緩和ケア病棟を通して描く“終末期”への向き合い方。死にゆく人と生を見つめる医療者たちの奮闘。感動の医療小説『春の星を一緒に』【書評】

文芸・カルチャー

公開日:2025/11/17

春の星を一緒に
春の星を一緒に(藤岡陽子/小学館)

「家族」という存在が、誰にとっても大切とは限らない。しかし、大切か否かにかかわらず、家族の死は重いものだ。看取るのも、看取られるのも、どちらも相応の痛みが伴う。それが命の重さであり、尊さなのだろう。

『リラの花咲くけものみち』(光文社)で第45回吉川英治文学新人賞を受賞した藤岡陽子氏が、2025年8月、新たに『春の星を一緒に』(小学館)を刊行した。本書は、患者の痛みと真摯に向き合う医療者の日常を描くヒューマンドラマ小説である。

 主人公の川岸奈緒は、看護師として働きながら一人息子の涼介を育てるシングルマザーだ。元夫の不倫が原因で離婚をしたのを機に、京都府丹後の実家に帰省し、父親の手を借りながら生活を送る。涼介は素直で思いやりがあり、いつも母親の幸せを一番に考えている。離婚以来、二人は互いに寄り添い合いながら生きてきた。

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 だが、ある日、奈緒は涼介が通う高校の担任から呼び出しを受ける。話を聞くに、涼介の進路調査票が未提出であるという。三者面談の場で、涼介は自宅から近い国公立大学の医学部を希望する旨を用紙に記した。担任の草田はそれを見て、「己を知れよ」と吐き捨てるが、のちに涼介の決意がその場凌ぎではなく、本気であることが明らかになる。その根底には、三上高志という医師の存在があった。

 三上は、奈緒が働く海生病院で勤務医として働く傍ら、過疎化が進む宇野山診療所の地域医としても尽力している。奈緒の父親である耕平や涼介とは釣り仲間で、奈緒自身も宇野山診療所で訪問看護師として働いていた経験があり、三上とは家族ぐるみの付き合いだ。

 一方、三上には家族がいない。記憶が残らないほど幼い時分に、母親は家を出た。その後は、アルコール依存症の父親と難病を抱える祖母の介護に追われ、祖母の死をきっかけに自ら児童相談所に逃げ込み、養子縁組をして養父母のもとで育てられた。三上が医師になるまでの道のりは、途方もなく険しいものだったと言える。

 本書に登場する人物はおしなべて穏やかで、物語は優しく淡いトーンで進む。だが、耕平が発熱した夜を境に、暗い影が漂いはじめる。耕平の発熱は、コロナウイルスの感染が原因だった。五類感染症に移行したとはいえ、コロナによる重症化が無くなったわけではない。現実においても、コロナの後遺症による生活苦が社会問題となっている。

 結論から言えば、耕平はほどなく命を落とした。シングルマザーの奈緒にとって、それがどれほど心細いことか、言葉にするまでもないだろう。本書終盤、ある人物に窮地を助けられた際、奈緒はこのように心情を吐露する。

助けてほしい時に助けてくれる人がいる。一人で子どもを育てていると、それがどれほどありがたいことか。

 常に待ったなしでハプニングの連続である子育ては、体力、気力だけではなく、時間との勝負だ。人間一人が使える時間には限りがある。助けてほしい。誰か、手を貸してほしい。奈緒がそう思った時、これまでは耕平がいてくれた。耕平は、涼介にまめまめしく愛情を注ぐ、慈愛に満ちた祖父だった。

 深い悲しみに暮れる奈緒のもとに、通夜の折、招かれざる客が訪れた。その人物の登場を境に、物語は急展開を迎える。

 一般病棟や在宅医療のほか、緩和ケア病棟の様子も克明に描かれる本書は、医療小説としても読み応えがある。医療者の苦悩に加え、彼らにも家族がいて、自分の生活があるのだという当たり前の事実を、本書を通して思い知る。体調を崩した際、いつ何時でも医療にかかれる現代の制度は、医療者の奮闘により成り立っている。物語としての魅力はもちろん、そんな現実をも目の当たりにして胸が熱くなった。

 さまざまな見せ場が波のように訪れる本書は、片時も目が離せず、中弛みする隙がない。それでいて、一貫して流れる空気は、春の桜のように揺るぎなく美しい。要所要所で登場する人物が紡ぐ言葉は、いつも「誰かのため」にある。伝えるため、守るため、遺すため、受け継ぐため。それらの言葉に触れるたび、人を信じたいと思う。

三上の人生は、人よりも不運なことが多い。でもこの人は、不運であっても不幸にはならなかった。

 奈緒のこの言葉を、大切に胸にしまった。私の生育環境は、三上のそれに近い。たとえ父が死んでも、私はおそらく奈緒のようには泣けないだろう。だが、私は不幸ではない。癌を患う父の死が穏やかなものでありますようにと、そう願えるほどには、私も年を取った。

 春の夜空を見上げながら、大切な人と手をつなぐ。そんな時間を大切にしようと、固く決意する。死んでしまったら、二度と伝えられない。だから、生きているうちに伝えなければ。「あなたが大切です」と、そう伝えるためにこそ言葉があるのだと、この美しい物語が教えてくれた。

文=碧月はる

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