この状況はどういうこと? 静かな暮らしを求めて引っ越したはずなのに…/小戸森さんちはこの坂道の上⑥
更新日:2025/2/6
『小戸森さんちはこの坂道の上』(櫻いいよ/KADOKAWA) 第6回【全7回】
フリーデザイナの小戸森乃々香は、祖母宅の管理を頼まれ、故郷に戻ってきた。「不倫の子」として肩身の狭い思いで過ごした福井の海沿いの町。急勾配の坂の上に建つ祖母宅で、心機一転、故郷で快適な一人暮らしを満喫しようと思っていたのだが――。海外に行ったきり会っていなかった幼馴染の清志郎が、ふたりの子どもを連れてやってきて!? 突如始まった同居生活の行方は…?

(櫻いいよ/KADOKAWA)
「んじゃ! ご飯でも食おう!」
パンと手を叩いて、清志郎は明るい笑みを顔に貼りつける。
今は、清志郎の言うように気にしないように努めよう。
清志郎は隠し事をせずに、あっけらかんとなんでも話すタイプだ。そんな彼が、子どもたちについては〝奥さんの連れ子〟としか言わなかった。それ以上のことを話すつもりがないからに違いない。
そこにほんの僅かにさびしさみたいなものを感じるのは、幼馴染だからだ。
しみじみとそんなことを考えながら階段を降りるとどこかからバイクの音が聞こえてきて、近くで止まった。そのあとすぐに、ポーン、と今日二回目のチャイムが鳴る。
「お、きたきた」
それを知っていたかのように清志郎が玄関に向かった。
どういうことだと清志郎のあとを追いかけると、玄関の引き戸が開かれた。わたしの意思と関係なく、外と家がつながる。
「よ、お邪魔します」
まだ日差しのきつい中、玄関の先には汗を浮かべたひとりの男性がいた。
黒髪のさっぱりとした清潔感のある髪型に、黒色のTシャツ、そして同じく黒色のテーパードパンツ姿の彼は、見るからに会社員の雰囲気がある。黒縁メガネをかけているせいか、若干神経質そうにも感じた。身長は、清志郎よりもやや高い。そして、彼の手元には、スーパーの袋が下げられている。
「おー久々! まあ連絡は取ってたけど」
「お前は本当に急だよな」
「持つべきは親友だな。あ、乃々香、これからご飯は漸が担当してくれるから!」
親しげに男性と喋ったあと、清志郎は男性の肩を叩いてわたしに言った。
……いや、誰だ。っていうかこれから? これからって言った? どういうこと。
「はじめまして、佐藤漸です」
呆然とするわたしにぺこりと頭を下げた彼は、清志郎と違って落ち着いた心地のよい声をしていた。慌ててわたしも「はじめまして、小戸森乃々香です」と挨拶をする。
で。この状況はどういうこと?
疑問を浮かべたわたしに気づいて、漸さんがビニール袋を軽く持ち上げる。
「清志郎に頼まれたんで。料理作る人がいないから助けてくれって」
いつの間にそんなことをしたのか。
反射的に清志郎を睨むと、彼は「高校時代の友だち!」と説明を付け加えた。そんなことはどうでもいい。
清志郎は「さあさあ」と彼を招き台所に連れて行く。
「あ、乃々香さん、嫌いなものとかアレルギーとかあります?」
「え、あ、わたしはないです、けど」
足を止めた漸さんは、くるりと振り返りわたしに訊いた。
彼の一重の冷たそうな目元に背筋が伸びる。威圧感がない柔らかくて丁寧な口調だけれど、なぜか警戒してしまう。まっすぐに目を見て話すひとだからだろうか。
「オレもないし、子どもたちにアレルギーもないよー。な?」
茶の間から台所を覗きこんでいるふたりの子どもに清志郎が声をかける。ふたりはこくこくと頷き、期待を込めた眼差しを漸さんとやらに向けている。
「んじゃ、予定通りハンバーグでいいか」
ハンバーグ、という言葉に子どもたちの目が輝いた。
「乃々香さんは気にせず、仕事とか休憩とかして待っててください」
なにが起こっているのかわからずぼーっと突っ立っていると、にこりと微笑まれた。笑っているのに邪魔だと言われたような気がして「あ、はい」と素直に答えておずおずと出ていく。となりの清志郎は「楽しみだなあ」とうきうきしている。
「いや、ちょっと待って! どういうことよ!」
はっとして清志郎の腕を摑み睨む。テキパキした漸さんの動きに吞まれていた。
「なにが?」
「なにが? じゃないでしょ。なに勝手に他人を家に招いてんの。やめてよ」
茶の間の前を通り過ぎて縁側に彼を引き寄せて話の続きをする。
「なんで?」
「なんで、じゃないでしょ。誰よ、あのひと」
「だから、漸。あいつ昔からすげー料理うまいんだよ。オレも乃々香も料理苦手だって相談したら、いいよって。乃々香は昔から料理に興味なかっただろ」
「そうだけど……そうだけど!」
昔から空腹を満たすことができればなんだっていいと思っているので、独り暮らしのあいだも、そして今も、自炊と呼べるようなものはしていない。
だからってなぜ勝手にそんなことをするのか。
「わたしは、わたしの家の中に他人がいるのは嫌いなの」
「他人じゃないだろ。オレの友だちだし、もう知り合いになったじゃん」
清志郎のように言葉を交わせば知り合いという感覚はわたしにはない。清志郎やその子どもふたりですら、わたしにとっては他人だ。突然三人が同じ家に住むことになっただけでも戸惑っているというのに、まったくの他人がやってくるなんてキャパオーバーだ。
わたしになにも言わず勝手に連れてこないでほしい。かといって、今さら追い出すわけにもいかないことはわかっている。すでに彼──漸さんは料理をはじめているし、彼は清志郎に頼まれて来ただけだ。
「今日はもう仕方がないけど……さっき〝これから〟って言ってなかった? これからも来るとか、そういう意味じゃない、よね?」
恐る恐る訊くと、清志郎は「そうだけど?」と目を瞬かせて首を傾げた。
「オレも乃々香もご飯作れないとなると、スーパーの出来合いとかコンビニ弁当とかレトルトとかになるじゃん。子どもにそれはやっぱりよくないだろ。それに──」
清志郎がじいっとわたしの顔を見つめる。そして、手を伸ばしてきた。
「乃々香も、ろくなもん食べてないだろ」
彼の手が、わたしの頰に触れる。汗が滲んだ彼の手のひらが、ぺっとりと肌に吸い付く。さっきまで涼しい部屋にいたからか、冷えていた体に清志郎の体温が伝わってきて、力が抜ける。床に座り込んでしまいそうになる。
「昔から乃々香は放っておくとなにも食べなかったり、食べてもお菓子ばっかりだったりするだろ。昔はばあちゃんのご飯があったけどさ」
うまく口が動かない。それを清志郎は図星だからだと受け取ったのか「力のつくもの食べねえと」と言ってわたしの顔を覗きこみ白い歯を見せる。
「大きくなれねえぞ」
清志郎にとって、わたしは未だに子どもなのだろう。もう二十九歳で、三十二歳の清志郎とは同年代だと言ってもいい。それでも、わたしは彼にとって妹のような存在なのだと実感する。そのことを、どうして悔しく思うのか。
「じゃ、オレ、汗かいたから着替えてくるわ」
黙っているわたしを置いて、清志郎は縁側を進み自室に向かった。
……ほんとに、なんて勝手な……!
「お兄ちゃん、ハンバーグだって」
「寧緒ちゃんの好きなご飯だね」
「久しぶりだからうれしいー。明日はお兄ちゃんの好きなパスタだといいなあ」
茶の間では、晩ご飯が待ち遠しいのかやたらとテンションが高めのふたりの子どもたちがこしょこしょと話していた。ふたりはわたしが見ていることに気づくと、恥ずかしそうに口をつぐむ。
わたしと同じようにふたりも突然他人と暮らすことになって戸惑い不安を抱いているだろう。ならば、おとなのわたしが子どもたちに歩み寄るべきだ。
「もう少しエアコンの温度下げようか?」とか「冷たい飲み物いる?」とか。
そうわかっていても、声を発することができない。
とにかくふたりのそばにいないほうがお互いのためにいいだろうと、背を向けた。
おとなだからって、みんながみんなおとなとして振る舞えるわけではないのだ。
苦手なものは苦手だ。無理なものは無理。避けたいことは避ける。
わたしはそうやって生きてきた。
階段に脚をかけると、清志郎が戻ってくる足音が聞こえてくる。わたしじゃないひとが床を踏む音。台所で水を流す音、火をかけるときのカチカチという音、茶の間で話をする子どもの声。
「騒がしいな……」
昨日まで聞こえなかった音が家の中に響く。ここは本当にわたしが昔暮らした静かな家なのかわからなくなる。
<第7回に続く>