「当事者じゃないけど、コロナで失われた青春に寄り添いたい」"歌人芸人"岡本雄矢が、北海道を舞台に「青春の復活戦」を描く【インタビュー】

ダ・ヴィンチ 今月号のコンテンツから

公開日:2025/6/13

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年7月号からの転載です。

〈左手に見えますホストに座られているのが僕のスクーターです〉─日常のちょっとした不幸を切り取る歌人であり、お笑いコンビ「スキンヘッドカメラ」として活躍する岡本雄矢さん。そんな“歌人芸人”の岡本さんが、このたび新たな肩書“作家”を手にした。『僕の悲しみで君は跳んでくれ』は、岡本さんが初めて書き上げた小説。タイトルは、自身が詠んだ短歌に由来するという。

「なんとなく思いついた下の句をブログに書いたところ、短歌集を担当してくれた編集さんが『小説のタイトルみたいですね。書いてみたら?』と言ってくれたんです。僕は小説を読むのは好きですが、自分に書けるとは思っていなくて。でも勧められたのがうれしくて、タイトルありきで物語を考えていきました。“跳ぶ”からの連想で高跳びや幅跳びの話も考えましたが、陸上経験がないので難しい。そんな中、思い浮かんだのがステージ上でバンドのギターやボーカルが跳ぶシーンでした。音楽は好きなので、バンドマンが跳び、その瞬間を見た周りの人たちが変わっていく話にしようと思いました」

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特別ではない人にも“跳ぶ瞬間”はある

 北海道の高校に通う藤かおりと友人たちは、学校祭のステージで瀬川壮平の跳躍を目にする。一瞬体が軽くなったように感じたかおり、「かっけー」と興奮した松永優作、嫉妬すると同時にその姿を描きたいと思った車椅子の二階堂めぐる、ステージ上で自分も跳べばよかったかと惑う田口晴太、「晴太、跳べ!」と心の中で叫んだ清原渚、教師として彼らを見守った西岡楓一。あの瞬間から約6年、ステージを建てた母校の中庭が取り壊されることになった。かつての仲間たちは、最後にもう一度壮平たちのライブを実現しようと企画するが、校長は強硬に反対。さらに、思いも寄らない事件も発生する。果たして東京でプロになった壮平は、ふたたび母校のステージに立つのか。章ごとに視点人物が替わり、過去と現在を行き来しながら彼らの思い、交錯する人間模様が描きだされていく。その一方で、壮平の視点は最後まで描かれないのも面白い。

「朝倉かすみさんの『田村はまだか』や朝井リョウさんの『桐島、部活やめるってよ』のように、話題の中心人物ではなく周りの人たちの動きを描いた小説が好きなんです。壮平君は輝かしい存在ですが、彼の周りにいるのは特別ではない普通の人。壮平君の跳躍を見て、体ではなく気持ちが跳んだ人たちです。うまくいかないことが続くと忘れてしまいがちだけど、確かに彼らにも“跳んだ瞬間”はあった。その思いを取り戻してほしいと願いながら書きました」

 6人の視点人物の中でも、岡本さんに近いのがかおりだ。

「僕は普通の家庭に育ちましたし、親も健在。少し貧乏だったかもしれませんが。周りから見ると不幸ではないけれど、やっぱり不安や不満はあって。でも、自分は恵まれているからつらいなんて言っちゃいけないと思っていた時期がありました。高校時代のかおりも、同じようなことに悩んでいます。そんなかおりが殻を破る瞬間を描こうと思いました」

 かおりの親友・渚は、短歌が趣味。やはり岡本さんとの共通点がある。

「僕、短歌やエッセイに書いたことは、他の作品で使っちゃダメだと思っていたんです。でも、編集さんが小説に取り入れてもいいと言ってくれて。短歌ではちょっとした不幸を詠んでいますが、同じ出来事を書いても小説だと前後の文脈によって見え方が変わるのが面白かった。短歌は一応僕の武器なので、ここぞという場面で自作の短歌も入れました」

 ステージには立たないものの交渉や準備で力を発揮する優作、壮平の眩しさに触れてバンド活動を降りる田口の人物像には、芸人としての経験が反映されている。

「若い頃は、ステージに立つ人がすごいと思っていましたが、年齢を重ねるにつれて、それを支える人も同じくらいすごいと思うようになりました。壮平君はステージ上で輝く人だけど、優作はそんな壮平君にもできないことをやっている。そういった対比を描きたくて。田口君も壮平君と対をなす人物です。田口君は、壮平君との格の違いを知ってバンドを辞めます。僕も芸人を続ける中でお笑いを辞めていく人、東京に出て、また札幌に戻ってくる人を見てきました。僕だったら悔しくなりそうですが、田口君は嫉妬もなくさっぱりと辞めていくんです」

 彼らを描くうえで、大切にしたのは空気感。

「優しいと言ってしまうと安直ですが、“彼らと一緒に高校時代を過ごしたかった”と思ってもらえる関係にしたくて。僕自身、こんなにキラキラした青春を送ってこなかったので、こういう仲間が欲しかったという憧れもあります(笑)。きっと30歳、40歳になっても、この関係はずっと続くはず。そう思えるような空気感を壊さないよう意識しました」

 作中で彼らが高校を卒業するのは2025年。それから6年後、つまり読者にとっての未来を描いたことにはどんな意味があるのだろうか。

「18年の北海道胆振東部地震やコロナ禍についても少し書けたら、と。僕は札幌で暮らしていますが、あんなに体を揺らされたのは初めてでしたし、停電で街が真っ暗になった異様な光景は今でも覚えています。コロナ禍も、学生は大変な思いをしましたよね。修学旅行もないし、マスクを取って写真も撮れない。しかも元の生活に戻ったら、今度は自分たちができなかったことを今の学生がやっているわけじゃないですか。僕はどちらも当事者とは言えないけれど、それでもなんとかしたい、わかりたいという気持ちはあります。それをいい案配で書けたら」

 その言葉どおり、筆致はさらっと軽い。だが、痛みやつらさを抱えながら生きる“普通の人”への優しいまなざしが感じられる。

「30代後半になってから、8時間働いてまっとうに暮らしている人への尊敬の念が芽生えたんですよね。それに引きかえ、芸人は1日5分漫才して疲れたなんて言ってる(笑)。比べられるものではないですが、普通に仕事して生活をしている人って本当にすごい。そんな気持ちが入ったのかもしれないです」

一瞬を切り取る短歌 前後の流れも描く小説

 約2年かけてコツコツと改稿を重ねたとあって、初めての小説とは思えないほどの完成度。初期衝動の熱を保ちつつ、巧みな構成と丁寧な心理描写、青くて眩しいエピソードで読者を惹きつける。

「短歌は一瞬を切り取ると言われますが、小説はその前後も含めて書きます。その分、登場人物に奥行きが必要なんですよね。物語があるんじゃなくて、人が動くから物語ができる。そう痛感しました。それに、短歌は100人いたら100とおりの解釈があってもいいけれど、小説はそうもいきません。編集さんと何十回もやりとりを重ねながら人物像を掘り下げて、どこまで細かく書くか調整していきました。かおりたちと同年代の方はもちろん、幅広い世代に読んでもらえたらうれしいです」

 作家として、まずは第一歩を踏み出した岡本さん。今後の執筆活動にも意欲を覗かせる。

「十数年前、僕は『ダ・ヴィンチ』の『短歌ください』に載りたくて、短歌をつくり始めたんです。掲載された時は本当にうれしかったし、今度は小説のインタビューを載せていただいて光栄すぎるくらいです。僕は承認欲求が強いほうなので、人から認められたり、『やってみたら?』と言われたりするのがとてもありがたくて。もし求められるのなら、これからも書き続けたいです」

取材・文=野本由起、写真=鈴木慶子

おかもと・ゆうや●1984年、北海道生まれ。歌人であり、芸人。お笑いコンビ「スキンヘッドカメラ」として活動。著書に、日常の小さな不幸を切り取った短歌+エッセイ集『全員がサラダバーに行ってる時に全部のカバン見てる役割』『センチメンタルに効くクスリ トホホは短歌で成仏させるの』がある。北海道新聞などで連載も。

僕の悲しみで君は跳んでくれ
岡本雄矢 幻冬舎 1650円(税込)
北海道で高校時代を過ごした仲間たちには、忘れられない瞬間があった。それは、学校祭の中庭のステージで、高く跳んだ瀬川壮平の姿。あれから6年以上経ち、社会人になった彼らは、母校の中庭がなくなると知る。もう一度、あの場所で壮平を見たい。そう強く願った彼らの、青春の延長戦が始まる。“歌人芸人”の著者が初めて挑んだ、優しい祈りのような青春小説。

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