「松坂慶子さんの桐子が魅力的で、彼女のその後を描きたくなった」平均年齢60歳の団地で、住人の闇が次々と…『一橋桐子(79)の相談日記』原田ひ香インタビュー
公開日:2025/8/5
――住む場所には困っていないが、生活に困窮していないわけではない。本作には、さまざまにトラブルを抱えた高齢の住人たちが登場します。
原田 取材するかわりに、今回は『ルポ 難民化する老人たち(イースト新書)』(林美保子/イースト・プレス)など、いろんな本を読みました。たとえば、管理人として最初に向き合うことになる佐山さん。病の苦しみを抱えながら保険料を払っていないがために治療を受けずにいたけれど、作中に書いたように、今の日本で保険料を未払いだからといってがん治療が受けられずに亡くなってしまう、なんてことはまずないんですよね。救済措置はさまざまに用意されていて、病院にも相談窓口はあるから、まずは誰かを頼ってほしい。そんな思いで、書きました。

――佐山さんのように、生活保護を受けるのは家も金もない人間のやることで、ちゃんと定価で購入した家に暮らす自分は違う、と必要な人ほど拒絶するというケースも多そうですよね。
原田 子どものために家を遺したいから生活保護を受けるのを諦める、というケースも少なくないみたいですね。家族思いで誠実で、きちんと生きてきた誇りがあるからでしょうが、それもまた、家を残しながら援助を受けられる仕組みはあるし、やっぱり、誰かに相談して「知る」ことから始めないといけないと思うんです。
――そういうとき、お節介に介入してくれる桐子さんのような存在が救いになるわけですね。
原田 そうですね。思い込んでいることをぶった切ってくれるような、第三者というのは必要なんだろうと思います。
――次に出会うのは、北方さんという女性。甥っ子に援助のつもりで貯金の大半を貸したら音信不通になってしまったという……似たような話を聞いたことがあるので、胸が痛みました。
原田 参考文献の中にも、実際にあったこととして似たようなケースが書かれていたんですよ。難しいですよね。一人でも生きていけるよう必死でためたお金だけど、おばとして頼られたら余裕があるところを見せたいし、他に家族はいないのだからと絆を信じて気前のいいところを見せたら、あっさり奪われて、感謝もしてもらえない。現金で渡したものをあとから証明することはできないし、相手も言質をとられないよう、メールのやりとりなどでは借りたという決定的な証拠を残していないんですよね。生活保護を受けられないことも含め、「見栄」というのは身を滅ぼすものだな、とおそろしくもなります。
――その見栄は、生きる矜持ともつながっているから、複雑ですね。
原田 そうですね。お金をとるか、家族や親戚とのつながりをとるかも、簡単には決断できないことですし。でも、だからこそ団地が、他人同士がつながることのできる場所として変わっていくことも必要なんじゃないかなと思います。最近、団地にカフェスペースを併設したり、交流の場を増やしながら可能性を探っていくプロジェクトがいろんな場所で起きていますけれど、血縁だけに頼らない支え合いをいかに確立していくかが、今後の日本において大きな課題なんだろうと思います。

――そういう意味で、孫でもない雪菜という若い女性が、桐子と支え合っている姿が描かれているのも、本シリーズの魅力ですよね。前作では、夢を叶えるため海外に旅立った彼女ですが、本作では帰国して桐子さんと一緒に管理人業に奔走します。
原田 雪菜さんを演じてくださった長澤樹さんも、とっても素敵だったんですよね。二人の関係性をまた新しいかたちで描けたのも、ドラマがあったからだと思います。夢を見つけて留学したからといってすべてがうまくいくわけではないし、これは偶然なのですが、ちょうど彼女の留学期間はコロナ禍と重なり、かなりしんどい思いをするはめになった。勢いで飛び出したぶん、厳しい現実に向き合うことにもなるし、彼女自身が人生を見つめなおし、新たな一歩を踏み出す姿も描けたらいいなと思いました。
――仕事だけでなく、雪菜が両親と向き合うために必要な力も、桐子さんと過ごした時間があるからこそ蓄えられた、というのもすごくいいなと思います。管理人業も、年齢も性格もまるで違う二人がタッグを組むからこそ、見えてくる解決がありましたし。
原田 海外のドラマでは、主人公が理論で納得させられて、考えを改めながら成長していくという場面をよく見かけるのですが、日本人って合理だけでは納得できない人が多いんじゃないかなと思うんですよね。へたに理屈を並べ立てたら関係性に禍根を残しかねないし、そもそも自分の事情や感情を相手に説明するのも得意じゃない。だから会議が苦手な人が多いような気もするんだけれど、そのかわりに誰かの何気ないひと言ではっとしたり、心地のいい風が吹いているのを感じるだけで自分を見つめなおせたり、感覚に寄り添って変化することができるんじゃないのかな、と。だから私の小説でも、何か目標に向かって突き進んで成長していくというより、人々の関わり合いによって生まれるさりげない変化を、そっと積み重ねていけたらいいなと思っています。
――人生は少しでも幸せに生きた人が勝ち、という桐子さんの言葉も、そういう積み重ねの中だからこそ響くんだろうなと思います。
原田 若いときって、よくも悪くもごまかしながら生きることができるんですよ。自分が幸せなのかどうか、本当に求めているものはなんだったのか、見ないふりをしたままでも目の前の現実に向き合っているうちに、なんとなく日々を過ごしていける。でも、60歳や70歳を過ぎると、人生の答え合わせが始まってしまい、どうしても目を背けられなくなっていくんですよね。そのなかで滲み出るものを、さまざまなかたちで描けたのは、団地を舞台にしたからだなと思います。現実は優しい救いばかりではなく、厳しさに肚をくくって立ち向かわなきゃいけないこともたくさんあるけれど、それでもできることはあると感じていただける物語になっていたら嬉しいです。
取材・文=立花もも 撮影=島本絵梨佳