子犬育成ゲームで飼い犬に「おっぱい」と名付けたあの頃。話題の文筆家は、変な自分にどう折り合いをつけたのか【伊藤亜和インタビュー】

文芸・カルチャー

公開日:2025/12/27

 noteに投稿したエッセイが話題となり、注目の書き手となった伊藤亜和さん。テレビやラジオなどでも活躍する話題の文筆家が、このたび子ども時代を振り返るエッセイ集『変な奴やめたい。』(ポプラ社)を上梓した。セネガル人の血を引くルーツ、真面目すぎてズレてしまう言動、うまくコントロールできない自意識などについて、笑えて泣けてグッとくる筆致で綴っている。幼い頃から地続きの“変な自分”をどう捉えているのか、そして子ども時代を書くこととは。伊藤さんに話をうかがった。

子どもの頃の自分を、今の自分がわかってあげたい

──『変な奴やめたい。』は、Web連載に書き下ろしなどを加えたエッセイ集です。そもそもこの連載は、どのような経緯でスタートしたのでしょうか。

伊藤亜和さん(以下、伊藤):2、3年前に、noteに「変な奴やめたい」という短い文章を発表したところ、それを読んだ編集の方が気に入ってくださって。このエッセイを中心に、幼少期の話を書いてほしいという依頼をいただきました。

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──収録されたエッセイを読むと、伊藤さんの記憶力に驚かされます。子どもの頃の体験から友達の固有名詞まで、鮮明に覚えていますよね。

伊藤:子どもの頃に起きた出来事は、けっこう覚えています。写真がたくさん残っていますし、幼稚園の頃のビデオも家にあって。小さい頃から写真や映像を見返す機会が、他の人より多かったんじゃないかと思います。ただ、どうしても記憶が曖昧になってしまうこともありました。そんなときは当時の自分と今の自分は地続きであると信じて、書きながら抱いた感情を補足しています。

──エッセイを書く時にも、過去の写真やビデオを観返しましたか?

伊藤:書く時に観るというよりは、昔の自分の姿が常に身近にあるんです。ケータイにも画像が入っていたり、押し入れを開けたらすぐ写真があったりするので、暇な時に見返すのが趣味だったんですね。

──当時の感情は曖昧な部分もあるそうですが、その時に感じた怒りや悲しみ、楽しさもみずみずしく描かれています。

伊藤:曖昧な部分もありますが、強烈に感じたことは記憶に残ってます。今のことは全然覚えていないし、昨日あったことすら忘れていますけど。でも、昔のことはなぜかすごく覚えていて。

 子どもの頃は、すべての経験が新鮮でしたよね。今はもう30歳近いので、自分に不都合のある感情は正面から受け止めなくなってきています。その分あっさり忘れてしまいますが、幼い頃は良くも悪くもそうやって受け流すことができなかったんじゃないかなと思います。だから当時のことを覚えているのかもしれません。

──子ども時代について書くことは、伊藤さん自身が当時の自分の気持ちを整理したいからでしょうか。

伊藤:当時の自分を今の自分がわかってあげたいからです。当時は自分をことをわかってくれる人がいなくてさびしかったので。

──誰かにわかってほしいという気持ちがあるのでしょうか。

伊藤:昔から「自分って何だろう」と思っていたんです。でも、子どもが大人に「私って何?」なんて言ったら、「え、どうした。やばくないか?」と心配されちゃうから。大人になってこういう本を書く機会をいただいたので、自分の中でずっと取っておいたものを書いてみました。

──収録作の中でも書き下ろしのエッセイは、子どもの頃の自分と現在の自分を結びつけるものが多いですよね。例えば「土曜日のビンゴ大会」では、小学生の頃のビンゴ大会でいつまでも穴が直線上に揃わないことに、何にもなれない自分を重ねています。あの頃があるから今があるという思いが強いのでしょうか。

伊藤:そうですね。過去の自分と今の自分は地続きだなと思うことが多くて。文章を書く仕事を2年ほど続けてきましたが、ある程度時間が経つと自分が何を書いたか、ぼんやりした記憶になっていくんです。自分のエッセイを読み返して「これってこうじゃない?」と思うと、その2、3行先にまったく同じことが書いてあることも。結局、自分の持っている引き出しの中でしか物事を考えられないし、その引き出しは小さい頃からあまり変わっていない。成長してもまったくの別人ではないんだなと、最近強く思います。

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