“不貞の子”と後ろ指をさされた幼少期。私を救ってくれた男の子の存在/小戸森さんちはこの坂道の上①
更新日:2025/2/6
『小戸森さんちはこの坂道の上』(櫻いいよ/KADOKAWA) 第1回【全7回】
フリーデザイナの小戸森乃々香は、祖母宅の管理を頼まれ、故郷に戻ってきた。「不倫の子」として肩身の狭い思いで過ごした福井の海沿いの町。急勾配の坂の上に建つ祖母宅で、心機一転、故郷で快適な一人暮らしを満喫しようと思っていたのだが――。海外に行ったきり会っていなかった幼馴染の清志郎が、ふたりの子どもを連れてやってきて!? 突如始まった同居生活の行方は…?

(櫻いいよ/KADOKAWA)
不倫とは、世間では迫害されるほどの罪であるらしい。
だから、不倫の末に生まれたわたしは、罪の証で、穢らわしい存在で、かわいそうな子どものようだ。
それを理解したのは小学三年生のときだった。学校生活の疑問点が解けて納得したのを覚えている。その後、小学四年生のときにわたしは母親と離れて祖母の暮らす町に引っ越すことになった。が、環境がかわったところで事実がかわるわけではない。つまり、不倫に対するまわりの認識はかわらなかったし、わたしを取り巻く環境もかわらなかった。どこに行くにも家の前にある坂道をのぼりおりしなくてはいけなくなっただけ。
すっかりやさぐれたわたしの前に現れたのは、太陽の光を吸収して光り輝いているようなひとだった。
「乃々香はオレがいるからひとりじゃないよ」
そう言って、近所に住む三歳年上の清志郎は、ひとりでいるわたしの手を引いて坂道を一緒にのぼってくれた。真っ赤な夕日が空を染めていて、黄色とオレンジと赤に色づいた雲が清志郎の背後に浮かんでいた。
わたしが日陰の存在だとしたら、彼は日向の国の王子さまだった。もちろん、冷めた小学生だったわたしが本気でそんなことを思っていたわけじゃない。けれど、間違いなく彼はひとを照らすひとだった。
わたしがひとりでいると、清志郎はいつも声をかけてきた。面白い漫画を教えてくれて、楽しいゲームに誘ってくれた。様々なことに興味を持つ彼は、それらすべてをわたしと共有しようとしてくれた。
学校が、田舎が、ひとが、嫌いだったあのころのわたしにとって、清志郎だけが特別だった。清志郎は〝わたし〟を見てくれたから。まわりのひとが言う〝わたし〟ではなく、目の前の〝わたし〟を。
「乃々香、知ってるか。世界は広いんだよ」
茶の間の真ん中でひとりバナナを食べていたわたしに、庭にいた清志郎が言った。空に向けて両手を広げていた。
「だから、オレ以外にも乃々香のそばにいるやつはいると思うよ」
「……そうかなあ。でも、どっちでもいいかなあ」
「やる気がないなあ、乃々香は。小学生なのに元気がないぞ」
小学生がみんな元気だと思われるのは困る。でも、清志郎の言うように、クラスメイトは無駄に元気でうるさい。傷みはじめたゆるゆるのバナナで口をいっぱいにしながら、小学生というのはやっぱりつまらないしいやだなと思った。
「わたし、はやくおとなになりたいな」
三歳年上の清志郎は、わたしよりもずっとおとなに見えた。だから清志郎はいつも笑っていて楽しそうなんだろう。自由だし、いつでもどこにでも、好きなときに好きなところに行く。おとなの言うことを無視もする。
「なんで? もったいないこと言うなあ」
「だって、なんか、自由じゃん。お母さんもおばあちゃんも、わたしみたいに学校も行かなくていいし、嫌いなひととは関わらないこともできるんでしょ」
よく祖母は「あの新しい女の子はクビ! 顔も見たくない!」と言っていた。お母さんだってよく「なんで好きでもない相手とご飯なんか行かなきゃいけないのよ時間の無駄」って文句を言っている。
そんなふうに、わたしもいやなひととは関わらないでいいおとなになりたい。
学校みたいに絶対一緒にいなくちゃいけなくて、仲良くしなくちゃいけなくて、むりやり閉じ込められる場所に行かないでいいおとなになりたい。
「そう言われると、そうかもなあ」
ふむふむと清志郎が顎に手を当てて頷いた。
「でもオレは、乃々香がおとなになってもそばにいてやるからな」
「ほんとに?」
「乃々香がオレを嫌っても、関わり続けてやるよ」
清志郎を嫌いになるなんて、当時のわたしには想像もできなかった。けれど、もし嫌いになって離れたくなっても、清志郎はしつこそうだな、とも思った。うれしいような、うっとうしいような、不思議な気持ちで笑ってしまう。
「乃々香は乃々香の好きなように、おとなになればいいよ」
太陽の光を浴びてキラキラと輝く清志郎が、満面の笑みをわたしに向けた。そして、
「好きにしていいし、無理することはない。けど、乃々香はひとりじゃないから諦めんなよ。そうすれば、もっと自由だ。いつだってどこにでも行ける。そのためにも、誰でも入れるように、心は開いておけよ」
なにが言いたいのかはよくわからなかった。
心を開くとか、ちょっとキザっぽい。
けれどなんとなく「うん」と返事をすると、清志郎は満足そうに頷いた。
清志郎がそばにいてくれると言ったから、そして実際そばにいてくれたから、わたしは少しだけ、ひとのことを好きになれたんじゃないかと思う。清志郎がいなければ、きっとわたしは中学でも友だちと呼べるような子を作ることはできなかっただろう。
わたしにとって、清志郎はわたしの生活の一部だった。
隣にいるのが自然で、当たり前で、日常だった。
そんな彼は、三年後、晴れやかな顔をして──わたしから離れた。
「これから海外行ってくるな!」
「……は? 旅行?」
「いや、高校やめたから、当分海外で暮らすんだよ」
昨日も顔を合わせたけれど、そんな話は聞いていない。すでに高校をやめていたなんて、いつから計画していたのか。当分とはどのくらいなのか。
ぽかーんとしていると、清志郎は「じゃあな」とわたしの肩をぽんと叩く。
「乃々香はもうかわいそうじゃないから、大丈夫だろ?」
そう言って、大きなリュックサックを背負って晴れやかな顔でどこかに行った。
清志郎は、わたしのことをずっと〝かわいそうな子〟だと思って親切にしてくれていたのだと、そのときに知った。
わたしは、同情されているだけなのだと知らずに、初恋を捧げていたのだ。
当時中学一年生で、恋だの愛だの恋人などというものに色気づいたわたしの手元には、彼に渡すつもりだったチョコレートがあった。おまけに手作りだった。
冷たい風が吹き付ける中、失恋したことに気づくまで、わたしは茫然と突っ立っていた。清志郎の背中が見えなくなっても。
そして、
「タチが悪い!」
母親が父親や彼氏のことを言うときに使う言葉を叫んだ。
<第2回に続く>