「井田さんのラフを拝見すると、いつも涙が出るんです」著者の“好き”を詰め込んだ『家が好きな人』の制作秘話【井田千秋×担当編集インタビュー 前編】

マンガ

公開日:2026/1/25

「私はこんなものを描きます」という名刺代わりの1冊に

──先ほど「ほどよい緊張感」というお話がありましたが、すべてをひとりで手掛ける同人誌と違い、商業出版では編集者が伴走します。それによって新たに生まれたもの、井田さんの中から引き出されたものはありましたか?

井田:『家が好きな人』は同人誌版で方向性を固めたものの、120ページ近い1冊をどう構成するか悩みました。ネタ切れしないか、途中で飽きてしまわないかという不安もあり、鎌倉さんに相談したところ「オムニバス形式でいくつかのお部屋を描くのはどうか」という話が出てきたんです。

 そこで5軒分のアイデアを考えていったところ、鎌倉さんから「これからひとり暮らしを始める人を登場させてもいいかもしれませんね」とご提案いただいて。5章の「アキラさん宅」は、そこから生まれたエピソードです。まっさらな状態から暮らしが始まっていく様子を描くことができました。

 『家が好きな人』より
『家が好きな人』より

 同人誌は自分勝手に作れるのが魅力でもありますが、『家が好きな人』では制作中に第三者の感想をいただけるのも新鮮でした。私が描くのは、生活のささやかなこと、ごく個人的な暮らしのことばかりです。わざわざマンガにするようなことでもないですし、読者からどんな反応が返ってくるか、世に出すまでわかりません。鎌倉さんから「ここが良かったです」と具体的に言っていただけると、安心して進められました。

──鎌倉さんは、井田さんに寄り添う際に意識したことはありますか。

鎌倉:いえ、何も考えていません(笑)。井田さんの描くものは本当に素晴らしくて、「こうしたほうがいいです」と修正案を出すこともなく、「最初に読ませていただいてうれしい。こんな幸せな仕事があるのか」という感じなんです。5章のアイデアも、私だけのものではありません。社内の意見も取り入れましたし、井田さんのお力で描かれたものだと思っています。

──『家が好きな人』は、それまでの作品と比べて住む人の物語性がより強く打ち出された作品だと感じました。1冊描いてみていかがでしたか?

井田:もともとキャラクターよりも“家”が主役で、家の中を妄想するのが楽しくて絵を描いてきました。マンガを描くことになった時も、「マンガという表現を借りて今までやってきたことを描いてみよう」というのが出発点でした。

 家を描くとなれば、そこには当然住人も出てきます。起承転結のあるストーリーを作るのは私には難しいので、住人が部屋でどう過ごすのか、動きを追うことにしました。ご飯を食べる、寝るといった日常の動作をカメラで追い、それをコマ割りしてマンガにする。そうなると、キャラクターの表情、習慣、しぐさを自然と描くことになり、人物像をより具体的に、よりミクロな視点で解像度高く想像するようになっていきました。

──この人はどんな家に住み、どんな家具に囲まれ、どんな服を着ているのか。住人の生活を丸ごと想像する感じですね。

井田:それがすごく楽しいんです。家を描く時はいろいろなアプローチがあるのですが、たとえばひとり暮らしを始める女の子なら、やっぱり初めてのひとり暮らしだし、まだ若くてお金もそんなにないから、コンパクトなワンルームに住んでいるかなと想像していきます。そこから間取りを考え、「この中にどうやって家具を置くかな」「いきなり高いソファはちょっと勇気が出ないよな。でもベッドは欲しいな」「ベッドでスペースを取ってしまうとダイニングテーブルを置く場所がないな。小さいテーブルをこの辺に置くか」と暮らしぶりを妄想しながら、物を増やしていくんです。

 ある程度イメージできたら作画に入りますが、絵を描きながらも「やっぱりここにこういう物が欲しいな」「ここにティッシュがあると便利だな」と足していって。描きながら妄想がどんどん膨らんでいく、楽しい作業ですね。

鎌倉:そうやって描いているからこそ、何度読み返しても発見がありますし、隅々まで観たくなるんですよね。本当に素晴らしい本ができたなと、私も自信をもって送り出すことができました。井田さんの代表作のひとつになったと思いますが、いかがでしょう。

井田:この本ができたことで、自分の方向性が定まりました。それまではおうちの絵を描くのが好きという漠然としたイメージだけがふわふわあって、私はどういう仕事をしていけばいいのか、何が得意なのか、道筋が見えていなかったんです。「私はこういうものを作ります」という名刺代わりの1冊ができ、やっとスタートラインに立てたような気がしました。

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