事故で亡くした幼馴染をテーマに卒業制作の絵を描く――ただし、彼は彼女の記憶を失っていて…? 死んだ彼女の視点で綴られる二人称小説!

文芸・カルチャー

更新日:2022/11/15

きみが忘れた世界のおわり
きみが忘れた世界のおわり』(実石沙枝子/講談社)

 恋だとか友情だとか、そんな単純な言葉では括れない。魂と魂で通じ合えるような存在。自らの片割れのような相手を喪ってしまったとしたら、あなたならどうするだろう。ショックで塞ぎ込む人もいれば、強い衝撃によって記憶が閉ざされ、何もかも思い出せなくなってしまう人もいるのではないか。

 第16回小説現代長編新人賞の奨励賞受賞作『きみが忘れた世界のおわり』(実石沙枝子/講談社)の主人公は、そんな大切なはずの記憶を失っている。天才的な類稀な画力を持つ美大生・木田蒼介。彼は完成間近の卒業制作を教授から「過去も未来も、この絵にはない」と酷評されたことで、作品をゼロから作り直すことに決めた。蒼介が新たに選んだテーマは、自身の過去——6年前に交通事故で亡くした幼馴染・河井明音とのこと。だが、明音とともに事故に遭った蒼介はその後遺症で、彼女に関するすべての記憶を失っていた。明音のことを知るため、聞き取りを進める蒼介は、情報を集めるうちに、彼の思い描く明音像を投影した幻覚・アカネを見るようになり……。

 この物語には、独特の臨場感がある。それはこの作品が亡くなった明音視点で紡がれる二人称小説だからだろう。二人称で描かれた作品を目にする機会は少ないから、最初は「きみ」と呼びかけられるたびに戸惑いを覚えるかもしれない。だが、読み進めれば読み進めるほど、その不思議な余韻に惹き込まれる。語り手である「わたし」・明音の思いがどんどん身近に感じられるのだ。

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わたしは正直、今のきみが好きじゃない。手にしているものを当たり前だと思って、わたしよりもかわい子ぶってるわたしの幻覚を相手にするきみには、はっきり言って反吐が出そうだ。ただ、きみが今の状況をうまく利用すれば、わたしはもう一度きみの記憶として生き返ることができるのかもしれない。きみに思い出してもらうなんてほとんど諦めていたけど、もしかしたら、諦めなくてもいいのかもしれない。

 最初、蒼介はただ教授をあっと言わせる絵が描きたくて、明音と自分の過去を探っていただけだった。しかし、明音の周囲の人たちの悲しみに触れるにつれ、自身にとって明音がどれほど重要な存在だったか、それを忘れてしまっていることがどれほど異常なことなのかに気付かされていく。天才的なチェロの腕前を持っていた明音。絵画と音楽。分野は違えど、蒼介にとって明音は才能が共鳴し合うかけがえのない相手だったはずだ。「わたし」の視点でそれが明かされていくほどに、心揺さぶられる。明音亡き今、もしかしたら、すべてを忘れたまま生きるほうが、蒼介にとって幸せなのかもしれない。それでも、蒼介は明音の記憶を追い求めずにはいられなくなる。

 人は記憶の集合体だ。誰と出会い、どんな思い出を築き上げてきたのかがその人を形作るだろう。だから、その大切な部分を失った蒼介は、過去の彼の姿を知る人から見れば歪ですらあるらしい。過去と向き合うことで、蒼介は初めて自分自身を知り、そして、それを作品へとぶつけていく。芸術を生み出すということは、こんなにも過酷なことなのか。その奥深さと厳しさをもこの小説は教えてくれる。

 この本は、大切な人を失くした喪失感を抱えながら生きる人たちにこそ読んでほしい。かけがえのない人を喪ったとしても、その記憶は生き続け、私たちの礎となっているはず。新しい一歩を踏み出すための再生の物語を、読んでみてはいかがだろうか。

文=アサトーミナミ