「難病もの」「余命もの」と一線を画す“世界の汚さ”を描く青春小説。生きる価値すら見いだせない汚さの前に、少年少女が向かう「正しくない結末」とは?

文芸・カルチャー

更新日:2023/3/18

毒をもって僕らは
毒をもって僕らは』(冬野岬/ポプラ社)

 ポプラ社が2023年1月から3カ月連続で、「第11回ポプラ社小説新人賞」の新人賞、および特別賞を受賞した計3作品を順次刊行している。1月に刊行された菰野江名氏の『つぎはぐ、さんかく』、2月刊行の川上佐都氏による『街に躍ねる』に続いて今月発売となるのが、同新人賞で特別賞を受賞した冬野岬氏の『毒をもって僕らは』(応募時の「とべない花を手向けて」から改題/ポプラ社)である。

『毒をもって僕らは』は、冴えない男子高校生と難病に冒された少女との出会いと対話を軸に物語が進んでいく。こうしたメインキャラクターの設定だけを聞けば、今日きわめてポピュラーなモチーフが、本作でも採用されているように思える。ただし、命の残り時間を意識して生きる本作の主人公たちが追い求めようとするのは、かけがえのない人間の生の美しさや尊さなどではない。少女が希求し、また少年が彼女に伝えようとするのはむしろその真逆、生きる価値すら見いだせなくなるほどの世界の汚さである。

 クラス内で孤立し馬鹿にされる日々を送る男子高校生・木島道歩は、尿路結石を患い病院内で16歳の誕生日を迎える。不遇の只中にいる道歩に声をかけたのは、同じく入院中の少女・綿野。不治の病で余命を宣告されているという綿野は、この世界にある不幸や薄汚さを自分に教えてほしいと道歩に頼む。そんな折、学校生活を再開した道歩に待っていたのは、クラスメイトたちからのさらなるいじめだった。散々な目に遭わされた道歩は彼なりのやり方で報復を企てるが、その空回りした復讐は道歩と綿野との間に眠る、思いがけないリンクを呼び起こす――。

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 かたや周囲から孤立してゆく根暗の道歩に、かたや病院の外の世界に触れられずに生の終わりと向き合う綿野。この世界に救いを見いだそうとしない2人は、互いに通じ合っているとも完全にすれ違っているともつかない関係を紡いでいく。この微妙な噛み合わなさこそが、主人公2人の間に独特の空気を生んでいる。物語のキーとしてたびたび登場するとある植物は、絆とすれ違いを同時に抱え込んだような道歩と綿野の繋がりをシンボリックに示していて印象深い。

 また、周辺人物たちの綿野への振る舞いはほとんど理不尽でさえあるが、それこそが2人が見つめようとするこの世の醜悪さの体現でもある。道歩を疎むような幼馴染・矢野和佳奈も、外面だけはいいイケメン・斎藤一真も、綿野に対して冷酷ともいえる身勝手な振る舞いをしてみせる。その行動の背後には、それぞれが抱える当人なりの切実さがあることも明らかになるが、だからといって読者が簡単に共感できるような、都合よく優しい人物造形ではない。彼らもまた、まさしく「世界の汚さ」の一部である。

 けれども、安易にこの世界に希望を見いだしえないからこそ、限りある生が愛おしいものとして立ち上がってくるような生々しさが本作にはある。『毒をもって僕らは』には、道歩自身が言う「正しい結末」ではない場所へと駆け抜けてゆくからこその鮮烈さが滲んでいる。

文=嵯峨景子