「わたしの家なのになんで気を遣わないといけないの?」こんな私が同居なんて無理なのでは…!?/小戸森さんちはこの坂道の上⑦
更新日:2025/2/6
『小戸森さんちはこの坂道の上』(櫻いいよ/KADOKAWA) 第7回【全7回】
フリーデザイナの小戸森乃々香は、祖母宅の管理を頼まれ、故郷に戻ってきた。「不倫の子」として肩身の狭い思いで過ごした福井の海沿いの町。急勾配の坂の上に建つ祖母宅で、心機一転、故郷で快適な一人暮らしを満喫しようと思っていたのだが――。海外に行ったきり会っていなかった幼馴染の清志郎が、ふたりの子どもを連れてやってきて!? 突如始まった同居生活の行方は…?

(櫻いいよ/KADOKAWA)
それから小一時間ほどで、ちゃぶ台には晩ご飯が並んだ。
ハンバーグの上にはほどよく溶けたチーズがのっていて、にんじんのグラッセとブロッコリーの素揚げされたものとマッシュポテトが添えられている。そして、卵とタマネギの洋風スープにプチトマト添えのサラダとライス。
家の中に四人分の料理が並ぶなんて、はじめてのことだ。
……でもなんで、四人分なのだろう。今、この家にいるのは五人だというのに。
「おー、さすが漸! うまそう!」
「ハンバーグだ……!」
「いただきまーす」
両手を合わせた歩空くんと寧緒ちゃんは箸を摑むとすぐにハンバーグに突き刺して、出てくる肉汁に「うわあああああああ」と感嘆の声を上げた。清志郎もハンバーグを口に含むと頰を緩ませて、歩空くんに「おいしいなあ」と話しかけている。寧緒ちゃんはにんじんのグラッセを甘い甘いと喜んでいた。
七時前の空は、まだ夜にはなっていない。茶の間のガラス戸の向こうには、夕焼け空が広がってた。こんな時間に夕食を食べることは滅多にない。それに、誰かが作った料理をあたたかいうちに食べるのも珍しい。昔は祖母が用意してくれたご飯をお腹が空いてからレンチンしていた。面倒くさくて冷えたまま食べたこともある。独り暮らしをはじめてからは冷凍食品やコンビニの弁当で、自分で作るにしてもレトルトばかり。
目の前のものとは、全然違う。ソースの香りは、こんなにも鼻腔を擽るのか。料理から立ち上る湯気は、こんなにも躍るのか。
そんなことを考えていると、漸さんが茶の間の隅にあぐらをかいて座った。
「あの、漸、さんは、食べないんですか?」
四人分の料理は、漸さんの分が入っていなかったのか。
「俺はいいんです」
「狭いなら詰めますけど」
「俺のことは気にしないで、あたたかいうちに食べて」
腰を上げようとすると、漸さんに止められた。
目を細めて笑っているように見えなくもないけれど、はっきりとした物言いは完全に拒絶をあらわしている。狭いのが嫌いなのかもしれないし、子どものためにハンバーグにしただけで彼の苦手な料理なのかもしれない。もしくは、ただ単にお腹が空いていないのかも。まあ、そういうこともあるか。そう思い「じゃあ、えっと、いただきます」と彼を誘うのをやめて料理に口をつける。
「お兄ちゃんプチトマトちょうだい」
「え、あ、取らないでよ。ぼくも食べたかったのにー」
「んじゃ歩空にはオレのをあげよう」
清志郎が言い合うふたりのあいだに入り、歩空くんのサラダボウルに自分のプチトマトをひとつ入れた。
──これが、家族の食卓なのか。
この空気が落ち着かなくて食欲がどんどん下がる。
ここで食事をするのはいつだって、わたしひとりだった。
このちゃぶ台に、自分以外のひとがご飯を食べているのは変な感じがする。
できたてのハンバーグは肉の味がするんだな、と当たり前のことを思いながら、無言で、ただ咀嚼する。それを繰り返す。余計なことを考えないように。
「おいしくない?」
虚ろな目で必死に手と口を動かしていると、漸さんに話しかけられる。
「いや、お、おいしいです」
たぶん、と心の中で言葉を付け加える。
間違いなくおいしいと思う。でも、この料理が普段食べている適当なご飯とどう違うのかはよくわからない。おいしいとも思うのに、どうおいしいのか説明ができない。
「ならいいけど」
漸さんはそう言ってすっくと立ち上がり台所に入っていった。怒っているような、妙な空気を感じたけれど、気のせいだろうか。作った料理に対してわたしの反応が鈍いことを不満に思ったのかもしれない。
……ああ、わたしの家なのに、なんでこんなに気を遣わなければいけないのか。
やっぱり、面倒くさい。ひとと過ごすのは、総じて面倒くさい。
そんなわたしが、これから快適に清志郎一家とひとつ屋根の下で暮らせるのだろうか。
雲行きが怪しい。というか、無理なのでは。