「お父さんのビンタの方が何十倍も痛い」――中年“不審者”と父の暴力に耐える少年が起こす小さな奇跡。『死にたい夜にかぎって』爪切男の初小説【書評】

文芸・カルチャー

公開日:2025/6/28

愛がぼろぼろ
愛がぼろぼろ爪切男 / 中央公論新社

 社会を生き抜く上で、最小単位といわれるコミュニティが家族である。多くの人は家族と支え合いながら生きているが、中には家族の存在に日常を脅かされる人もいる。映像化もされたエッセイ『死にたい夜にかぎって』でデビューした爪切男氏による初の小説『愛がぼろぼろ』(中央公論新社)の主人公である千川広海も、まさに家族の存在に苦しめられる一人であった。

 広海は小学6年生で、父親と二人きりで暮らしている。母親は広海が3歳の頃に家を出た。一緒に住んでいた祖父は、広海が小学校に入学した頃に心臓病でこの世を去った。祖母は伴侶を失ったショックで認知症が進み、やがて遠方の親戚の家に引き取られた。祖父母と暮らしを共にしていた頃は、家族団欒といえる時間がわずかながらも存在していた。だが、二人きりの生活がはじまると、父親は広海を毎日殴るようになった。

“お父さんに殴られると「痛み」よりも先に「驚き」が来る。説明できないほどの衝撃を受けると、泣き叫ぶよりも、黙って驚くことしかできない。”

 本来なら“信頼”の対象である父親に殴られる際の衝撃と心の痛みが、この一文に詰まっている。広海の父親は、かつてアマチュアレスリングの選手としてオリンピック出場目前までいくほどの選手であった。そんな人間が、まだ小学生の息子を容赦なく殴る。それがどれほどの恐怖と絶望をもたらすものか、想像するまでもないだろう。

advertisement

 苦しい日常を乗り切るべく、広海は理科の授業で習ったアインシュタインの「相対性理論」にすがる。お父さんのビンタを横向きのエネルギーとして、縦にジャンプすれば相対性理論のパワーで奇跡が起きるかもしれない。実際は「そんなわけない」と知りながらも、広海は空想による気休めでどうにか心身のバランスを保っていた。

 そんなある日、小学校のホームルームで不審者と思われる中年男性の目撃情報と注意喚起がなされる。子どもたちの発案で男子数名がパトロールをすることになり、広海も仲間に加わった。爆竹やエアガンなど、子どもが考えつく限りの武装をして不審者がいると噂される掘っ立て小屋に突撃した広海たちは、毛むくじゃらの体格の良いおじさんの反撃を食らう。恐ろしさに慄く同級生を尻目に、広海は平手打ちを食らってもまったく動じない。「お父さんのビンタの方が何十倍も痛い」という理由で恐怖心を感じない広海は、おじさんの急所を狙いエアガンを打ち込み続ける。抗議の声を上げるおじさんと、手を緩めない広海。その攻防が決着したとき、おじさんは「あっぱれあっぱれ!」と広海の頭を撫でた。この日の出来事をきっかけとして、おじさんこと「星山空」の家に、広海は通いはじめる。

 星山は、本書の中では「ゴブリン」という名称で呼ばれる。なぜなら、広海がそうあだ名をつけたからだ。心苦しく思い、酷いあだ名をつけたことを広海が謝ると、ゴブリンは「自分の本名が嫌いだから」という理由でその件を不問とした。広海もまた、女子に間違われがちな自分の名前が嫌いであった。思わぬ共通点を持つ二人は、互いに孤独を感じる日々にあって、日増しに親交を深めていく。そこに広海の同級生である双子の鰻兄妹が加わり、三人は小学校生活最後の夏休みをゴブリンの家で過ごすこととなる。ひょんなことから頼れる仲間と巡り合えた広海は、やがてある人物と父親との間で起きる衝突に「相対性理論」の可能性を見出す。

 父親から苛烈な暴力を受ける日常を淡々と語る広海の語りで物語は進む。ヘビーな要素がちりばめられつつも、本書はどこかコミカルで温かい。その要因の一つとして、広海の仲間たちの存在が挙げられる。特にゴブリンは、醜さも含めた人間臭さが魅力だ。ゴブリンは決して「立派な人間」ではない。だらしなく、刹那的で、情けない面も多分に見られる。だが、人として大事な部分はきれいなままで、彼の語りには時折目を見張るものがある。

 家族間において生まれる歪み、憎しみ、赦し、祈り。相反するものが入り乱れる物語終盤、ひとつの「家族」の形を見た。どこまでも愚かで、どこまでも愛おしい人々が奏でる協奏曲は、完璧ではないからこそ忘れ難い。

“単純じゃないよなぁ、生きるって”

 物語の余韻を味わいながら、ゴブリンの言葉を反芻する。生きるっていうのは、どうしたって複雑で、感情は面倒くさくて、人間関係は往々にして煩わしい。迷って、ブレて、間違って。そんな当たり前の逡巡にさえ後ろ指をさされる世の中で、本書が持つ底知れぬパワーは掛け値なしで宝ものである。「安全な逃げ場所を持っておくことが人生において大切」だとゴブリンは言った。悲劇と喜劇が混在する本書は、誰かにとっての“安全な逃げ場所”となる。広海の中にかつての自分の面影を見た私は、静かにそう確信した。

文=碧月はる

あわせて読みたい