故郷に戻ってきて10日。幼少期に好きだったあの人が突然家にやってきて…/小戸森さんちはこの坂道の上②
更新日:2025/2/6
『小戸森さんちはこの坂道の上』(櫻いいよ/KADOKAWA) 第2回【全7回】
フリーデザイナの小戸森乃々香は、祖母宅の管理を頼まれ、故郷に戻ってきた。「不倫の子」として肩身の狭い思いで過ごした福井の海沿いの町。急勾配の坂の上に建つ祖母宅で、心機一転、故郷で快適な一人暮らしを満喫しようと思っていたのだが――。海外に行ったきり会っていなかった幼馴染の清志郎が、ふたりの子どもを連れてやってきて!? 突如始まった同居生活の行方は…?は…?

(櫻いいよ/KADOKAWA)
ポーン、と間抜けなチャイム音が響く。
聞き慣れない音で瞼が開き、まだ見慣れない天井を見つめ舌打ちをする。チャイムで目覚めたことに加えて、いやな夢を見たから余計に気分が悪い。なんだって十六年ほど前のムカつく男を今さら夢で見なくてはいけないのか。
「この土地のせいか」
しかめっ面で横になったままそばのカーテンを引く。窓の外には暑そうな青空が広がっていて、窓ガラスが蟬の鳴き声で震えているような気さえする。枕元のスマホを手にして時間を確認すれば、十二時前だった。
フリーのデザイナーとして働き出してから休日はあってないようなものだけれど、昨日の土曜日に仕事をあらかた片付けたので、日曜日の今日は昼過ぎまで惰眠をむさぼるつもりだった。そのために昨日は朝方まで映画を観て夜更かしした。
なのに、なんでチャイムなんかが鳴るんだ。
布団をかぶって居留守を使おうと目をつむる。が、再びポーンとチャイムが鳴る。
引っ越してきて十日ほど経つが、これまでこの家に来客はなかった。坂道の上にはわたしの家しかないためお節介をするお隣さんはいないし、仲のいいご近所さんもいない。おそらく宅配業者だろう。玄関先に別途取り付けた宅配ボックスがあるので、そのうち帰るはずだ。眉間に皺を寄せて、もう鳴りませんように、と祈る。
チャイムを鳴らされるのは好きじゃない。自分の家に誰かが来るのは、昔から苦手だ。わたしのテリトリーを侵されるような気がする。
が、今度はポーンポーンポーンと三回立て続けに鳴らされた。
「……っ、ああ、もう!」
がばっとタオルケットを蹴り上げて起きる。大きめのTシャツにレギンス姿のまま、どすどすと外まで聞こえるように階段を踏み鳴らして向かった。そのあいだもチャイムが二回鳴る。誰か知らないがせっかちすぎる。
「……はい」
ショートカットの髪の毛をガシガシとかきむしりながら、苛立ちを隠さずに玄関の引き戸を開ける。その瞬間、耳をつんざくけたたましい蟬の鳴き声が襲ってきた。弾けたような音の衝撃に聴覚がおかしくなって、思考回路がめちゃくちゃに破壊される。そして、暑い。一瞬にして肌が焦げるような熱を感じた。
「よ、乃々香」
顔をしかめるわたしに、目の前にいた誰かが声をかける。
弾むような話し方は、聞き覚えがない声なのに懐かしくなる。逆光で、相手の姿をはっきり見ることができるまで数秒かかった。最初に変なイラストがプリントされた白のTシャツ、そして動きやすそうなデニムとスニーカー。最後に、くるくるの髪の毛。
「……きよ、しろう?」
目に染みるほど眩しい太陽の光を背負った男──清志郎は、わたしに名前を呼ばれて光に負けないほどの明るい無邪気な笑顔を向けた。
わたしよりも三歳年上なので、すでに三十歳を過ぎている。なのに彼は、十六歳のころとなにひとつかわらない笑みを浮かべていた。
「な、なに、なんで」
「いやあ、久々にこの坂のぼったよ。相変わらずすごい勾配だよな」
「そうじゃなくて、え、なにしに」
「喉渇いたなあ」
話がまったくかみ合わない、というか彼は言いたいことだけを口にしている。そして「疲れただろ?」と視線を下に向けて誰かに話しかけた。
そこでやっと、清志郎の足元に小学校低学年くらいの男女がいることに気づく。おかっぱ頭の男の子はおどおどした様子で、上目遣いにわたしを見ている。ツインテールの女の子は大きな瞳をまっすぐにわたしに向けていた。
自分がどういう反応をかえせばいいのかわからなくて目を瞬かせていると、
「今日からよろしく!」
と清志郎は意味のわからないことを言った。それにつられるように、ふたりの子どもが「よろしくお願いします」と頭を下げる。
蟬がはやし立てるように鳴いた。
<第3回に続く>