誰にも言えない願いを叶えるため、聖地を旅した8人の物語【角田光代 インタビュー】

ダ・ヴィンチ 今月号のコンテンツから

公開日:2025/11/21

※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2025年12月号からの転載です。

 善き願いばかりではなく悪しき願いもかなえてくれる神さまがいるとしたら、あなたなら一体何を祈るだろう。角田光代さんの最新短編集『神さまショッピング』は、そんなちょっと不穏な旅で幕を開ける。美津紀は、夫にも誰にも言わずにひとり、スリランカのカタラガマに向かった。実は角田さん自身、カタラガマを訪れたことがあるのだという。そう、そんな神さまが実際にいるのである。

世界の聖地を旅してきた、著者ならではの連作短編

「旅に出ると、その土地の聖地と言われる場所に行くのが好きなんです。どういう場所なのか見てみたいというのもあるし、聖地に行く人たちを見るのも好きなんだと思います」

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 2000年に初めてスリランカを旅した時も、そこから聖地に行けると聞いて、まずスリー・パーダに訪れた。スリー・パーダとはシンハラ語で〈聖なる足跡〉を意味する。

「山頂に足跡に見える穴があって、仏教徒はブッダの足跡、ヒンズー教徒はシヴァ神の足跡、イスラム教徒は人類の始祖アダムの足跡、キリスト教徒は聖トーマスの足跡に見立てている。すべての宗教が混在して共存している場所なんです」

 現地の人から「酔っぱらって登る人たちもいるから絶対にひとりで行ってはダメ」と言われて、偶然出会った日本人旅行者の人と山頂を目指した。当時、角田さんにはぜひともかなえたい願いごとがあったのだという。

「ハッキリ憶えてるんですけど、スリランカに行く直前に三島賞の候補になったんですよ。その時、ふられたばっかりで、彼氏がいなかったんですね。それで三島賞を願うか彼氏方面を願うかを必死で考えながら山を登って、山頂で日の出を待ったんです。そうして鐘を鳴らして、お祈りをして、ひざまずくという手順があるんですけど、最後まで三島賞か彼氏か迷って、いざお祈りする段になったら、やっぱり、そんなこと言えなくて、ただ穏やかに暮らせますようにって」

 険しい山道を登って、ようやくたどりついたのに?

「いっつも、そうなんです。いざ、その場に立ってみると、おじけづいちゃうというか、ひいちゃう。あれって何なんでしょうね。その時にゴールという町で車で旅をしている家族と出会って“自分たちはカタラガマに行く。スリー・パーダよりカタラガマに行った方が絶対にいい”と言われて。その時は日程的に厳しくて行けなかったのですが、もっと強力な聖地があるんだというのは憶えていて、いつか行きたいなと思っていたんです」

 その機会は、なんと、16年後にやってきた。

「本当に偶然行けることになったんですけど、カタラガマに行ったことがすごく大きくて、とにかくその時の印象があまりにも強烈で、これはもう書きたいなと。いいことも悪いこともかなえる神さまというのは日本人にとっては“えっ、いいの?”みたいな感じがあるところも興味深かったし、神さまに逢いに行く人たちを連作にしたら面白いんじゃないかと」

 いざ神さまに何を祈るのか 誰にも言えない本心とは

 カタラガマが一体どんな場所だったのか、美津紀はそこで一体何を祈ったのかはぜひ本編を読んでいただきたい。ミャンマーのゴールデンロック、香港の天后廟、サンティアゴの巡礼の道、モンゴルの草原、インドのガンジス川、パリのメダイユ教会、京都の縁切り神社……この本で描かれる8つの聖地は、いずれも角田さんが実際に訪れたことがある場所だという。

「ミャンマーには二度行きました。やっぱり異様なんですよ、巨大な黄金色の岩が浮いているというのが。エッセイにも書いているのですが、あれを見たら何かを想わずにはいられないので、書かずにいられないという感じでしたね」

 初めてひとり旅をしたのは25歳の時だった。書き溜めた旅のノートには物の値段、何を買ったか、どういう交通手段で行ったのかが記されていた。読みながら、その土地を旅しているような臨場感に惹きこまれるのはそのせいもあるのだろう。

「連作を書くにあたっては、まずは行く場所を決めて、そうするとどういう理由でそこに行くのかが必要になってくる。ところが肝心のその人が何を願うのか、強烈な願いというのが思いつかなかったんです。それこそ若いときは真っ先に恋愛成就とかも浮かんだはずなんですが、それを描いてもなんかつまらないなという気がして。年をとると、そんなこと神さまに頼まなくても人間の力だけでどうにかできるじゃないかって思うようになったんだと思うんです。別離だったり裏切りだったり相手を許す気持ちにしても、そんなこと神さまに頼んでもどうにもならない、自分にしかどうにもできないんだってことがわかっちゃったんだと思います。試合に勝ちたいとか誰かに勝ちたいみたいなことも、だったら自分で強くなるしかないんだよっていうのがわかっちゃって、それでそういう願いごとが出てこなかったんでしょうね」

 診断に納得がいかず、医者を次々と替えることを「ドクターショッピング」というが、この連作の主人公たちは、自分に合った神さまを求めて「神さまショッピング」の旅に出るのだ。

「こんなふうに世界各国の神さまを一応拝んでみるのって日本人ならではという感じがするんですよ。イスラム教徒の人が富士山を見て、きれいだと思ったとしても拝まないと思うし、神社で写真を撮ったとしても、神さまに願いごとはしないんじゃないか。もともと日本人は八百万の神さまを拝んできたから、ほかの国の神さまに手を合わせることにあまり抵抗がないというか、祈り慣れていますよね」

 それはおおらかな国民性ゆえかもしれないが、人には祈るしかない時がある。神さまに逢いに行く主人公たちは、家族にも誰にも打ち明けたことのない自分の心をたどる旅をする。だからこんなにもスリリングなのだろう。かなう、かなわないじゃない。それはどうにもならない自分の今を受け入れるための旅なのだ。

「何を願うかって本当に難しいですよね。私自身を振り返っても、本気でかなえたいことがあったはずなのに、いざとなると雰囲気があまりに神々しくて、心から世界が平和になりますようにとお祈りして終わったこともありましたから」

 毎月28本の締切を抱えていた角田さんが、念願のひとり旅を再開したのはおととしのこと。

「仕事ではあちこち行ってはいたのですが、ようやくまとまった休みがとれるようになって、ひとりで何も予定を決めずにする旅は20年ぶりでした。おととしはクロアチア、去年はウズベキスタンに行ったんですけど、この20年ですべてが変わっていて。ついていくのが大変です。わからないことは全部スマホで調べられるので人としゃべらないし、私、宿の口コミとか全部読まずにはいられないんですよ(苦笑)」

『神さまショッピング』は、いつか紀行文を書きたいと願う角田さん自身の新たな旅の始まりを告げる1冊でもある。

「60歳過ぎたら、もう一度、20代の頃のような旅をしたいと思っていました。だんだん世界情勢も悪くなって、世の中が他国の人に対して心が狭くなっていくような風潮がある中、60になったらという希望が果たしてかなえられるかどうか、ちょっと不安ではありますが」

 どうか、その願いがかないますように。

取材・文:瀧 晴巳 写真:山口宏之

かくた・みつよ●1967年、神奈川県生まれ。90年『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞、07年『八日目の蟬』で中央公論文芸賞、12年『かなたの子』で泉鏡花文学賞、14年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞を受賞したほか代表作多数。21年『源氏物語』の現代語訳で読売文学賞を受賞。

神さまショッピング
(角田光代/新潮社)1760円(税込)

夫にも誰にも内緒でひとりスリランカに向かった私が、善い願いも悪い願いもかなえてくれる神さまに祈るのは誰にも言えないあのこと。神さまにすがりたくなった時、人はどこで何を祈るのだろう。いざ神さまを前にした瞬間、誰もが心の奥に秘めていた本心と向き合うことになる。私のための神様を求めて旅をした8人を描く短編集。