55年前に失踪した謎の女性の正体を追うモキュメンタリーホラー『イシナガキクエを探しています』 音声、映像と共に明かされる恐ろしい真相【書評】
公開日:2025/9/11

50年以上、一人の人物を探し続ける。その執念を維持するには、相手への並々ならぬ思いが必要不可欠であろう。だが、そこにある“思い”が必ずしも愛情だけとは限らない。
福井鶴氏・寺内康太郎氏が原作を手掛け、夜馬裕氏が執筆を務めたホラーモキュメンタリー『イシナガキクエを探しています』(KADOKAWA)が、2025年7月に刊行された。本書は、2024年にテレビ東京「TXQ FICTION」枠で放送されたテレビドラマに、未公開の内容を加えた作品である。本作に登場する米原実次は、「イシナガキクエ」なる女性を50年以上探し続けていた。だが、肝心の情報があまりに少なく、捜索は難航するばかり。それもそのはず、肝心の顔写真さえない有様で、わかっているのは生年月日と背格好、「会話ができない」特徴のみであった。
55年前に失踪したイシナガキクエの存在を知り、興味を持ったテレビ番組のスタッフが米原の自宅を訪れたところ、当初は取材を拒否された。「お前らは嘘つきだから」という米原の台詞から、テレビ局に対する印象が良くないことがうかがえる。しかし、番組スタッフは根気強く米原との交流を重ね、徐々に信頼関係を築いていく。イシナガキクエとの関係について、米原は「大切な人」と言うだけで、詳細は教えてもらえなかった。米原がイシナガキクエと出会ったのは26歳の頃で、森の中で写真を撮っている最中に偶然知り合ったという。
テレビ制作部内では、「イシナガキクエを探すドキュメンタリー番組」を放映する案が出はじめていた。しかし、あまりに捜索人の情報が少ないため、米原の妄想ではないかという疑念もあった。番組ディレクターがその疑問を直接ぶつけてみたところ、米原はしばし口を閉ざし、一言こう問うた。
“「信用してもいいんですよね、あなたたちを」”
そう呟くと、米原は1枚の写真を手に戻ってきた。そこには、若き日のイシナガキクエの姿があった。正確には、その写真に写っているのはシルエットのみである。背景にピントが合っているため、肝心のイシナガキクエの顔はぼやけている。まるで、顔の部分にだけ水をこぼしたかのようで、鼻の凹凸以外のパーツはすべて不明瞭だ。この写真が本書の表紙でもあるのだが、思わずゾッとする風貌で、とてもじゃないが長く直視できない。何はともあれ、この写真によりイシナガキクエの存在が明らかとなり、公開捜索番組『イシナガキクエを探しています』の放映が決定した。しかし、オンエアに向けて本格的な捜索を進める中、番組スタッフの元に米原の訃報が届く。死因は焼身自殺。あまりにショッキングなニュースに、制作部内は騒然となった。
米原の死は自殺と認定されたが、イシナガキクエを探すことに人生のすべてをかけていた彼が、このタイミングで自殺するのはどう考えてもおかしい。制作スタッフは、米原の意志を継いで捜索番組の公開に踏み切った。しかし、捜索の過程であまりに不穏な動画や写真が発見されたことにより、中途半端な形で番組の打ち切りが決定する。その決定を不服とした若き女性ADは、資料を持ち出し独自に調査を進めていた。だが、2025年2月、「やっと見つけたかも」と言い残して家を出たのち、水死体で発見された。
イシナガキクエとは、果たして誰なのか。彼女を探そうとする先で、なぜ不審死が相次ぐのか。数々の疑問が交錯する本書は、終盤に向けて疑念と恐怖が加速する。中でも衝撃的だったのは、捜索の最中に見つかった米原の音声である。ノイズが激しい部分を音声ソフトで修復すると、以下の台詞が聞こえた。
“「キクエがもうこの世にいないってことを皆さんに確認してほしくてここに来ました」”
これは一体どういうことなのか。米原は、50年以上も彼女を探し続けていた。「もうこの世にいない」人物を探し続ける。そこにある“思い”を愛情だけと捉えるのは、いささか無理があるだろう。「探さなければならない」という強迫観念の裏側に見える、逃れようのない恐怖。米原が多くを語らなかった理由がそこにある。
文章と写真のほか、あちこちに点在するQRコードが示す動画や音声に導かれ、読者は奇妙な世界に迷い込む。エピローグでなされる注意喚起により、タイトルの意味が裏返る瞬間、言いようのない戦慄を覚えた。人間でも幽霊でもない、特異な性質の恐怖が粘着性を持ってまとわりつく。その感触に怯える私は、すでに出会ってしまったのかもしれない。決して会ってはならないもの。探してはならないものに。深淵を覗き込む時、深淵もまた、こちら側を見ている。捕まったら最後、もう逃げられない。
文=碧月はる
