「そんな話聞いていない!」昔好きだった人と、彼の子供たちと、まさかの同居!?/小戸森さんちはこの坂道の上④
更新日:2025/2/6
『小戸森さんちはこの坂道の上』(櫻いいよ/KADOKAWA) 第4回【全7回】
フリーデザイナの小戸森乃々香は、祖母宅の管理を頼まれ、故郷に戻ってきた。「不倫の子」として肩身の狭い思いで過ごした福井の海沿いの町。急勾配の坂の上に建つ祖母宅で、心機一転、故郷で快適な一人暮らしを満喫しようと思っていたのだが――。海外に行ったきり会っていなかった幼馴染の清志郎が、ふたりの子どもを連れてやってきて!? 突如始まった同居生活の行方は…?

(櫻いいよ/KADOKAWA)
それから、二ヶ月後の七月中旬、今から十日ほど前にわたしは祖母の家に引っ越してきた。母親はわたしの引っ越しに「物好きね」と不思議そうではあったが反対はしなかった。マンションはそのままにしてもらえたのもありがたい。
祖母はわたしがやってくる数日前に旅行へ出掛けしまい、すでに姿はなかった。「一度目的のない旅をしてみたかったのよ」と気分よさそうに話していた二週間ほど前の電話が最後で、今はどこでなにをしているのかさっぱりわからない。
それはいい。それはべつにかまわない。いつものことだ。
『おかけになった電話は、電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため──』
「電話は繫がる状態でいてよ!」
思わずスマホに向かって叫ぶ。
「そんな大声出すなよ、子どもたちが驚くだろ」
背後から清志郎ののんびりとした声が聞こえてきて歯ぎしりをしながら振り返る。庭に面した茶の間で寛いでいる彼の隣にはふたりの少年少女がいて、明らかにわたしにびびっていた。
「そのうちばあちゃんからは連絡あるだろ。あ、そろそろオレらの引っ越しトラック来る時間だな。どの部屋使えばいい?」
「いやいやいや、ちょっと、ちょっと待って」
落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせる。
「だいじょうぶだって、ばあちゃんが『この家で暮らしていいって』言ってくれたんだから。安心しろよ、乃々香」
どうやら、今日から清志郎と子どもふたりもこの家で暮らすらしい。
──そんな話聞いていない!
そんなわたしの心の叫びも空しく、家の前にトラックがやってきた音が聞こえてきて、「こんちわー! うさぎマークの引っ越し社ですー」と元気な声が響く。
「今行きまーす! んじゃ、乃々香、家で仕事してんだろ。オレらのことは気にしないでいいからさ。あ、あと乃々香、まともなもん食ってないだろ」
「……それは今、関係ないでしょ」
「乃々香は昔から食に対して無頓着だからなあ……」
そう言って清志郎は玄関に向かった。
荷物まで来てしまったので、とにかく運び入れる場所が必要だと一階にある八畳の二部屋を提供した。襖で仕切ることのできるいちばん奥の和室だ。二階のわたしの部屋から最も遠いところでもある。
騒がしくなった一階から離れて自室に戻り、再び祖母に電話をかける。もちろんまだ電話は繫がらない。
「どこにいるのよ、もう!」
もどかしさに叫び、ベッドに倒れ込む。
はあーっと枕にため息を吐きだして気持ちを落ち着かせると、ブチ柄の小太りな猫──ブチがそばに飛び乗ってきた。祖母が世話をしていたらしく、家に住み着いている。
清志郎が痩せこけてぐったりしていたサビ柄の子猫を拾ってきたとき、猫嫌いの祖母は顔を顰めていたがすっかり猫好きになったようだ。庭にも数匹の猫が出入りしているが、ブチは家からほとんど出ない。っていうか猫を最初に拾ってきたのは清志郎なのに、なぜわたしや祖母が世話をしていたのだろうか。彼が甲斐甲斐しく面倒を見ていたのは、サビが元気になるまでのあいだだけだった。
「……まさか、清志郎が結婚してたなんて」
そんなことを呟いてしまった自分に気づいて、「清志郎が結婚できるとはね!」と無駄に大きい声で言葉をつけ足した。
清志郎のざっくり説明によると、妻とは別れたらしいけれど。ふたりの子どもとこれからどうしようかと悩んでいるときに、祖母に「じゃああたしの家に住めばいいよ」と言われたようだ。昔から清志郎と祖母は仲が良かったが、ず
っと連絡を取り合うような仲だったのは知らなかった。
っていうか、一ヶ月前に決まっていたならなぜそれをわたしに伝えないのか。
清志郎もどうしてこの町に帰ることを決めたんだろう。彼の実家はわたしが高校生になったころに福井県内のもう少し便利な土地に引っ越した。実家に帰れない事情があったのかもしれないが、せめてその近くに住んだほうが便利なはずだ。
清志郎は、わたしがこの家に住んでいることを祖母に既に聞いていた。
なのになぜ、引っ越してきたのか。それでもいい、と思ったのだろうか。
わたしは、会いたくなかったのに。
──『乃々香はもうかわいそうじゃないから、大丈夫だろ?』
そばにいると言ったくせに、拾ってきた猫が元気になったらもうあとは好きにしろとほったらかしたように、清志郎はわたしを突き放した。
そのことを、彼はなんとも思っていない。わたしがどう感じたかも、気にしていない。
だから、こんなふうに軽い気持ちでわたしと住むことを受け入れることができるのだ。
「仕事しよ……」
馬鹿馬鹿しい過去の感傷に浸るなんて無駄でしかない。
仕事関係にはすでに引っ越しを伝えてしまったので、早々にこの家を出るわけにもいかないのだ。ならば、この生活をストレスフリーで過ごせる方法を考えなければいけない。そのためにも、あとで清志郎と話さなければ。今はとりあえず仕事をしようと頭を切り替えベッドから体を起こし、PCデスクの前に移動する。そしてヘッドフォンをつけて音楽を流し、一階から聞こえる喧噪を遮断して仕事に集中した。
<第5回に続く>