美容師女性に養われる70代のホスト、札幌で40年ぶりに再会した同級生の男女…桜木紫乃による、大人らしからぬ「情熱」と大人だからこその「情熱」【書評】
PR 公開日:2025/7/4

情熱というのは、大人になればなるほど、くすんでいくものだと思っていた。現実のままならなさと自分の限界を突きつけられ、勢いだけで突っ走ることができなくなる。そんな自分をきっと十代の自分は軽蔑するだろうけれど、傷ついてきたぶん身に着けたしたたかさを燃料に今なおくすぶり続けている熱こそ、真の情熱と呼べるのかもしれないと思えたのは、桜木紫乃さんの新刊『情熱』(集英社)を読んだからだ。
同作は短編集であり、「情熱」というのは最後に収録された一編のタイトルだ。けれど、どの作品にも、紆余曲折の人生を歩みながらもどうしても捨てきることのできなかった、大人たちの情熱のくすぶりが描かれている。
たとえば一編目の「兎に角」。東京で培ったすべてを捨てて地元・札幌に戻った牧村は、仕事の現場で40年ぶりにかつて好きだった同級生・二葉に再会する。一足飛びに何かが始まったりはしないし、失ったものが多いぶん、牧村の全身には諦めがにじんでいる。けれどあるとき、彼女の事務所に置かれたジャッカロープ――長い耳と鹿の角を持った頭部の置物に気づくのだ。「兎に角、とにかく」。その置物に突き動かされるようにして会社を興した二葉の情熱に触れ、牧村は自分が失ったと思い込んでいた熱を取り戻して言う。
そもそもその置物があることに気づいた時点で、その人には「兎に角」を要する何かがあるのだという二葉の言葉が、沁みる。不思議なもので、同じ情景を見ていても人によって目につくものは異なるし、気に留めたものが何かによって、選択は左右されていく。そのささやかな積み重ねで、人生は形づくられる。そんなことも、本作に収録された短編には、はしばしで描かれていた気がする。
個人的には、70代のホスト・朗人(ロージン)と彼を養う美容室の雇われ店長・江里子の生活を描いた「ひも」が好きだった。後ろ暗いものも思いつめるものも何もない、大雑把な江里子との暮らしによって、朗人はむだなプライドを手放し、ただ相手を慈しむことの愛しさを知る。その日々を盤石にするのが、思わぬ人の、一見コスパが悪そうな「情熱」だ。なんでそこまで手の込んだことを、と呆れてしまう生命力に触発されて、穏やかに淡々と日々を紡いできた二人のなかに、そのささやかな幸せをこそ守りたいという熱が生まれる。
ああ、こんなふうに私たちは、家族や恋人とも違う他人と出会うことによって、生きる力をもらい続けているのだなあ、と「らっきょうとクロッカス」を読んでも思う。百点満点をめざし出世街道を歩んできた芙美を、思いがけない挫折から救ってくれたのは、体を重ねた男たちではなく、一年前に死んだ妻の不在にずっと戸惑い続けている仕事相手。妻のかわりに同行したビアガーデンでの会話と、芙美が丹念に漬け込んだらっきょうが、消えかけていた情熱にまた火をともす。
そんな主人公たちの姿に触れて、読んでいる私たちもまた、情熱を失ったわけではないことに気づく。誰にも渡すあてのない感情もふくめ、くすぶり続けている自分たちは、なんて美しくて愛おしいのだろうと、希望を抱くことができるのだ。
文=立花もも