村山由佳「“動物を使った感動もの”を超える小説にしたかった」最新刊『しっぽのカルテ』への思い【インタビュー】

文芸・カルチャー

公開日:2025/11/26

最終章で降ってきた北川院長の生い立ち

──第3章「幸せの青い鳥」は、また違う角度のお話です。里沙が1年前に結婚した夫は、束縛がきつくモラハラ気質。結婚前から飼っているオキナインコに対しても、まったく関心がありません。そんな夫の不注意から、インコが危険な食べ物を口にしてしまい、北川院長のもとに運び込まれてきます。この夫が、絶妙に憎たらしいですね(笑)。

村山:書きながら腹が立ちました(笑)。最近「嫌知らず」という言葉を耳にします。相手が「嫌だ」と言っているのに、聞く耳を持たず受け入れてくれない人を指すそうです。

 こうして名前がつくと、すとんと腑に落ちることってたくさんありますよね。例えば「毒親」や「毒母」という言葉もそう。きっと他にも同じような経験をした人がいるから、名前がつくのでしょうね。

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──里沙が夫にされたことは、深雪の過去、彼女が受けた心の傷とも重なります。北川院長が、いつになく飼い主夫婦の関係に介入していくのも新しい展開でした。

村山:北川院長は、人間関係に興味がないから獣医師になったわけではありません。ただ、人との距離の取り方が独特なので、踏み込みすぎてしまうこともあります。彼女のように、不器用でも筋の通った行動美学がある人に惹かれますし、そういう人を描きたいなと思うんです。

──続く「ウサギたち」は、学校で飼育されるウサギと母親に育児放棄される少年を重ね合わせて描いています。

村山:子どもの頃、小学校にはウサギや鶏がいましたよね。ですが最近は、違う方法で命の大切さを学べるのではないか、狭い檻の中で動物を飼うのは虐待ではないかという考えから、動物を飼う小学校が減っているそうです。教員の負担も大きいですしね。その話を聞き、ウサギと少年の話を書きたくなりました。

──最終章「見る者」では、母親との関係や過去を乗り越える深雪の成長が描かれるとともに、北川院長の生い立ちも語られます。院長の過去については、最初から考えていたのでしょうか。

村山:いえ、まったく(笑)。モンゴルで育ったという生い立ちは、最後の最後にふっと降りてきました。

 というのも、私は20年ほど前に、NHK BSの番組の企画でモンゴルを旅したことがあったんですね。遮るもののない平原を、3日ほどかけて馬で走るという初めての経験をしました。その記憶がふと蘇り、モンゴルなら書ける! と思ったんです。

──北川院長の父親も獣医師で、モンゴルでは馬や羊を診てきました。時には、家畜を潰して食べることもあり、命と真摯に向き合ってきた様子がうかがえます。

村山:私が経験した旅でも、明日からは車も馬も入れない場所へ行くという前の晩に、車のヘッドライトの前でヤギを一匹潰したんですよね。残酷さはまったく感じず、荘厳な儀式を見ているようでした。彼らはこういうことをして日々生きているんだ、普段私たちが食べている肉もそうなんだと、体の中にすとんと落ちてきました。

 北川院長くらいブッ飛んだ人は、きっと私たち日本人が普通では経験しないような出来事を体験しているはず。それもあって、モンゴル育ちという設定が降ってきた時には「これだ!」と思って、そこから全部がつながりました。

──モンゴルで育った北川院長は、走れなくなった愛馬を看取りました。この経験も、彼女に大きな影響を及ぼしたのではないでしょうか。

村山:そうですね。私も長距離の馬術競技「エンデュランス」を長年行っていたため、脚を折った馬の安楽死についてよく聞かされてきました。実情を知らない人ほど「かわいそう」と言いますが、馬は立てなくなったらもう生きられない。こうした事情についてもきちんと書きたいと思いました。

 また、担当編集者と「北川院長はこの先恋愛をするんだろうか」と話し合ったことがあったんです。彼女の恋愛は、かつてモンゴルで愛した馬を見送ったことで終わっている。彼女にとっては、まさに馬が恋人だったのだと思います。

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