ぬすっと野郎が売り飛ばそうと勇者の剣を抜いたらお姫さまに捕まりムリヤリ勇者にさせられた! 与えられる責任との向き合い方を問う物語【書評】
公開日:2025/11/19

抜いた者が勇者になれる剣があったら、抜いて勇者になりたいと誰もが思うかというとそうでもない。ぬすっとのソロがそんなひとり。聖剣セイントロールをちょっと笑える方法で見事に手に入れ、とっとと売り飛ばそうとする。そこに現れたのがルーナという名のお姫さま。魔王や配下の四天王たちと戦うのを嫌がった剣のトロと意気投合して逃げだそうとしたソロを捕まえる。
ここで凄いのがルーナのソロたちへの対応だ。聖剣を持つ勇者として皆の希望になって欲しいと頼み込む。たとえ偽者の勇者でも、そうだと信じられてさえいれば本物の勇者と同じだけの影響力を発揮できる。バレたらソロといっしょに嘘吐きだと非難されかねない振る舞いだけど、もしかしたらルーナにだけ見えている未来があったのかもしれない。
聖剣がなくてもそのまま勇者と言えるくらいに強いルーナがいて、ぬっすとならではの運動神経にトロの力も乗って『鉄騎士』シュッツを倒すくらいには強くなるソロもいる。だから安心、みんなで魔王を倒しに行こうと突き進むほんわか道中記になるのかと思ったら、突然の超絶シリアスで超絶シビアな展開にぶん殴られる。
魔王軍が動き出して四天王直属の「黒竜」フェルニグが襲ってきて、直前までのほのぼのとした風景が一変する。現実でも突然の天災なり事故で平穏な日常が崩壊することはあるけれど、この雰囲気の物語ならコミカルに進むのかと思っていたところの激変ぶり。それにどうにか耐えたところに、ルーナが自分ひとり残ってソロを逃がそうとする展開に、作者はどこまで残酷なんだと叫びたくなる。
勇者なのだから。世界を救う希望なのだから。身を挺してソロとシュッツを逃がすルーナから思い出したのが、戦国時代の関ヶ原の戦いで行われた「島津の退き口」だ。西軍に与して敗れた島津義弘が、敵中を突破して薩摩国まで戻った激しい退却戦のこと。そこで使われた「捨て奸(がまり)」という戦術が、数人ずつ決死隊として残って追っ手を食い止め、その間に義弘を残すというものだった。平野耕太のマンガ『ドリフターズ』に出てくる島津豊久が、まさに「捨て奸」のひとりだった。
武士だからそこで討ち死にをしても一種の誉れになっただろう。けれども義弘は逃がされた。結果、268年後に薩摩藩が明治維新の立役者となって、今のこの日本に繋がったと思うと、「捨て奸」が歴史の上でどれだけの意味を持っていたかが分かる。ルーナはソロにそんな未来への期待をかけたのかもしれない。
とはいえソロはただのぬすっとだ。義弘のような家臣や領民からの信頼はなかった。それなのにルーナはソロを逃し、シュッツも後に同じような行動を取る。その時のソロの気持ちはどのようなものだったのだろう。取るに足らない自分でも、勇者の剣を持っているというだけで誰からも頼られ守られていることを、屈辱的で恥ずかしくて情けなく思ったのだろうか。
いくら逃げるのが仕事のぬすっとだからといって、そこまで愛され頼られていながら期待に応えられない心情を思うと、居たたまれない気持ちになる。受験でもスポーツでもピアノや芸術といったものでも何か親や先生から期待され、それに応えようとして応えられない苦しみを感じている人には、きっと通じるところがある主人公だ。
街を樹木で覆って押しつぶすような強大な敵を相手にした戦いをくぐりぬけ、驚くような恩恵を受けた先でまたしても直面する困難の数々を、もう同じように誰かを犠牲にして乗り越えたくないと目覚めていく。そんなソロの生き様に、自分で考え決断する勇気の大切さを教えられる。そんな物語だ。
このあと、カクヨムネクスト連載上でもソロの試練は続く。なんといきなりパーティー追放! からの大魔法使いの下での魔法修行。そこでも底辺からのスタートになるけれど、大魔法使いの目に何かひっかかったあたりから大逆転が始まりそう。いったいどこに向かうのか? 世界はソロに救われるのか? 続刊を期して待て。それかカクヨムネクストで連載を読め。

文=タニグチリウイチ
