伊坂幸太郎「今本屋にある本と自分は戦えるか?」苦手な恋愛小説の執筆に、“ないものを書こう”の伊坂はどう立ち向かった?【インタビュー】
公開日:2025/6/25
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年6月号からの転載です。
デビュー25周年記念&『パズルと天気』刊行 伊坂幸太郎ロングインタビュー
2025年は、伊坂幸太郎のデビュー25周年アニバーサリーイヤーだ。今年2冊目の新刊となる短編集『パズルと天気』(5月30日発売)の最速インタビューを敢行しつつ、長きにわたる作家活動を経た「今」だからこその心境を訊いた。
取材・文=吉田大助、写真=干川修
新刊をいち早くチェック 面白い本に出合うとヘコむこともある
伊坂幸太郎の本が好きで、伊坂作品から影響を受けた。そう語る若手作家たちが、続々と現れている。今回の特集テーマは、本誌編集部のそんな実感から生まれたものだ。本人も、ときどき耳にするようになってきたという。
「最近、若い世代、二回りくらい下の作家さんたちからは“好きで読んでいました”とか言ってもらえることが増えた気がします。長く頑張ってきた甲斐があるなあと思いますね。自分で言うのも何ですけど、伊坂幸太郎ってメジャーな作家らしくて、だから、好きで読んでますと言いにくかったんですかね(笑)。ようやく恥ずかしがらずに言えるようになった時代が来たのでは!と思いたいです(笑)。年齢が離れていることで、ライバルとも思っていないのかも」
しかし、伊坂自身は若手作家たちにライバル意識を燃やしまくっている。アンテナを張り巡らせ、新刊をいち早くチェックしている。
「負けたくないですからね。全員がライバルだと思っている。面白そうな新刊があると、つまらなければいいなと思う自分もいて(笑)。面白いと悔しいし、ショックを受けちゃうじゃないですか。せっかく買ったのに、つまらないとそれはそれで寂しいですが。一方で、無視するという手もある。読まなければショックも受けないわけですから。だけど、その選択肢はだいぶ前に捨てたんです。上の世代や同世代も含め、“今本屋さんに並んでいる新刊と自分は戦えるのか?”という問いかけは、常に自分の中に持っていたいんです」
戦うためには、己を鍛え上げるだけでなく、敵を知る必要があるのだ。
「今やっている書き下ろしの長編はもともと別の話を書くつもりだったんですが、ネタがかぶったんです。これは、我ながら凄いなと思うんですけど、書店でタイトルを見て、かぶってるかもと思ったんですね。あまりにも気掛かりで耐えられなくて、真相パートから先に読む、という禁断の行為をしました(笑)。そうしたらビンゴで、そのアイデアは捨てました」
読んで「やられた……」となることもあれば、「まだ戦える」となることもある。
「面白そうだと思ったのに読まないでいるほうが、結局、その本に対する想像がどんどん膨らんでいってしまう。“超面白いんじゃないの?”と。本当に超面白くてヘコむこともあるんですが(笑)、少なくとも読むことによって、想像が膨らんでいくのは止められるんですよ。小説の書き方と通じるところがあるかもしれない。例えば『マリアビートル』で王子くんというイヤな感じの子を出したのは、僕が怖いと思っている世の中の悪はこういうものだな、と書きたかったからで。それを言語化していくことで、自分の中で想像がどんどん膨らんでいくのが止まって、ちょっと冷静になれるんです」
実は最近、過去の自分というライバルの存在も大きくなってきたのだという。
「最近というか20周年からの5年くらいはずっと、何かアイデアを思い付いては“それはあの作品でもうやったじゃん”の繰り返しです(苦笑)。同じことはやりたくないですし、前に書いた本と似たような本ができるのはイヤなんです。ただ、近頃分かったのは、僕は見たことのない話が書きたいけれど、見たことのある話が読みたい人もいるんだということ。YouTubeとかを見るようになって気づいたんですが、YouTuberの動画って特に内容がなかったりする。でも、めちゃめちゃ癒やされるし、楽しいんですよね。小説も疲れている時は読みやすいもののほうがいいのもわかるなあ、と。ようやくそれに気づいたけど、変えられないんですよ。“こんな話あるじゃん”とか“あれと同じじゃん”と分かった時点で書きたくなくなっちゃう。作品の中に何かしらの新しいアイデアがなければ、書き進められないんです」
ないから読みたい ないから書いた
伊坂は高校時代に島田荘司の作品と出合い、作家を志したのは有名な話だ。
「最初は島田荘司さんのような新本格(ミステリー)が書きたかったんですが、自分には向いてない、書けないなって思ったんです。でも、書くことは好きだしどうしよう……と悩んでいた大学2年生の時に、ミステリーとしてどうこうとかではなくて、自分が読みたいものを書けばいいんだってひらめいたんです。大江健三郎の作品に出てくるようなモラトリアムの学生が、誘拐とかに巻き込まれる北方謙三さん的な話って面白そうだし、ないから読みたいと思って、ないから書いたんですよね。その時は自分の書いたものが僕にとっては本当に面白くて。今の自分の作風は、その作品から始まっています」
第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞したデビュー作『オーデュボンの祈り』が刊行されたのは、2000年12月だ。外界から遮断されている荻島で、予知能力を持ち喋るカカシが殺されてバラバラにされた。予知できるのに、自分の死を阻止できなかったのは何故か……。まさに「ないものを書こう」精神が炸裂した一作だ。
「ただ、いきなりカカシが喋るとか、どう考えてもやばいですよね(笑)。いいアイデアだとは思ったんですが、さすがに僕も常識はあるので、デビューして3作目ぐらいに“こんなふざけたものも書けますよ”というノリで出すものかなと思っていたんです。でも、投稿が全然うまくいかなくて次で最後にしよう、ダメだったらサラリーマンをちゃんとやろうと決心した時に、これ寝かしてる意味ないじゃんとなって書いた作品なんです。その何年か後に一緒に仕事をした編集者さんに、伊坂さんの『オーデュボンの祈り』は本が出てすぐ読んでいたんだけど、どういうものを書く作家なのかが分からなすぎて声をかけられなかったと言われました(笑)」
それから、25年。この人は次に何を書くのかが分からない、という状態がずっと続いている。ただ、こんなにも作風はバラバラであるにもかかわらず、伊坂幸太郎らしさという他にない、統一感のようなものがある。
「そうであったら一番嬉しいですね。そういう作家になりたかったけど、なれる方法ってないじゃないですか。僕は、音楽もマンガも小説も絵画も、癖を楽しむものだと思っていたんですよ。何かしらの個性を楽しむもの。例えば、文章を読んで書いたのは誰それだろうとか、声を聞いた瞬間に歌っているのは誰それだろうと分かるようなものが好きなんですけど、個性というものがないほうがいいと考える作家や読者もいるんだということも、この5年ぐらいで気づきました。確かになあと思いますよね。ちょっと、鼻につくし、わざとらしくて疲れますもんね(笑)」