地下アイドル ファンに恋して自宅侵入。斜線堂有紀が“苦しみの原因”として、焦りや執着心にまみれた恋愛を描く『愛じゃないならこれは何』【書評】

文芸・カルチャー

公開日:2025/4/30

愛じゃないならこれは何
愛じゃないならこれは何斜線堂有紀/集英社

 何かに執着するから苦しみが生まれるわけで、執着の最たるものが恋愛――。かつて斜線堂有紀氏にインタビューをしたとき、こんな言葉をいただいた(https://ddnavi.com/article/d1392247/a/)。

 そのインタビューは氏にとって3冊目となる恋愛小説集『星が人を愛すことなかれ』(集英社)についてだったのだが、思い返せば1冊目の本書の時点から、この作家は恋愛を執着、つまり苦しみを生みだすものとして捉えていた。

 SF、ミステリーを中心に意欲作を次々と生みだしている斜線堂氏。恋愛を主題に据えて2021年に発表されたのが『愛じゃないならこれは何』(集英社)だ。

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 自分のファンの自宅に不法侵入してしまう地下アイドル(第1話「ミニカーだって一生推してろ」)。仕事上での相棒の結婚話にうろたえるデザイナー(第2話「きみの長靴でいいです」)。男×男×女の友情を懸命に保ち続ける男女3人(第3話「愛について語るときに我々の騙ること」)。恋する相手の歓心を得るため、自らのライフスタイルを全て変える女(第4話「健康で文化的な最低限度の恋愛」)。第3話の続編となる第5話「ささやかだけど、役に立つけど」も含めて、4つの“愛”にまつわる5つの物語が収録されている。

 多くの話で展開されているのは、恋愛における執着のすさまじさだ。

 一歩まちがえれば犯罪者にも(第1話のアイドルはすでに、だが)、自身の心身を壊す域までにも(同様に第4話の主人公も……)なりかねないほど、彼女たちは恋愛にのめり込んでゆく。各話の主人公たちは、けっして、いわゆる恋愛体質ではない。常に恋人がいないと耐えられないタイプでも、孤独に弱い人間でもない。むしろみな自制心が強く、努力家でストイック。

 であるからこそ、いったん誰かを好きになったら、とことんまで行きもする。相手を手に入れるためにありとあらゆる策を練り、そのための努力を惜しまず、自らを極限まで追い込む。

 ここには恋の甘やかさも切なさもない。また、彼女たちが焦がれてやまない恋愛対象の存在感は、おそらくは敢えて希薄に描かれている。あくまでもフォーカスされているのは、恋する側の痛みと苦しみ、ひりつくような焦燥感だ。自分以外の誰かによって自分が侵食されていく恐怖と、その背中あわせの恍惚感も。

 人を好きになると自分が変わる――とはよく言われる。ほとんどはいい意味で。

 そうした恋愛観を作者は否定するのではなく、真反対から恋愛を見つめている。そこに、この作家の独自の目がある。

 本書を皮切りとして氏はその後も恋愛小説集を刊行し、前述した『星が人を愛すことなかれ』には、「ミニカーだって一生推してろ」の完結編ともいえる作品が収録されている。

 自分を推すファンを愛してしまったアイドルは、己の執着心にどう決着をつけるのか。本書を読んで彼女、赤羽瑠璃のその後が気になった方は、こちらもぜひ手にとってみてほしい。

 最後に、この題名『愛じゃないならこれは何』が問いかけている「これ」とは何か、5編の物語を読み終えた人ならきっと分かるだろう。愛とは執着であり、苦しみを生むもの。なのにどうして私たちは自ら苦しみの淵に、身を置こうとしているのか――。

 そんな問いもまた作者は投げかけている。

文=皆川ちか

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