村山由佳「“動物を使った感動もの”を超える小説にしたかった」最新刊『しっぽのカルテ』への思い【インタビュー】
公開日:2025/11/26
最愛の猫もみじを見送った経験が、この物語を書かせてくれた
──「動物を飼うことを書きたい」という思いで始まった連載ですが、一冊書き終えた今、どのような思いがありますか?
村山:動物の飼い方は、人それぞれです。一人ひとり事情が違いますから、私が「せめてこうあってほしい」と思っても、必ずしもそれが正しいとも限りません。ただ、一度飼ったが最後、その動物は生活の中心になります。けして読者さんを啓蒙したいわけではありませんが、その責任の重さが伝わればいいなと祈るような気持ちで書きました。
──生きている命にも亡くなった命にも、あふれんばかりの愛を注いでいることも伝わってきました。
村山:ありがとうございます。動物を描くのは、やっぱり難しいんですよね。かわいく描いたり“いい話”にしたりするのは簡単ですが、「動物を感動の道具にしていないだろうか」と考え始めると、途端に難しくなって。「この一行を書けばエモーショナルになるけれど、お涙ちょうだいになりかねない」とか、いろいろ考えてしまうんですよね。
──人間を描く時よりも、繊細な配慮が必要になるのでしょうか。
村山:そうですね。人間は手前勝手に生きているのでどうとでも描けますが、動物で感動を描くのは禁じ手でもあります。「ずるいよね。村山由佳」とは言われたくないじゃないですか(笑)。この小説も「動物病院を舞台にした命をめぐる物語」とうたったら、感動ものを想像しますよね。でも、その予想をなんとか越えたくて。
──ありきたりな感動ものとは一線を画し、命の本質に触れる作品だと思いました。それも、愛猫家として知られる村山さんが動物とともに生きる楽しさ、苦しさをご存じだからではないでしょうか。
村山:愛猫家というより、ただの下僕ですけどね(笑)。子どもの頃からいろいろな猫と接してきて、どの子も分けへだてなく愛してきたつもりですが、時々どうしようもなく“特別”が現れるんです。私にとって特別な存在なのはもちろん、その猫にとっても私でなければダメ。そういった猫たちが、今の私を支えてくれるのだと思います。
猫エッセイはこれまでたくさん書いてきましたが、きっとエッセイでは書けないことを自分から切り離した物語として書いてみたかったんでしょうね。読者から見たら、『風よ あらしよ』(集英社)のような歴史小説を書くほうが大変だと思うかもしれませんが、精神的負担で言えば『しっぽのカルテ』のほうが大きくて。これまでの経験から距離を取り、自分の外側に物語をつくるのが難しいんです。
──今までの経験を踏まえつつも、カメラを引いて描くということでしょうか。
村山:そうですね。たった今ふと思ったのですが、もしかしたら一番大事な猫のもみじを見送った経験があったから、この物語を書けたのかもしれません。もみじ以前の猫は、完全室内飼いではなかったので、家に帰ってこなくなることでその猫の死を知りました。ですが、自分で責任をもって最期まで見送ったのは、もみじが初めて。ものすごくつらかったですし後悔もたくさんありますが、もみじが私の人生を豊かにしてくれたのは間違いなくて。
彼女の死から7年が過ぎ、時間を置いたことでようやく書けると思えたのかな。そう考えると、『しっぽのカルテ』はもみじが書かせてくれた物語なのかもしれないですね。
取材・文=野本由起
