二宮和也主演映画『8番出口』 監督・川村元気による小説版と映画版を比較レビュー! それぞれ違いはある? 見どころを紹介
公開日:2025/9/4

ゲームクリエイターのKOTAKE CREATE氏が2023年に発表し、現在に至るまで累計販売本数190万超を記録した世界的ヒットゲーム「8番出口」が、川村元気氏(『君の名は。』『怪物』企画・プロデュース、『百花』原作・監督・脚本ほか)によって映画化&小説化された。無限ループする地下通路に迷い込んでしまった男が、脱出の糸口を探すミステリーであり、世界三大映画祭のひとつであるカンヌ国際映画祭での上映に続き、アカデミー賞に輝いた『パラサイト 半地下の家族』『ANORA アノーラ』の映画製作・配給会社NEONによる北米配給が決定済みの話題作。本稿では映画版・小説版を比較しつつ、両形態から導き出される『8番出口』の魅力に迫ってみたい。核心的なネタバレはないため、ご安心を。
前提としてこの2作はゲーム「8番出口」から生まれたものであり、相互補完関係にあると言っていい。例えば映画版・小説版ともに「主人公の“ぼく”(二宮和也:演)が電車を降りてある女性(小松菜奈:演)と通話しながら歩いているうちに迷宮に迷い込む」導入は同じ だが、映画と小説それぞれの得意分野や形態の違いを活かした微妙な差異が仕掛けられており、両方をインプットすることで物語や心情がより立体的に立ち上がってくる。
先述のイントロ部分は映画においてはPOV(ゲーム風に言うならばFPSか。主人公の視界のみで構成される主観映像)かつ長回しで構成されており、以降も「リアルタイム進行」「モノローグなし」で進んでいく。リアルなライブ感を重視しており、観客が疑似体験しやすい導線が引かれている。対して小説版は、映画版の主観映像に近い“ぼく”の一人称形式だが、モノローグも多く盛り込まれ、ここに至るまでの回想シーンも登場。「映画版の各シーンで“ぼく”が何を考えていたか」がつぶさに語られるとともに、“ぼく”と電話相手の女性のさまざまな人物設定や背景が明かされる。 観客の疑問や探求心、興味にしっかりと応える仕様になっており、テキストだけではなかなか想像しづらいシーンや圧迫感・閉塞感においては映画を観ればまさに一目瞭然。片方だけの観客・読者と映画・小説の履修者では、解像度がまるで違ってくるはずだ。
ただ、それ“だけ”ではないのが『8番出口』メディアミックスの強み。ここまでの説明だと小説版は「副読本」としての意味合いが強いと思ってしまうかもしれないが、サプライズに満ちた遊び心が幾重にも仕掛けられている。そもそも『8番出口』は、「異変を見逃さないこと」「異変を見つけたら、すぐに引き返すこと」「異変が見つからなかったら、引き返さないこと」「8番出口から外に出ること」という4つのルールに沿って迷宮を攻略する物語。異変/不変を見つけるたび=ステージをクリアするごとに「0番出口」が「1番出口」へと加算され、一度間違えると最初(0番)からやり直しになる。確実に異変があるわけではないのがキモで、進退のどちらを選ぶかがプレイヤーを悩ませる仕様なわけだが、劇場映画は不可逆のメディアであるため観客は「観続ける」ことしかできない。対して小説は「ページを戻って読み返す」ことが可能なため、また違った“プレイ感”が得られるのだ。その効果を高めているのが、先にちらりと述べた仕掛けの数々。例えばページ番号が不規則に黄色に塗られており、文中もカメラの「カ」だけが同様に黄色くなっていたり、ページ自体が塗りつぶされていたりとさまざまな“異変”がみられる。かつ、要所で“ぼく”が迷い込んだ迷宮の写真が挿入されるなど、想像力を掻き立ててくれる。小説版にしかない“異変”もあり、独立した読み物としてしっかりと楽しませてくれる。
観てから読むか、読んでから観るかだけではない面白さを提供してくれる『8番出口』。原作のゲームも含めて、どの“入り口”を選ぶかからもう攻略は始まっている。
文=SYO