いつか書きたいと思っていたテーマ 宗教二世を巡る、言葉と人の物語【湊 かなえ インタビュー】
公開日:2025/12/12
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2026年1月号からの転載です。

『暁闇』と『金星』、二つの物語で構成される本のなかほど、『暁闇』の終章の扉に、湊さん自身の言葉が現れてくる。“(『金星』を読んだあとで読むことをおすすめします。)”。
「注釈のとおりに、その章を飛ばして読む方、そのまま読み進める方、双方いらっしゃると思うのですが、どちらでもいいんです。ただ、そう記しておくことで、二つめの物語『金星』を読み終えたとき、どちらの選択をした方もここに戻ってきてくれるのではないかなと。そこで、これまで見ていた景色がどう変わるか。本の終わりとは、必ずしも最終ページではない、ということにも思いを巡らせていただけたら」
驚きに満ちた趣向と企みを内包した一冊。ストーリーは、文壇の大御所作家でもある文部科学大臣・清水義之が、全国高校生総合文化祭の式典の最中、舞台袖から飛び出してきた男に刺され、死亡する事件がN県で発生したというニュースの記事から幕を開ける。逮捕された男の名前は永瀬暁、37歳。母親が多額の献金をしていた新興宗教「世界博愛和光連合(通称:愛光教会)」と清水大臣との関係を独自に突き止め、襲撃を決めたという。
「どこかのタイミングで、宗教と宗教二世に関わる話を書きたいと思っていました。宗教に入る人は特別な人というイメージを持ってしまいがちですが、普通に人生を送るなかで、ちょっと曲がったらそこへの道があったかも、ということに思い当たる人って多いと思うんです。特別な場所ではない、というところから物語を始めたく、入口は誰もがよく知る事件と重ねました」
彼は逮捕されたのち週刊誌で【『暁闇~永瀬暁の告白〜』】という手記の連載を始める。「暁闇」は《獄中記》というノンフィクションで語られる。
「報道で示されていることについて私なりに思うところがあり、主人公になりきって、心の内にあるものを見出だしていきたいと思いました。“これは怒りの告発なんだ、俺の声を聞け!”と、一切の装飾を言葉から取り去り、あの日の自分のこと、あの日までの自分のことをぶつけるように書いていきました」
時を遡りながら綴られていく暁の手記からは、坂道を転がるように崩壊していった家族の姿が映し出されていく。先天性の病を持つ弟と自分、二人の子どもを置き去りにして教団施設へと向かった母。そして6歳のときに自死した父のこと。連載の合間には、SNS上の反応や関係者へのインタビュー、手紙をはじめ、様々な形の媒体、文体の言葉が登場する。オンラインニュースでは暁の父が、デビュー作から6年連続、日本最高峰と呼ばれる文学賞、桜柳賞にノミネートされた実力派作家、長瀬暁良だったことも明らかにされる。
「父親が作家だったことについて、おそらく暁は自分からは言わなかったと思うんです。けれど外からの言葉に反応し、父のことも綴っていく。こうした手記に触れるときって皆、どこか誰かの強い言葉に乗っかって、その事件を見ているのではないかと思って。様々な媒体を通じた意見や言葉を提示することにより、“この目線からなら、自分は考えていけるかもしれない”という足場を、たくさん作りたかったんです」
そして『暁闇』に続き、展開されていくのは、まったく同じ事件をフィクションで提示したもの。『金星』は事件当時、表彰式のアシスタントゲストとして舞台袖にいた作家・金谷灯里が著わした小説だ。
子どもを捨てていく罪と巻き込んでいく罪と
「ノンフィクションは本当に事実なのか、逆にフィクションだからこそ書ける真実があるのではないのかという思いが、ひとつの事件をノンフィクションとフィクションで捉えた、この構成へと繋がりました」
“彼と初めて出会ったのは、小学校二年生の夏休みのある一日だった”というひと言から始まる小説『金星』は、同じく宗教二世の少女・星賀の視点で進み、暁をモデルにしたと思われる“暁生”を捉えていく。
「宗教二世の方々の生きづらさはどこにあるのだろう、なぜ抜け出せないのだろうと考えたとき、彼らは宗教そのものではなく、宗教にハマった親や家族にがんじがらめにされ、宗教をやめる=親を捨てる、家族と縁を切るとなるから切り離せないのでは、と思ったんです。暁は宗教にハマった母親に置き去りにされた。一方、星賀は母親に連れられていく。宗教に子どもを巻き込む罪と捨てていく罪、どちらが重いのかも考えたかった。そして同じ宗教二世でも外側にいる人と内側にいる人の視点を書きたかったんです」
宗教にのめり込み、変貌していく母、その娘であることから学校でも皆から距離を置かれ、孤独な星賀の友だちは本だけ。そんな彼女が大切にしている江戸川乱歩の『黒蜥蜴』は日々のなかに光を放つ。
「小さいときから大人向けの本を読んでいる人って、親の本棚で見つけて手に取った人が多いと思うんです。そして親もいい、自分もいいと思う作品って何か普遍的なテーマがあるのだろうなと。暁生が父の本棚で見つけ、星賀に手渡した『黒蜥蜴』は、私も家の本棚で見つけたもの。“やっぱり本物の乱歩、面白い!”となった一冊だったんです」
重い病気で長期入院をしている父の本棚に、暁生の父・長瀬暁良の本を見つける星賀。そしてあることから書かされることになった“作文”。そこで見出された彼女の“書く”才も愛光教会に絡めとられ……。
29作目の本作は一番好きな作品になりました
「入口は3年前の事件ですが、出てくる宗教団体、そこから広がる世界は一から作りあげていきました。人は言葉で誘導されたり、救われたりする。言葉や文字で世の中を変える教義や経典を作り、作家や出版社も取り込んで、文字の持つ力を業界内から操ろうとする宗教団体を」
知らぬ間にその渦のなかに巻き込まれていった作家たちの存在が『暁闇』でも『金星』でも語られていく。自身の言葉と人生を、言葉の宗教によってコントロールされてしまう人々。けれど何者にも阻まれない言葉があることも物語は示していく。登場人物はもちろん、読む人のなかに優しく刻まれていく、“二等分と半分こ”という言葉があるように。
「そのエピソードが出てくる一日は、星賀と暁生へ、私からのプレゼントのような気持ちで書いていました。辛い境遇のなかにいるこんな二人だからこそ、ささやかなことに幸せを見つけられるのではないかなと」
ミステリーであることを忘れてしまうくらい、人間の物語が様々な文体で示され、言葉を通して人間を著わしていく。世界中で様々な言語に翻訳されている湊作品だが、本作はとくに、原語で読むことの歓びが際立ってくる一作である。
「装画を描いてくださった黒川博行さんの奥様、日本画家の黒川雅子さんから龍が進化することを教えていただいたことをはじめ、執筆中、物語に重要な意味を持つパーツがどんどん集まってきました。そういうことが起きるときって良い作品が書けるときなんです。そしてそのパーツをパズルのように埋めていったとき、間にある線がすべて消え、まるで一枚絵のようになっていきました。しかも両面のあるものに」
ある一行でこれまで見ていた世界が変わる。そこで気付くのだ、これは愛の物語でもあることを。
「『金星』を書いた作家にとっても、そして私自身にとっても“覚悟”を示す一行でした。自分の作品が好きだとあまり言わないようにしているのですが、29作目となったこの小説は、これまでの作品のなかで一番、好きな一作になりました」
取材・文:河村道子 写真:冨永智子
みなと・かなえ●1973年、広島県生まれ。2007年「聖職者」で小説推理新人賞を受賞。翌年、同作収録の『告白』が「週刊文春ミステリーベスト10」1位、09年には本屋大賞を受賞。「望郷、海の星」で日本推理作家協会賞短編部門、『ユートピア』で山本周五郎賞を受賞。『贖罪』がエドガー賞候補に。近著に『人間標本』『C線上のアリア』。

『暁星』
(湊 かなえ/双葉社) 1980円(税込)
文部科学大臣で文壇の大御所作家・清水義之が全国高校生総合文化祭の式典の最中、飛び出してきた男に刺され、死亡する事件が起きた。逮捕された男の名前は永瀬暁、37歳。彼は逮捕されたのち、週刊誌に手記を発表しはじめる。そこには清水が深く関わっているとされる新興宗教、通称:愛光教会に対する恨みが綴られていた。暗闇の奥に隠された永瀬の目的とは――。
