藤井隆は「幼少期の複雑骨折」が転換点。好奇心旺盛だが行動は慎重に/マ・エノメーリ
公開日:2025/6/22
藤井隆の「素」があふれた初エッセイ集!
唯一無二のコメディアンが「仕事」「人付き合い」「生い立ち」「好き」にまつわる話を本音で語り尽くす、渾身の80000字超、オール本人書き下ろし。
「やりたいことをやっていくためのヒントとは?」「快適なコミュニケーションを生む、言葉選びの秘密は?」「周りの人に楽しんでもらうために意識していることとは?」「親や妻、身近な人とのかかわり方は?」「若い頃にしておいてよかったことは?」「苦しかった経験とは?」「セルフケアはどうしている?」 など……ユーモアと優しさあふれる筆致で綴られたエッセイには、日々を快適に過ごすヒントも多数散りばめられています。
全世代に読んでほしい、優しく背中を押してくれる珠玉の一冊です。
※本記事は『マ・エノメーリ』(藤井隆/KADOKAWA)より一部抜粋・編集しました

人生のターニングポイントはありますか。
20歳、吉本新喜劇の若手劇団員募集オーディションを受けたのは間違いなく大きな大きなターニングポイントだったと思います。
インタビューで必ず聞かれるのがオーディションを受けた理由なんですが、なんとなくとしか言いようがありません。
それで納得していただけなくて、「ダンスのレッスンが無料だったので」と後付けの理由を話すと、やっと許してくれて次の質問に進めてくれました。初めて受けたオーディションだったので先ず、受かると思ってなかったです。
今回せっかくなのでもう少し自分にとってのターニングポイントを考えてみます。
3歳の時、骨折をした日だと思います。
引き戸にもたれて体育座りをしている兄の脚を山に見立てて登っていて、頂上(膝)から落ちて敷居に右ひじを思い切りぶつけて複雑骨折をしてしまいました。70年代の手術だからでしょうか、今も右ひじに7針の手術跡はくっきり太く残っています。
その時に気づいていた。
入院中看護師さんや先生は抱っこして可愛がってくださるし、お見舞いに来てくれた親戚も「大丈夫か〜あははは」なんてつっついてくるけど、みんなボクのこと怖々扱ってることを3歳だけど気づいていた。
膝の高さから落ちた程度で? 複雑骨折? と驚かれ、「また折れたら困る」って感じで恐々ギプスを撫でて慰めてくれていた。
そして4歳。近所の坂の下にいたボクは下ってきた自転車に轢かれて右ふとももを複雑骨折してしまい、また手術することになった。「骨折はくせになる」「骨が弱い」。親戚や近所の方々が心配してくれる中、中学1年生まで6回骨折を繰り返した。
家族は勿論、親戚も友達も「折れたら困る隆」って感じで、少しでも怪我をしそうな場面になると自分の周りに一瞬で緊張感が走った。
ドッジボールでボールを取った瞬間ピリッ。階段を急いだ瞬間ヒャッ。鉄棒にぶらさがればゾワッ。
幼なじみも「たかしはやめとき〜」って色々代わってくれたし、止めてくれた。
もしあの時骨折してなかったら。
絶対違う自分だったろうと思う。
赤ちゃんの時、首が据わって自分で座れるようになった頃、母がおもちゃのボールをボクに投げたらパッとキャッチしたらしい。
走るのも速くて球技も好きな母はそれがとても嬉しかったそうだ。運動神経が良くてバク転も出来て度胸もあった父もその報告を聞いた夜はきっと喜んだと思う。
手術室へ運ばれて行く景色を今も憶えている。ストレッチャーに寝ながら手術室へ入って行く前に父と母と兄がボクを見つめていた。
3歳の我が子が手術室へ運ばれるのを見るなんて辛かったろうと思う。
寝巻きの柄も憶えている。
右腕のギプスの白と中に仕込まれた綿の青い色。
トラウマなんて大袈裟だけど書きながら涙がぽたぽた落ちてきた。
怖かったり痛かったりした自分の記憶もあるけど、今、胸を締めつけるのは父や母や兄の当時の気持ちだ。
勝手に怪我をしたのにやっぱり「怪我をさせてしまった」という後悔の思いがあっただろう。兄なんて当時まだ10歳だ。
はれものではなくワレモノというか、すぐ骨折してしまう自分は気をつけてても怪我をしてしまう。そして家族を心配させて困らせてしまう。仲の良い親戚には心配されながら呆れられてもいた。
だから、飛んだり跳ねたりしなかった。
これで性格が臆病ならまた人生が違う流れになっていたかもしれないが、決して大人しくはなかった。
そこで旺盛な好奇心と活発な思考を持ちながらも、活動的な行動を抑えてた「アンバランスボーイ」が誕生した気がする。
7歳年上の兄の影響で触れる文化も同級生とは少し違ってたからさらにアンバランスボーイだったと思う。
膝の山から落ちたアンバランスボーイ。
神話みたいだ。
<第2回に続く>