かけおち・青木マッチョのエッセイ連載「青木マッチョの三十年史」【第1回】「人目をさけたい/幼少期①」
公開日:2025/11/8

お疲れ様です。
吉本興業様で「かけおち」というコンビを組ませていただいております、青木マッチョと申します。大それた名前ですみません。
本日から、ダ・ヴィンチWeb様で連載させていただくということで、自分の今までの歴史……というとそこまでのものではありませんが、自分が生まれてから、いかにして今の自分になっていったのかというものを書かせていただく運びとなりました。そんな奇跡みたいなこと起きるんですね。
実際に本当にこれが当たり前のことだと思っておりませんし、書かせていただけるということに毎日感謝しながら生きていきますので、稚拙な文章かもしれませんがどうかお許しください。
今更言い訳がましいですが、文章を書くことは昔から本当に好きです。中学の読書感想文で『羅生門』について書いたのですが、羅生門を読み始めるまでの自分の行動だけで原稿用紙5枚を費やしてしまい、読書感想文なのに「ついに僕は羅生門を読み始めた」という文で締めくくったことがあるぐらいなのです。先生は苦い顔をしていましたが後悔はありませんし、文章を書くことは好きです。
まあそんな自分の今まで何があったのかを書く前に、まず誰なんだよと思っている方も多いと思いますので、軽く……いや、自分みたいなどこの馬の骨かわからんやつが軽く自己紹介とか言うのも恐れ多い気がしますので、しっかり目に自己紹介させていただきます。
本名は青木陽平(太陽のように明るく、みんなに平等に接してほしいという意味で親が名付けてくれたらしい。ごめんね)、1995年7月31日生まれ、愛知県名古屋市出身(名古屋生まれの人って出身を聞かれた時に愛知生まれって言わずに名古屋生まれって言いがちですよね)、身長18…179cm(調子がいい時は180あります。本当です)、体重95kg(変動あり)、しし座のB型(A型じゃなくてすみません)、右利き(ベタ)、MBTIはINTJ(建築家)。
学生時代は残念ながら暗くて友達も少なく、高校卒業後に消防士として6年間働き、「声が小さい」「元気がない」などと怒られつつも急に仕事を辞め上京。
そのまま何を思ったのか東京NSCという吉本のお笑い養成所に入り芸人の道へ。
現在芸歴4年目にして謎に2024年、2025年上半期のブレイク芸人ランキングで共に3位に入り込み(ORICON NEWS様調べ)、バラエティ、ドラマ、映画、CMなどにありがたすぎることに出演させていただいています。
……確かにここまで読むと、少しは興味を持ってくれる方もいるのではないでしょうか。持ってくれなかった方は時間を割かせてしまい申し訳ございませんでした。3分ぐらいでしょうか? 本当すみません。
一人一人頭を下げに行きたい気持ちは山々です。
では自分がどのような人生を歩んで、さえないまま大人になってしまったのかを書かせていただきます。
まずは自分の幼少期について。
先ほどのプロフィールの身長体重を見ていただいた方はお気づきかもしれませんが、割とガタイはいい方です。ベンチプレスはMAX185kg挙げますし、上腕は細めのギャルのウェストほどの太さがあります。
もともと筋肉がついていたかというとそうでもなく、筋トレを始める前は身長170cm後半で体重が56kgとかなり華奢な方でした。
しかし生まれた時点では大きい方だったらしく、確かに思い返せば幼稚園の時は背の順だといつも一番後ろでしたし、写真を見ると自分だけ頭一つ抜けていて、微かな記憶ですが幼稚園の頃好きだった先生と手のひらを合わせた時に(かなりドキドキした)、自分の手の方が先生より大きかった覚えがあります(ドキドキが消えた)。
それだけ幼少期の頃から身体が大きいと、態度もそれなりに大きいガキ大将みたいな子になるのかなと思うかもしれませんが、実際は真逆でした。
幼稚園ではクラスの女の子にめちゃくちゃ振り回されてましたし……。
あ、こう書くとすごくモテてるように見えますが、違います。
物理的に振り回されたりしていました。日本語って面白いですね。
友達とみんなで遊んだりした記憶もそんなになく、泥団子をめちゃくちゃ作ったり、泥団子を綺麗に整えて顔が映るぐらいピカピカにしたり、最高傑作の泥団子を見えないところに隠して次の日見にいったら無惨に踏み潰されていたりと、そんな記憶しかありません。記憶を掘り返して悲しくなってきました。あまりにも泥団子の記憶しかなくて、泥団子幼稚園に通ってたのかなと思うほどです。通っていません。そもそもありません。
また、小学校では2年生まで普通に生活していたのですが、小学3年生の頃に一気に人から見られることが恥ずかしくなってしまいました。思春期というものなのでしょうか。
しかもそれと同時に、ランドセルを家に忘れて登校してしまうという大イベントが発生してしまいます。ゲームだったらもうゲームオーバーです。
そんなことありえるの?とよく聞かれますが、その日はランドセルの他に手提げ袋を持っていかないといけない日で、その手提げ袋を家を出る時に持った時点で安心してしまい、集団登校しているみんなから「それだけでいいの?」とちゃんと聞かれましたが、「なにが?」という毅然とした態度を取っていた記憶がはっきりあります。
今思えば「ランドセルは?」と聞かれてそこで気がつけば、あんな悲劇は起きずに済んだのですが……まずランドセルを忘れるなよという話でした。
そして学校に到着してからランドセルが無いことに気づき、先生に報告したら先生が目眩を起こし、クラスの朝の会をやっている最中に母親が教室までランドセルを届けにきてくれて、今でもその時の恥ずかしさは忘れられません。
その手提げ袋オンリー登校から、こんな恥ずかしい思いするぐらいなら何も目立ちたくない、何も発言したくない、空気になりたい、1人でいたい……となり、それがそのまま今の自分になっているという感じです。
正直、小学校の記憶はそこで途絶えてます。本当に何もなかったんだと思います。
今パッと思い出せるのは、同級生から「青木ってアンパンマンに似てるよね」と言われたことと、休み時間に生ゴミを運ぶ謎の委員会に入っていたということだけ。あぁ、アンパンマンに似てるよねって言われてから人に顔を見られるのも本当に恥ずかしくなったなぁ……。もうとにかく何をしてても恥ずかしい、本当に人に見られたくないと思い、教室でご飯を食べる時もコソコソと人に見られないように食べたりしていました。
とにかく、人目につきたくない……目立ちたくない……。
書きながら思い出してきました。もちろん当時の私は全くモテませんでした。小学3年生のバレンタインの日のこと、本当にバレンタインとか関係なく新品のジャンパーを着て登校したら周りから「青木がバレンタインでカッコつけてる!」といじられまくり、1日中恥ずかしい思いをしました。案の定、ちゃんと誰からもチョコ貰えないしでめちゃくちゃ情けない日がありました。でも心のどこかでは期待してるんですよね……。
また、小学6年生の時は担任の体育の先生から明らかに雑な扱いを受けていました。卒業式に写真を撮ってくださいとお願いしたところ、少し嫌な顔をされたことで、体育会系の人が苦手になったりしました。
さらに、卒業式の日に親がバッドボーイのスーツを買ってくれて、家を出る時も「かっこいいねぇ、モテちゃうねぇ」と冷やかされながら登校したけど誰からも見向きもされずにめちゃくちゃ恥ずかしかったこともあります。それ以来、変に服をカッコつけることをしないと決めました。
基本的に小学生の頃の記憶はなかったのですが、書いてるうちになんか嫌な記憶だけがどんどん出てきました。
このままコラムを書き続けて、これを書き終えた時、自分はどんな顔してるのでしょうか?
笑ってるのかな。そんなわけないか。
※編集部注:幼少期のお話の続きは11/22土に配信予定です!
<第2回に続く>