読書はコスパが悪い――10〜20代へのインタビューを通して浮かび上がる「本を読めなくなった人たち」の実態【書評】
公開日:2026/2/9

『本を読めなくなった人たち-コスパとテキストメディアをめぐる現在形』(稲田豊史/中央公論新社)は、読書や文章を読む行為そのものの変容について多角的に切り込み、同著者の『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(光文社)の続編とも位置付けられている1冊だ。
若者を中心として広がる“本離れ”、年代を問わず深刻化する長文読解力の低下。それらの原因として真っ先に思い浮かぶのは、YouTubeをはじめとする動画プラットフォームの興隆や、XをはじめとするSNSの浸透だ。情報を得る手段の多様化によって、本はオールドメディアになったというのが一般的な考察だろう。しかし、それは単なる表層に過ぎず、情報を得る媒体の変化に伴い、文字に対する体感や、読書に対して抱くイメージも大きく変わりつつある。
読めなくなった人たちの本音を通じて見える、読書の価値変容
本書は10〜20代へのグループインタビューを核として、本を読まなくなったリアルな原因を探っていく。例えば、動画が本に代わる情報源となるならば、なぜ10〜20代は本ではなく動画を選ぶのか。無料記事がいくらでも読める時代、コストをかけて情報を得ることをどう感じているのか。こうした問いを一つひとつ掘り下げることで、若い世代から見た本や文章の価値が浮かび上がってくる。
特に印象的だったトピックは、「読書をする人のハイステータス化」である。動画や音声などと比べて、情報を得るのにお金も時間もかかる読書は、パフォーマンスの観点で非効率的だというのが現代的な感覚らしい。本を読まない人たちから見ると、それでもなお本を好んで買う人たちは「本好きな自分が好き」というアイデンティティを持つ人たち、というふうにも見えるそうだ。
一人の読書家としては、そういったラベリングが浸透しつつあることに戸惑いを隠せない。とはいえ、本書には本を読める人と読めない人の対立を深める意図は全くない。メディア、テクノロジー、ライフスタイル、経済状況など、あらゆる要素の変化が日本を非読社会化させている。その結果人々は本が“読めなくなった”ということを、インタビュー対象者の本音とデータを交えながらひもといていく。
読み手が変われば書き手も変わる――新時代のテキストビジネスの行方
本書は読む行為に関わるWeb記事、SNS、本、新聞、雑誌など多様な媒体に言及するだけでなく、読み手から書き手まで対象とする。ZINEを出版する人たちやライターについての考察は頷く内容ばかりだった。また、昨今のトレンドであるAIによって生成された文章についても触れている。AIが文章の価値をどう変えていくのか。その情報の信頼性は担保されるのか。そうした問いを通じて、これからの書き手の立ち位置を考えさせられた。
全体として、本と距離を置く人々の目を通して、文章に関わるあらゆるビジネスの需要と供給をニュートラルに分析した1冊という印象を受けた。何かしら文章に縁のある読者であれば、気付きを得る内容が多い。また、本を読めなくなった人たちがもしこの本を手に取ったならば、読めないことを過度にネガティブに考える必要はないと思えるかもしれない。いずれにせよ、これからの「読む」や「書く」を考えるうえで手に取りたい1冊だ。
文=宿木雪樹
