初任給17万、月6日休み、1日13時間超労働、そして圧倒的暴力を纏う“カンザキさん”――注目の劇作家による初小説『カンザキさん』が描くもの【書評】
PR 公開日:2026/1/7

圧倒的な恐怖によって負った傷は瘡蓋になり、ふとしたときに剥がれ、血が滲む。癒えたように見えても、傷はたしかに残っている。そんな恐ろしさを、困惑が入り混じる文体で綴った小説だと思った。
劇作家として数々の賞を受賞してきたピンク地底人3号さんによる、初めての小説『カンザキさん』(集英社)の話だ。最初の一行を読んだが最後、あっという間に物語の世界に引きずり込まれてしまった。
主人公は25歳の〈ノミ〉。15歳の頃から重度のうつ病を患い、希死念慮に苛まれてきたという人物だ。それでも6年かけて大学を卒業した彼は、しかし、就職活動ができなかった。そこでどうにか入ったのは、家電量販店の下請けをする配送会社だった。
その就労環境は酷い。休みは月6日で、労働時間は8時~21時半。それでいて初任給は17万円。しかしながら、こういった待遇よりも酷いのは人間関係だ。人を人と思わないような先輩や上司に加え、同期のなかにも高卒や中卒を見下すような者がいる始末。それでもノミが仕事を続けられたのは、やさしいミドリカワさんがいたからだった。ミドリカワさんの指導は、ごく当たり前のものでしかないと思う。丁寧な言葉を使い、仕事内容についてひとつずつ教えていく。しかし、それを「当たり前」だと思えないのは、ノミの環境がいかに劣悪かの証明になっているだろう。
なかでも酷いのが、作品タイトルにもなっているカンザキさんの存在だ。カンザキさんの態度は「理不尽」の一言。いや、それでは済まないくらいかもしれない。ひとたび機嫌を損ねれば、謝ろうがなにをしようが怒りは止まらず、そばにいたら本当に殺されてしまうのではないかという恐怖に包まれていく。案の定、カンザキさんと接したことで逃げ出した者もいれば、精神的に壊れてしまう者も出てくる。
じゃあ、ノミはどうするのかというと――。そこが本作の読みどころだろう。ノミは決して逃げようとはしない。正直、どうして? と何度も思ってしまう。だが、関西弁混じりのノミの思考過程を読まされているうちに、読み手自身もいつしか、逃げ出せない迷宮に閉じ込められたかのような錯覚に陥ってしまう。逃げればいいのに、とわかってはいるのに、でも逃げられない気持ちもわかってしまうのだ。
支配と依存。ノミの言動を追いかけていくうちに、このふたつの単語が浮かんだ。それらは人間を縛り付けるものだ。愚かだとわかっていても、どうしようもない。
本作を読み、そしてノミの置かれた状況を見て、「さすがにあり得ないだろう」と感じた人は、幸せ者かもしれない。ぼくはこの物語を、すぐ隣で起こっているかもしれない日常の断片だと読んだ。それくらい暴力は日常的なもので、しかし、見えづらく加工されているのだ。
せめてもの救いは、どうやらノミが生き延びているらしいとわかることだろうか。それでも、ノミのからだには傷跡が刻み込まれている。その瘡蓋は不意に剥がれ、やはりノミを襲うのだが。
文=イガラシダイ
