婚約破棄されて「人生最悪」な女性が不思議な図書館に迷い込み…!?強制的に絶望と向き合ってみたら【書評】
公開日:2025/5/15

通勤途中で土砂降り、目の前で電車が行ってしまって遅刻、気がついたらピアスが片方ない…そんな小さな不幸はよくあるし、「あーあ、今日はツイてない」で終われることならかわいいもの。だが人生には「今が最悪」という悲劇の瞬間がないわけでもない。思わず消えてしまいたいほどの絶望から、人はどんなふうに立ち直ることができるだろう。
「このミステリーがすごい!」大賞の隠し玉『婚活島戦記』(宝島社)でデビューし、現在『人生写真館の奇跡』(宝島社)が29カ国で刊行が決まった話題の作家・柊サナカさんの新刊『黒猫のいる回想図書館』(ハーパーBOOKS+/ハーパーコリンズ・ジャパン)は、そんな「絶望」との向き合い方をファンタジー風味でやさしく教えてくれるハートウォーミングな一冊だ。
なにせ絶望からの脱却の案内人は「黒猫」。路地裏で出会った一匹の黒猫が「今日は人生最悪の日?」とニャーニャー訊いてきて(なぜか日本語に聞こえる)、やけくそ気味に「そうだ」と答えると不思議な図書館に誘われる。その図書館は「人生最悪」と思った人々が自分史を書くためにあたえられた場所で――『不思議の国のアリス』のチェシャ猫ではないけれど、不思議な道行きの相棒に「黒猫」が印象的に登場するのだ。
この物語の主人公・千紗にとってその日は、結婚式を目前にして恋人から「実は親友とつきあっていて結婚できない」と土下座して打ち明けられた、まさに「最悪の日」だった。結婚するつもりだったから住む場所も仕事もキャンセル済み、さらにヤケ酒(飲めないからノンアルコール)をあおった挙句、カバンも携帯電話もカードも全部失ってしまったというマジでどん底状態。そんな千紗に声をかけてきたのが、路地裏の一匹の「黒猫」だったのだ。
そして千紗が迷い込んだ「図書館」は、逃げ出そうとしてもどこまで行っても終わりがないし、図書館で知り合った少女アリスと一緒に書庫を探ったら遭難しかけるほどの広大さ。この広大な図書館に収められている膨大な本は「人生最悪」と思ってこの図書館を訪れた人たちが、自分を見つめ直して残した「自分史」で、実はそれを書き上げないとここからは出ることができないのだという。
現状を認識し、やがて自分史に向き合うようになる千紗。長い文章なんて書いたことがないし、ましてや平凡な自分の半生なんて書くことがあるのだろうか――そんな不安はあったけれど、真っ白いノートに心の奥にあるモヤモヤを好きに書き出していくうちに書くことが楽しくなっていく。実際、「書く」という行為は、自分を客観的に見つめるためのシンプルで大事な手段だ(しかも書くものさえあればいいので安価だ)。どうしようもない負の感情であっても、なんでもいいから書き殴っていると、次第に心が落ち着いてきたりするもの。おそらく客観的にその感情を見つめることで、自分自身で「飼い慣らせるよう」になってくるのだろう。
幸せになる寸前ですべてを失い「なんでわたしばっかりこんな目に。なんでわたしが。」と世界の輪郭を失いかけていた千紗は、この出口のない図書館で何を見つけるのか。そして無事に“あちら”へ戻ることができるのか。さらに、ラストでこの“図書館”がどういう場所だったのかを知るとき、読む人の胸に満ちるものをぜひ味わっていただきたい。最悪なときこそ、落ち着くために書くこと。客観的になればダメージを減少できること――本書は、そんなシンプルなことが大切だと教えてくれる。千紗を通して、こちらの心もすっきり晴れてくるにちがいない。
文=荒井理恵