《怪談》を増殖させていく怪談「書いたことの6割は真実です」【最東対地 インタビュー】

ダ・ヴィンチ 今月号のコンテンツから

公開日:2025/9/5

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年9月号からの転載です。

 突然、配信する動画が途切れたり、いないはずの女の子の声が聞こえてきたり、人前でその話を語るたび、奇妙な要素がひとつずつ付加されていく。【耳なし芳一のカセットテープ】という怪談は、作家の活動とは別に、トークライブなどで怪談を語る機会の多い最東さんが、「話自体はネットで拾ったものですが……」を枕言葉に長年、語ってきた話である。

「僕は数多の怪談を聞いたり、話したりしてきましたが、【耳なし芳一のカセットテープ】にまつわる自身の体験はすごく奇妙で。作品として書くことで、この話と一度、腹を据えて向き合いたいと思いました」

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 1980年代当時、若者の間でもてはやされていた人気タレントがパーソナリティーを務める深夜放送。録音準備も万端に放送開始の時を待っていた高校生A。しかしある夜、ラジオから流れてきたのは、待ちかねていたいつもの放送ではなく、琵琶の音とともにしゃがれた声が奏でる『耳なし芳一』の歌。Aがいくらクラスメイトにその話をしても誰も信じてくれない。“だったら今日、俺んち来いよ。『耳なし芳一』を録ったテープ、聴かせてやるから!”。仲間2人が聴いたことからテープの話は拡散、そしてそれを聴いた者たちは次々と“不幸”に見舞われ、クラス中を負の連鎖が襲っていった。やがてこのテープの話題はタブーとされたが、ある恐ろしいひとつの終結が訪れる。そしてそのカセットテープは行方不明に……というのが、【耳なし芳一のカセットテープ】の概要だ。

「僕はネットの黎明期にこの話をどこかのサイトで読んだのですが、今で言うと、“コトリバコ”や“きさらぎ駅”のような有名な話だと思っていたんです。でも怪談作家の先輩や怪談サークルの仲間、トークイベント会場に集まった方々に、“昔、こんな怖い話がありましたよね?”と聞いても誰も知らない。さらに以前はネットで検索しても一件もヒットしなかった。この異常なまでの知名度のなさを僕は逆に怖いと感じたんです」

 本作の執筆は、モキュメンタリースタイルでスタートさせたが……。

「執筆と並行しながら進めていった取材中、様々なものに出会い、かつ僕の身にいろんなことが起き過ぎて。それらをすべて書いていったら、モキュメンタリーというより、ルポルタージュ的な、言わば実話怪談風になってしまったんです」

 実話怪談は実話をベースにしているため、物語の起伏がなく、謎は謎のままで終わる。一方、創作怪談は、物語性や怖がりどころ、オチが用意されている。

「この話は、読者の方もそして僕自身も納得がいく、答えの出るものにしたかった。そこでそれまで書いた原稿を小説として再構築することにしたんです。そこでしたのは、実話怪談と創作怪談の融合に近い作業。さらに物語としての濃度を上げるため、キャラクター性を付加したいと思った。そこに現れてきたのが、以前書いた『カイタン』という小説に登場するカリスマ怪談師・馬代融でした」

 2014年、高円寺の居酒屋で、馬代は友人でディレクターの甘田セイキから、【耳なし芳一のカセットテープ】という話を聞く。“聴くと不幸が訪れる”系のインパクトある話は、2000年代に入った頃にはかなり有名な話だったが、今、怪談師や心霊特番などを製作するテレビ関係者ですら誰も知らないという。まるでこの怪談自体が話を広めさせないように、なんらかの力を働かせているかのごとく──。

この話を書くと決めた途端 続々とつながってきたこと

 怪談ライブで【耳なし芳一のカセットテープ】を語っていく馬代。だが話すたびに奇妙なことが起こっていく。そのなかで彼は、この話がかつて超常現象を扱う人気テレビ番組で特集されていたことを知る。

「実際に今、ネットで検索すると、放送された番組名と映像が出てきます。ただ、それがネット上に出てくるようになったのは、僕がこの話を書こうと決めてから。そして驚くべきことにそのすぐ後、SNSで“この話の当事者のひとりと同級生だった”というポストを見つけたんです。即座にその方に連絡を取って当事者の方と繋いでいただき、話の舞台となった山形へと向かいました。そのとき晴れて、当事者の方に、この話を僕の怪談として語っていい、という許可をいただいたんです」

 毒舌ゆえ、干された過去も持つ、インパクトあるキャラクターとして馬代は描かれているが、怪談に携わる者としてのリテラシーや向き合い方、謎を追求していく思考回路、行動様式は最東さんと重なる。

「怪談や幽霊に関してどちらかというと懐疑的なところも一緒で。怪談は好きだけど、お化けは見たくないという怖がりなところも(笑)」

 「取材手記」として進んでいく物語は、進捗状況をリアルに反映するかのごとく、起伏に富んでいる。なかでも元の話を知らない人に馬代が語る「耳なし芳一」の段は圧巻だ。

「あらすじは知っているけど、正確にどういう話かわからないという人がほとんどであろうと、“こういう話ですよ”というパートを入れたかったんです。小泉八雲の原作や円城塔さんの書かれたものなどを読んでいくなかで気付いたのは、そのほとんどが三人称で書かれているということ。そこで僕らしさを出すため、芳一視点の一人称で書くことにしました。その視点はホラーの要素として働き、琵琶の音や芳一の心情など、僕の感性を入れ込んだものになったと思います」

この一冊で完結しない《体験》は拡張していく

 最東さんの実体験どおり、【耳なし芳一のカセットテープ】の話の当事者に会うため、山形へ赴いた馬代。彼はそこで、当地に残る冥婚の風習であるムカサリ絵馬に出会う。

「山形へ行ったとき、“ここまで来たのだから”と、以前から気になっていたムカサリ絵馬が数多奉納されているお寺を訪れたのですが、そこで僕は、これまで自分が見聞きしたもののなかでもぶっちぎりの破壊力を持つものを発見してしまったんです。当初は【耳なし芳一のカセットテープ】の話、一本柱で行くはずだったのに、“こんな凄い体験をした!”ということを我慢できずに書いてしまったんです」

 最も苦慮したのは関係のない2つの怪談を繋げることだったという。そんななか現れてきたのは──。

「この二つを強烈に繋げる柱が一本いる、と思ったとき、思考を巡らせていったのは、僕自身が何に一番、恐怖に感じるかということでした。それは何かというとやっぱり悪意。ムカサリ絵馬が奉納されたお寺で遭遇したのは、剥き出しの人の悪意がつくり出した呪物でした」

 物語のなかで馬代も出会っていく、その《呪物》は、存在そのものも背筋を凍らせるのだが……。

「この呪物をつくった人が今もどこかで悪意を蓄え続けているということに、僕は途轍もない恐怖を感じたんです。さらにその行為によって、みずから呪物となってしまったその人が、何食わぬ顔で生活しているのだろうということも怖い。そしてそれは、誰も知り得ぬところで今も呪いを放ち続けているであろう【耳なし芳一のカセットテープ】と、すごく似た存在であるなと」

 「《物語にする》ということは、ひとつひとつ、その理由の答え合わせをし、納得性を持たせていかなければ」という最東さんの言葉どおり、小説にちりばめられた不気味な符号と奇妙な偶然のピースは、次々と恐怖の合致をしていく──。

「実体験を元に書いた本作は、僕の著作のなかで特別な位置づけの作品になったと思います。モキュメンタリーとは中心にフィクションがあり、それをドキュメントにしていく作りのもの。けれど今作は逆。中心に真実があり、虚で固めていった。それはこれまであまり書かれてきていないスタイルのものだと思うんです」

 そして最東さんは言う。「この小説に書いたことは6割が真実です」

「けれどどの部分が真実で、どこがフィクションかはわからない。そこも楽しんでもらうとともに、僕が語る【耳なし芳一のカセットテープ】のYouTubeがあるのですけれど、そういうものにも辿り着いてくれたら、読者のなかで、どんどん思いが膨らんでいくと思うんです。この一冊の本のなかだけで完結することなく、読書体験は拡張されていく。それこそある意味、僕と同じような体験、思いをしてもらえることになるのではないかと。そうなることが、この小説の一番の成功なのかなと」

取材・文=河村道子、写真提供=朝日新聞社

さいとう・たいち●1980年、大阪府生まれ。2016年『夜葬』で日本ホラー小説大賞の読者賞を受賞し、デビュー。小説作品に『七怪忌』『カイタン 怪談師りん』『恐怖ファイル 不怪』『花怪壇』『怪談風土記 七つのしきたり』など、ノンフィクション作品に『この場所、何かがおかしい』がある。

『耳なし芳一のカセットテープ』
(最東対地/幻冬舎)1870円(税込)

異常だと思われるほど認知されていないその話を語るたび、奇妙な出来事が付加されていく。怪談師・馬代の「取材手記」で綴られていく【耳なし芳一のカセットテープ】は、取材中に出会った冥婚の風習と禁忌にもつながり……。「巻末に付けたQRコードから、この話がどれくらい事実に基づいているのか、ということも楽しんでいただけると思います」(最東さん)

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