第3回「ミント・フォレスト」/酒飲み独身女劇場 ハッピーエンドはまだ来ない③
更新日:2024/2/14

社会人になって初めて芽生えた「疎開したい」という感情。
人間関係やしがらみに巻き込まれるたびに、「疎開したい」が口癖になった。
田舎暮らしの経験はもちろん、自炊の経験もろくにないのに一体何を言っているんだ自分。それはきっと人生袋小路で絶望している時に1本の映画に出会ってしまったからだ。
主人公いち子が、上京して都会で働くもののうまく馴染めず実家のある青森の小さな村に帰って自給自足をする『リトル・フォレスト』という作品。
冬・春編と夏・秋編に分かれていて、四季の移り変わりや季節ごとの食材などを楽しみつつ毎日の食事をつくり生活をする。
夏は湿気が多いのでその環境を利用してパンや米サワーをつくったり、とれたて新鮮なトマトをつかってスパゲッティのソースをつくる。冬の寒さだって料理の立派な調味料。自然に囲まれながら、自分で育てた食材を使った手料理をもりもり食べる。
そこにある生活は、ドラマチックではなくただ淡々と時が過ぎていき、意味なんて存在しない。きっと暮らしがあるだけなんだろう。
人生のストーリーばかりに気を取られていたけれど、暮らしを大切にできないとそれって中身がないよな…と思わされてから自然に囲まれた生活が一層恋しくなった。
スマートフォンを見ずに目を休めて、透き通った空気を吸って息をしたい。
質素でいい。心に余白が残るような、そんな丁寧な生活がしたいのだ。
しかし、田舎暮らしで平穏が訪れるかというと待ち受けているのは地獄かもしれない。
ろくに自炊もできなければ、コンビニに生かされている日々。10分おきに発車する電車に乗ればどこへでも行けるし、街は永遠に眠らない。休日はだらだらと家に引きこもって過ごしていてもボタンひとつで食べたいものがすぐ家に届く。便利さに慣れすぎてしまっているせいで、有り難さを忘れつつあるのかもしれない。
そもそも弱火と強火の調整もできずに失敗を繰り返している料理レベル0の人間が、自給自足なんてできるのか?
家に出る黒いGから名前がはじまるあいつとの格闘も半日に及ぶのに、生きていけるのか?
腹が減って動けなくなる前に料理なんてできる? 食材を育てるって、もうそれ以前の問題なのでは…。
疎開したいという思いが強くなるたびに自分の生活能力のなさを痛感する。せめてもと無印良品に行っては収納ボックスを買って、結局収納ボックスが収納できず家の中は混沌を極めていくのだ。
