ホラーを描くと本当になってしまうかもしれない。日常に潜むリアルな恐怖をえぐる異色作『コワい話は≠くだけで。』【書評】
公開日:2025/5/17

ホラーというジャンルには、不思議な余韻がある。一度読んだだけで、日常の何気ない瞬間にふと思い出してしまい、背筋をゾクリとさせるのだ。もしかすると、それに触れたことで、現実に何か異変が起きるのではないか。そんな漠然とした不安を抱いたことのある人もいるのではないだろうか。
『コワい話は≠くだけで。』(景山五月:漫画、梨:原作/KADOKAWA)は、そんな「ホラー」や「怪談」というテーマに、ホラーが苦手な漫画家が、あえてその世界に飛び込む姿を描いた異色作だ。
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物語の主人公は、普段は雑誌やポータルサイトで漫画を描いている漫画家・景山五月。ある日、担当編集者から持ちかけられたのは、ホラー漫画の連載という思いがけない企画だった。
「若干の不安を抱えつつも、とりあえず引き受けてみることに」――そんな経緯から始まる本作だが、描かれていくのは、読者の心にじわじわと染み込んでくる“リアルな恐怖”である。
取材やSNSを通じて寄せられた数々の怪談は、いずれも日常の延長線上にあるような、エピソードばかり。どれもが奇妙な余韻を残し、読後に静かな不安をもたらす。
本作の魅力は、ただ怪談を紹介するだけにとどまらず、“ホラーを描く”ことに対する著者自身の葛藤や戸惑いまでもが丁寧に描かれている点にある。
「描いたら本当に起きてしまうかもしれない」
不確かなのにどこか信じたくなるような恐れが、フィクションとノンフィクションの境界を曖昧にしていく。
各エピソードは単話完結型で構成されており、途中からでも読みやすい一方で、どの話にも共通しているのは“ラストをはっきり描かない”という点だ。あえて結末をはっきり描かないことで、読者の想像を掻き立て、「本当にあったのかもしれない」と思わせるリアリティがそこにはある。
本作を通じて描かれるのは、日常のすぐそばにひっそりと潜む闇や恐怖、そしてそれを追い求めた先にある“作家としての感情”だ。「語ること」「描くこと」に対する不安と向き合う著者の姿が、より深い恐怖を読者に届けてくる。「ゾクッとする」だけでは終わらない。“描く側”の恐怖をも巻き込んだ、本当のホラーがここにある。