「世にあふれる宗教2世の物語を、まっすぐ受け止めることができなかった」2世の日常を群像劇で描く『そういう家の子の話』著者・志村貴子インタビュー
公開日:2025/7/26

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――本書に登場する、売れっ子漫画家の大森和彦が、「宗教2世という闇」と題されたニュースサイトを読んで「オレは闇の中にいるんだろうか。それとも救われているんだろうか」と思いをはせる場面がありました。
志村 世の中で起きているその流れに、私自身がもやもやしたものを感じてしまったんですよね。先ほども申しあげたとおり、悲劇に苦しむ方も、闇のなかでもがいている方もいるのはわかりながら、私自身はそこまで振り切ることができない。『淡島百景』で描いた大久保さんのように、家族を否定しきれない感情を抱えたまま生きてきたから、世にあふれる宗教2世の物語を、どうしてもまっすぐ受け止めることができなかったんです。
――ひとくくりに宗教2世といっても、どの宗教に属しているかで、話も変わってきますしね。
志村 そうなんですよね。共感できる部分もありますが、日常的に体罰があたりまえだったり、追い詰められて生きてきた方々に対して、安易に「わかるよ」とは言えないし、そういう世界もあるのかと遠くから胸を痛めることしかできなかった。だからこそ、もっと私の実感に近い、日常の話も描いてみたくなったのだと思います。誰より私自身が、そういう物語を読んでみたかったから。
――1人の主人公ではなく、群像劇にしたのはなぜなのでしょう。
志村 できるだけ視点を偏らせたくないという思いは、どんな作品を描くうえでも抱えているのですが、今作ではとくに、宗教2世のしんどさをクローズアップすることで、信仰している人たちのありようを否定し、傷つけてしまうことは避けたかったんです。私のまわりにも、本作に登場する工藤沙知子みたいに、周囲と波風を立てることなく、教えられたものをそのまま受け継いでのびやかに活動をしている同世代の2世は多いですしね。信仰を賛美するわけではないし、肯定しすぎることで、2世のしんどさを曖昧にしてしまっては元も子もないですが、できるだけニュートラルな目線をもって、できることなら親が何を思って子どもに接していたのかも含めて、考えていきたいなあと思います。
――第1話の主人公・有馬恵麻は、親と断絶しているわけではないけれど、仏壇とともに信仰は捨てている。そんな彼女が付き合うことになる和彦は、信仰しているわけではないけれど、子どもの頃からの習慣である勤行(仏壇の前で経文を唱えること)は続けている。同じように宗教とは距離を置いている2世でも、向き合い方が異なるということが2人を通じても描かれます。
志村 私自身が宗教2世の物語すべてに共感できないのと同じように、同じ宗教に属していたとしても、関わり方も抱えている感情もそれぞれ違うはず。その、ちょっとずつ違う人たちが、どんなふうに過ごしているのか、宗教を手放したあとはどう生きていくのか、物語を通じて探ってみたいと思ったんですよね。私自身の体験を重ねた描写もあれば、知り合いを見ていて感じたこと、推測したことを描いたものもありますが……。ただ、和彦が勤行する姿を描くとき、自分でも久しぶりに数珠と経典を手に入れて、経文を唱えてみたんですよ。そうしたら、やっぱり、子どもの頃に叩き込まれただけあって、滑らかに口からついて出てくるんですよ。
――体が覚えているんですね。
志村 信仰というより、精神統一のために和彦が勤行をしているという設定は、宗教から離れたとしても習慣を切り離せない人はいるだろうし、その習慣が生活を整えてくれることもあるだろうという推測から生まれたものですが、実際に私もやってみたことで、その気持ちがより、体感をもってわかるような気がしました。自分をリセットしてくれるものであれば、勤行である必要はないから、和彦のその行為は恵麻の言う「信者の鑑」とは違うんだけど、確かに根づいているものはある。その気づきは、私自身も宗教から遠ざかった今だからこそ、得られたものなのだろうなと思います。