山崎ナオコーラが「エッセイの神髄を感じる」と絶賛。中前結花、新作エッセイ集『ミシンは触らないの』刊行記念対談【山崎ナオコーラ×中前結花】

小説・エッセイ

公開日:2025/10/1

 口コミでじわじわと話題を呼び、ロングセラーとなったデビューエッセイ集『好きよ、トウモロコシ。』に続いて、2025年9月に待望の2冊目のエッセイ集『ミシンは触らないの』を上梓する中前結花さん。その刊行を記念し、中前さんがかねてから作品を愛読しているという小説家の山崎ナオコーラさんとの対談をお届けする。

中前結花さんのデビュー作『好きよ、トウモロコシ。』と新刊『ミシンは触らないの』
中前結花さんのデビュー作『好きよ、トウモロコシ。』と新刊『ミシンは触らないの』

「自分でお金を稼ぐことだけが社会参加の方法ではない」と教えてくれた本

──中前さんはもともと、山崎さんの作品を愛読されていたと聞いています。

中前結花(以下、中前):心から憧れている作家さんです。ただ、作品を読み始めたのはそんなに早くなくて、体調を崩して仕事を辞めざるを得なくなりすごく苦しかったときに、ナオコーラさんの『鞠子はすてきな役立たず』を読んだのが最初でした。会社員時代は、我を忘れるほど働いていたんですけど、体調を崩したこととこの本と出会えたことで、立ち止まることができました。働き方を変えて、エッセイで本を出版することができるようになったのも、そのおかげです。『鞠子はすてきな役立たず』には、かなり影響を受けましたね。

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 それまで私はずっと、働いている人が社会を回していると思ってたし、自分でお金を稼ぐことに大きな価値があると思っていたので、『鞠子はすてきな役立たず』には自分になかった視点をたくさん与えてもらったんです。ガムシャラに会社で働く、そういう形ではなくても社会参加ってできるよなあということを再認識したいときに、今でも何度も読んでいます。同じく、「自立」や「働くこと」の価値観について書かれているナオコーラさんの『可愛い世の中』もすごくおもしろく読みました。

山崎ナオコーラ(以下、山崎):ありがとうございます。頂いた中前さんの名刺には「エッセイスト・ライター」と書かれていましたけど、いまはフリーランスなんですか?

中前:いまも実は業務委託ではありますが、週に5日働いて会社勤めのようなことをしているんです。でも、この秋でその会社も辞めて、これからはエッセイ1本で行くつもりです。ライターという肩書きも名刺から外して、「エッセイスト」として生きていこうか、と。

山崎:エッセイを極めるんですか?

中前:はい。そうしたいなと思っています。

山崎:いいですね。私はエッセイというジャンルが小説よりもどこか下に見られがちなことに以前から憤りを覚えていたので、中前さんにエッセイをぜひ極めてほしい。中前さんのエッセイを読んでいると、エッセイの神髄みたいなものを感じるんですよ。これぞエッセイだなって。

中前:以前、『好きよ、トウモロコシ。』の書評でもそう書いてくださってましたよね。すごく嬉しいです。

山崎:音楽や文学ってよく「時間の芸術」と言われますけど、小説ってどうしても、「子どもの頃にこんなことが起きた結果、この人が成長しました」みたいなストーリーになりがちなんですよ。でも実際の人間ってもっと、ひとりのなかに子ども時代の自分や20代の自分が同時に存在している感覚で生きていると思うんです。中前さんのエッセイではそういうふうに、時間が重層的に表されている感じがします。

 お母さんのことを特によく書かれていますけど、ただ過去の話を書いているんじゃなく、中前さんが書いているその瞬間に過去のお母さんが実際に存在している感じがするんですよね。エッセイを通じて、小説にはできないような時間の表し方をされているなと思うんです。

新刊『ミシンは触らないの』目次
新刊『ミシンは触らないの』目次

中前:わあ……! それは自分では考えたことがなかったから、本当に嬉しいです。でも、たしかにそうですね。自分のなかに過去の自分が積み重なっているし、取り出そうと思えばすごくリアルに10歳のときの気持ちも12歳のときの気持ちも取り出すこともできるというか。母のことを書いているときは、実際に過去の母といま対峙しているような感覚で書いています。

山崎:そうですよね。中前さんの人柄の魅力ももちろんあるんですけど、それ以上に、時間のセンスみたいなもので読ませてくれるエッセイだなと私は感じました。

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