というのは、本のなかでどうしても伝えたかったことでした。さみしいから読むというのはもちろんだけど、本の向こう側にはさみしいから書いた作者がいて、さみしい二人が本を介して出会っているんだ、という。そこは作者と読者、両方の気持ちがわかる立場として書いておきたかったんです。

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――古賀さんはこれまでも『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』(ダイヤモンド社)、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社)など、「書くこと」と向き合うための本を書かれてきました。その根底には、いま仰っていたような「書くこと/読むことを通して誰かとつながれる」という信念のようなものがあるのかなと思いました。

古賀:自分だけの、真剣に思っている「ほんとう」を言葉を発したら、受け止めてくれる人は必ずいると信じているんです。同じように思っていた人とか、その言葉を待ってくれている人が絶対にいる。それを信じているから、どんな面倒臭いことをしてでも自分にしか書けないことを書きたい。それで誰かとつながることができたとしたら、そんなにうれしいことはないじゃないですか。

いつの時代にも通用する言葉だけで本を作りたい

――本作の登場人物でいうと、タコジローをいじめるトビオや、彼とつるむウツボリたちも、さみしさを強く持っているキャラクターだと思いました。集団で連帯してターゲットをいじめることで、さみしさを誤魔化しているような。

古賀:書き始めた当初は、ラストシーンでトビオたちも本を読んで…という展開も考えたのですが、それこそ都合が良すぎるなと思ったんですよね。みんなが本を読んでみんながハッピーになるって教育マンガみたいじゃないですか。かといって、彼らを懲らしめるというのもあまりしたくもないし、致し方ないラストだったかなと思っています。

――トビオやウツボリは前作以上に、明確に嫌な奴として書かれていますが、何か意図はあったのでしょうか?

古賀:前作のトビオは、集団でいじめるというよりひとりでタコジローをからかったり、彼がいじめっこグループのどこにポジショニングするかみたいなところで右往左往するキャラクターでしたよね。一方、本作でのトビオは、ずっとグループで行動しているんです。だから今回は特定の個人というよりも、人びとが「集団」になったとき、グロテスクな事態が起こる流れを書いたつもりです。

――前作にあった、クラスのグループLINEのようなツールでタコジローを集団攻撃するシーンは、現実世界のあれこれが思い浮かんで読んでいてつらかったです…。

古賀:グループになったときの悪意の暴走って、なかなか止められないんですよね。だからこそ、僕たちはひとりになる時間を持つことが大切だと思うんです。そんなひとりの時間を過ごすために、「本」ってツールを紹介できればいいなと思っていました。

――トビオたちが「本屋」に導かれるメッセージに気づかなかったように、現実世界でも、例えばSNS等で信じられないほど残虐な攻撃をするような、本当に誰かとつながることが必要な人ほど本を読まないような気がしますし、この作品のメッセージも届かないのではないかと思いました。古賀さんはどのようにお考えですか?

古賀:僕は、それこそが本の役目のような気がしていて。僕がXやnoteに何をたくさん書いたとしても、そういった人たちには絶対に届かないと思います。その一方で、本は物理的な形として残るじゃないですか。例えば、僕のところにはときどき、服役中の方からお手紙が届くんです。「こういう事件を起こして、いま刑務所に服役している。差し入れでもらったあなたの『嫌われる勇気』(岸見一郎、古賀史健/ダイヤモンド社)を読んでこんなふうに考えが変わった」と。

 その方に『嫌われる勇気』が届いた最大の理由は、内容が良かったからではなく、単純に「本」だったからだと思うんです。SNSの言葉だったら絶対に届かないわけですから。だから、今現在、本を読まない人に僕の言葉が届くとは思わないけれども、なにかの拍子で5年先、10年先に届く可能性だけは残り続ける。みんなネットのほうが広がりやすいと思っているかもしれないけど、本のほうが5年後や10年後の希望がある。信じています。

――そう言われると『嫌われる勇気』もそうですが、『さみしい夜のページをめくれ』で書かれていることは普遍的というか、10年後でも私たちは同じようなことで悩み、苦しんでいるような気がします。

古賀:本を書く人間として、自分の寿命より長く残る本を作りたい、という気持ちは常に持っています。例えば、今回の本に生成AIの話題を入れたとしたら、とても今っぽい、時代を的確に捉えた本にはなる。けれど10年、20年後の読者が読んだときには、ものすごく古い話をしているように思えるはずなので、そういったことはしたくないんです。

 いつの時代にも通用する悩み、いつの時代にも通用する言葉だけで本を作りたい。10年後、20年後の読者とつながれる本を作りたい。戦前に書かれた『君たちはどう生きるか』を僕たちが読んでも、胸に迫るなにかがあるわけじゃないですか。そんな本を作っていけたらなと考えています。

取材・文=金沢俊吾 撮影=中惠美子

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